3話 猟師ヴィド
「ヴィド・ランゲル、ね」
ハンナ経由でお父様から貰ったメモには、猟師の名前とおおよその所在地を示した地図が記されていた。これを参照すれば、うっかり別の猟師の縄張りに入ってしまうこともないだろう。お忍びの外出用の質素な服装に着替えたわたしは、すっと立ち上がる。
「アンリ、ちょっと出かけてくるね」
「お気を付けください。森は危険な生物がたくさんいると聞きます。いくらマニー様の隠密が優れていらっしゃるとはいえ、その気配を察知する存在もいるやもしれません」
「うんわかった。用心するよ」
わたしはそう答えつつも、小旅行を楽観視していた。名前と場所を聞いたのだから、わたしが猟師のいる森に向かうことくらいお父様は予測しているはず。それでも随伴をつけようとせず、行動を黙認してくれているということはわたし一人で出かけて行っても問題ない場所だということだ。とはいえ野生動物の中には、人間よりも気配に敏感な種類がいることもまた事実。慎重に行動するに越したことはないと思い、王宮の廊下から術を使うことにする。
(「隠密」からの「加速」!)
王宮を出て、城下町を急ぎ足で横切る。昼下がりの町は人出が多くにぎわっていた。現国王のお父様も、同じように時折王宮を抜け出しては、民たちが笑顔で生活できているか、ひっそりと見守っている。隠密とはただ身を隠すだけの術ではないのだ。
「聞いたか、特大のクィルダイトが見つかったっていう話」
「ああ、なんでもマニー王女様に献上されたらしい」
「やっぱり猟師っていうのは夢がある仕事だな」
ふと小耳にはさんだ会話に一瞬速度を緩める。露天商を営む男性が、お客さんと雑談を交わしているようだ。
「でも、猟師も腕によっては食っていくのもやっとらしいからな。クィルダイトを持ったクイールを仕留めるだなんて、そうそうできるもんじゃない」
「件の猟師、よほどの腕利きなんですね」
「だな。まあ、俺たち零細商人には縁のない話だが。クィルダイトなんて大物、俺程度の商人のもとには降りてこないし。立派な宝石なんてものは王族か王侯さまの占有物よ。まあ、そんな高価なものが庶民の家にあったら危ないから、王族さまに厳重に保管していただくのが一番いいんだろうな」
一応情報収集になるかと思い耳を傾けていたが、目新しい内容はなかった。今のわたしには民の様子をじっくり観察している余裕はない。うっかり他の人にぶつからないように気をつけながら、国境近くの森へと急ぐ。
隣国であるミドガルド王国との国境沿いには、広大な森林地帯がある。オルセン王国の国土面積の四分の一を占めるこの森には、多種多様な生物が住んでおり、猟師たちの垂涎の的だ。
(でも、ミドガルドとの緩衝地帯っていう意味もあるから、よっぽどの腕利きじゃないと入ろうとはしないんだよね)
好戦的な気質をもつ大国のミドガルド王国と、穏健派の小国オルセン王国はそりが合わない。元々、ミドガルドから逃げ出してきた人々が建てた国であるという歴史も相まって、両国が親しくしていた時期はない。ミドガルド王国は隙あらばオルセン王国を攻め落とそうと常に狙っているし、実際に何度か刺客が送り込まれたこともあった。
それでも、大々的に軍を率いて攻めてくることがなかったのは、国境を覆う森の存在が大きい。大陸を駆ける騎馬兵を主力部隊としているミドガルド王国は、森での戦いは不得手としている。他方で隠密を得意とするオルセン王国の王家や直属の隠密部隊は、死角に身を潜めてからの急襲が十八番だ。いくらミドガルド王国のほうが兵の数で優っていても、森林での戦いにおいてはオルセン王国に軍配が上がる。相手もそれをわかっているから、あえて攻めてこない。
(わたしたちオルセンの王家にとってみれば、恵みの森ってところよね)
実際、食料と国防の益をもたらしてくれる森に対して、毎年王宮では感謝をささげる祭典が催される。わたしも参加したことがあるから、森の場所は把握している。そもそも王宮から見て真っすぐ西に進めばいいだけだから、森に着くだけならばよほどの方向音痴でもない限り難しいことではない。
(問題は森に入ってから、だよね)
不慣れな人間が森に踏み入るとたちまちのうちに迷ってしまうというのは、よく知っている。隠密の腕を磨く王族は皆方向感覚に優れていて、わたしも例外ではないけれど森を甘く見ないほうがいい。なるべく外縁を歩いて、目星がついてから中に入るようにしたほうがいいだろう。
わたしはお父様から貰ったメモを取り出して、ヴィドという猟師がいるであろう区域を確認した。彼はずいぶん、国境に近いところを狩場としているようだ。それはつまり、森の奥まで分け入らなければならないことを意味している。
(自分の方向感覚を信じて、行くしかない)
深く息を吸って、吐き出す。隠密の術がしっかり効いているかを確認。そしてゆっくり、森へと足を踏み入れた。
・・・
広大な森の中でひとりの猟師を見つけることは、川底の砂の中から砂金を見つけるくらい難しい。わたしは、五感を研ぎ澄ませて四方に意識を向けた。生物の気配はいろいろある。でも、人間の気配は独特だ。二つ足で歩く生き物は他にいない。しかも猟師ならば、なるべく存在を殺して歩いているだろう。今のわたしと同じように。
小枝を踏むパキッという音がして、顔を向けた。まだ少し離れているが、左斜め前で灰色の狩衣を身にまとった人影が動いている。わたしは慎重に近づいてゆく。
人影がはっきりわかるくらいの距離まで来たとき、狩衣の人はさっとこちらに視線を向けて弓を構えた。大柄で短髪の男性が、低い声で問いかける。
「そこにいるのは誰だ」
まさか、わたしの存在が向こうから見つかるとは思っていなかった。隠密の術はしっかり効いているはず。一介の猟師に見破れるほどちゃちなものではない。そんな思いは簡単に打ち崩される。わたしが応えずにいると、男性は弓を引き絞った。
「答えがないなら、撃つ」
さすがに猟師の弓を受けたら無事では済まない。わたしは慌てて隠密を解除した。わたしの姿を認めた男性は弓をおろして固まる。
「ヴィド・ランゲルですよね。あなたに敵対するつもりはありません」
「なぜ、俺の名を……いえ、貴方はまさか、マイエンガルド第一王女様?」
わたしのことを知っていてくれたのが嬉しくて、そのまま彼に飛びつく。
「合ってるけど、わたしのことはマニーでいいよ。みんなそう呼ぶし」
「いえ、そういうわけには……離れてください。王女様に獣の臭いをつけるわけにはいきません。というよりなぜこんなところに」
慌てた様子でわたしを引き離す男性、ヴィドは、わたしの両肩に手を置いて見つめる。
(目を離さない人だ。それに、きれいな瞳)
王族と面と向かって話をするとき、市民は緊張して目をそらしたり、うわの空になったりすることが多い。しかし彼は違う。初対面であるにもかかわらず、薄いグレーの瞳でわたしのことをしっかり見てくれている。それが嬉しくて、口角が自然とゆるんだ。
「あなたに会いに来たの。直接お礼を言いたくて」
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