5話 クイール狩り②
獣道らしい細い道はあるが、うっかりしているとせり出してきた小枝に肩をひっかけそうで、慎重に進まざるを得ない。でも前を行くヴィドは、わたしよりはるかに大柄であるにもかかわらず、何もない平地を歩いているかのようにすたすたと進んでいく。音を立てないこととヴィドを見失わないことに必死で、他のことに意識を割く余裕などなかった。
木々の隙間から辛うじて姿が見えていたヴィドが立ち止まる。何とか追いついてすぐ横に立つと、彼の視線の先に二本角が生えた四つ足の獣がいた。やや緑がかった灰色の毛並みが森の中に溶け込んでいる。この距離ならわたしにもわかる。成人した雄のクイールだ。
ヴィドは視線をクイールに固定したまま、三歩前進する。普通獲物を前にしたら、抜き足差し足になりそうなものだが彼の歩みは今までと変わらない。それでいて全く音がしないから不思議だ。そして視線を固定したまま、背負っていた弓を手に持ち矢をつがえる。寸分たりとも無駄のない動作で弓を引いた。
(まさか、ここから狙うの?)
雄のクイールとヴィドの距離は、ざっくり見積もってもわたしの歩幅で三十歩、二十メートルは離れている。オルセン王国で流通している一般的な弓の飛距離は十五メートルくらいだと、お兄様は言っていた。とはいえ弓は飛距離に応じて高度が下がるから、確実に狙うには十メートル以内に近づいたほうがいいそうだ。今ヴィドがやろうとしていることは、お兄様から聞いた常識を超えている。
弓を構えた状態でぴたりと止まったヴィドは、じっとクイールの姿を見据える。その姿にわたしは息をのみそうになった。
(すごい集中力……世界にヴィドとクイールしか存在していないみたい。誰かが割り込める雰囲気じゃない。狩りは、獣と猟師が一対一で向き合う空間なんだ)
人の気配を察知したのか、草を食んでいたクイールが顔をあげてこちらを向く。その瞬間を、ヴィドは逃さなかった。彼が放った矢は寸分たがわずクイールの顔を射抜いた。暴れるクイールに構わず、ヴィドはどんどん近づいていく。わたしはどこまで近づいてよいものかためらいつつも、後を追った。ぎりぎり一人と一頭が見える位置で立ち止まり、彼らの様子を見守る。
ヴィドがクイールに触れられるくらいの距離まで近づいたときには、クイールは大人しくなっていた。がっくり力が抜けたようにその場に倒れこむ。彼が射たときにはわからなかったが、矢はクイールの鼻の穴に刺さっていた。そこから頭部を貫通している。
「大抵の獣は、鼻には硬い骨がない。だから鼻の穴を狙うんです。そうすると一気に脳まで矢を通すことができます。矢尻に麻酔毒を仕込んでいたので、今のクイールは意識がない状態ですね」
わたしに向けて解説してくれているらしい。ヴィドは話をしながら右足でクイールの胸元を抑え、一気に矢を引き抜いた。頭部から血が流れ落ちる。それに一切動じる様子もなく、彼は淡々と解体作業に移っていく。
「すみません。こんなところまで王女様にお見せしていいものか。後でしっかり、浄化術を受けてくださいね」
「ううん。わたしが見たくてついてきたから」
思わず言葉を返したのと同時に、わたしの隠密が解ける。周囲に人の気配はないから大丈夫だろう。正直なところ、そんなことに気を配る余裕もないくらい、わたしはヴィドの狩りに夢中になっていた。
(狩りは獣を倒す行為だからケガレがつく。女性は近付くべきではないって言われてきたけれど。こんなに美しい動きを見ないなんて、人生の損失だよ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます