2話 クィルダイト
わたしは扉を三度ノックし、押し開ける。奥の書斎に見える人影に向かって一礼した。
「マイエンガルドです」
「入りなさい」
お父様……イセリオス国王は書斎にある書類と向き合っていた。しかし書類が積まれた机上に、唯一なじまないものが置かれている。手のひらに収まるくらいの大きさの薄い緑色の袋。わたしがそれをじっと見つめていると、お父様は書斎から立ち上がる。
「マニー、今日の隠密の成果はどうだったかな」
「扉前の護衛騎士二人には気づかれてしまいました。気配がないから、消去法でわたしだろうと」
「ふむ。腕をあげているな。あの二人をしてもそういわしめるとは」
ひとりで頷いているお父様は満足げだ。
「やはり、お前の隠密の技はすでに私より上だ。おごることなく、更に技術を磨くように努めなさい」
「はい。承知しました」
お父様はお世辞を言わない人だ。だから短い言葉が嬉しくて、わたしは深く頭を下げる。
「それで、呼び出した件だが」
お父様は書斎を回り込み、わたしの前に立つ。大柄なお父様に目の前に立たれると圧迫感があるが、それ以上に親しみを感じる。自分の味方である大きい人がそばにいると、安心感を覚えるのだ。お父様はいつの間にか、机の上に置いてあった薄緑色の小袋を手に持っていた。
「両手のひらを出しなさい。お皿のような形にして」
いわれた通りに手を差し出すと、お父様は袋の中から小さな石を取り出した。わたしの拳の中に納まりそうな大きさだ。不透明ながら薄い水色がかった輝きを放っている。
「マニー、これが何かわかるかな」
突然の問いかけに、思考を巡らせる。色が濁っているから、何かの宝石の原石であることは間違いない。原石でありながら滑らかな表面、手のひらに乗るくらいの大きさ、わざわざお父様が持ってきたということ。それらを考えると答えは一つだ。
「クィルダイト、ですか」
「その通り」
お父様は頷き、わたしの手のひらに乗る原石を見やる。
「お前も知っての通り、クィルダイトはクイールの雌からしか採れない貴重な宝石だ。しかも小さいものが多いから、大抵の場合結婚指輪にはめこまれて贈り物にされる。意味も知っているな」
「クィルダイトの宝石がついた指輪を贈る意味は、『私の心はあなたのもの』。永遠を誓う相手に贈るものだと聞いています」
「その通り」
頷いたお父様の左手の薬指に、薄い水色の宝石のついた指輪が光るのをわたしは見逃さない。お父様はお母様亡き後、再婚を勧める周りの声を一切聞き入れずに独身を貫いている。それもこれも、クィルダイトの指輪を贈った相手がお母様ただ一人だったから、なのだろうか。
「昨日、私のもとに極大なクィルダイトの原石が手に入ったから献上したいという連絡があってな。受け取ってみたのが今、マニーの手の上にあるものだ。おそらく加工しても二十カラットはくだらないだろう。こんなに大きくて状態のよいクィルダイトは珍しい。だから王女の婚礼道具を仕立てる際に使ってほしいというのが、石を手に入れた猟師の言伝だ」
「でも、わたしはまだ結婚の予定はありません。立派な宝石を贈られても困ってしまいます。そもそも、結婚ならお兄様のほうが早いのではありませんか?」
わたしはまだ十八歳だ。結婚適齢期ではあるのだが、王族の結婚は庶民より遅い。オルセン王国の場合、誰が次の王位に就くか確定してから、次期国王がまず婚約者をめとり、その後順にきょうだいたちが結婚相手を決めていく習わしだ。現時点では、次期国王にはお兄様がなることがほぼ確定していると思っているのだが、まだお父様からお達しが出たわけではない。ゆえにそこが決まらない限り、わたしがおいそれと結婚するわけにはいかないのだ。もっとも、相手のあてもないのだが。
「いや、クィルダイトに限って言えば、入手した猟師が献上先を選ぶ権利がある。今回の猟師はマニーを指定してきた。だからこれはお前のものになる。確かに結婚はまだ先のことだが、来たるべき日に備えてどんな調度品を用意すればいいか、考えておくといい。おそらく結婚指輪にするには大きすぎるから、ティアラなんかがいいかもしれないな」
「わかりました」
わたしは手の中にあるクィルダイトの原石をころりと転がす。この状態では想像もつかないけれど、職人が磨いたクィルダイトは透明な薄い水色の輝きを放つ。かなり高価なものだと聞く。それをわざわざわたしに献上してくれた猟師とは、一体どんな人なのだろう。がぜん興味がわいてきた。
「お父様、ひとつ伺ってもよろしいですか?」
「何だい」
「このクィルダイトを入手した猟師の名前は、わかるのでしょうか。あと、どのあたりで手に入ったかも」
お父様は一瞬困ったような笑みを浮かべたが、ゆっくり口を開く。
「猟師の名前は後で調べさせて届けよう。見つかったのは、西側にある森だと聞いている。ミドガルド王国との国境沿いにある森だ」
「そうなんですね。では、その猟師はよほど腕利きの方なんですね」
猟師たちはその腕前によって、縄張りが決まっていると聞く。国境沿いの森は広いが住んでいる獣の種類が多く、上級者向けなのだと狩猟が趣味のお兄様が言っていた。そこを狩場にできるというのは、腕がよいという証しだろう。
「むろん、これだけの大きさのクィルダイトを宿したクイールを仕留めるのだ。一流の猟師には違いない」
「お名前、わかったら必ず教えてくださいね」
「……わかった」
やや渋い顔をつくるお父様だが――おそらく、わたしがなにをするつもりなのか察したのだろう――、しっかりと頷いてくれる。名前と所在地がわかれば、会いに行くのは難しくない。わたしに特大のクィルダイトを献上した猟師を、ぜひこの目で見てみたい。
「私からの話は以上だ。クィルダイトは袋に入れて、大切に保管しておきなさい」
「はい。そうします。では失礼します」
お父様から渡された袋にクィルダイトの原石をしまい、わたしはお父様の居室をあとにした。行きと同様敬礼で見送ってくれる騎士たちに頭を下げて、今度はゆっくり歩いて来た道を戻る。
(クイールを仕留める一流の猟師。いったいどんな人なのだろう)
猟師というと老齢で、森のことを知り尽くしていて、どんな獲物も一撃で仕留める凄腕を想像する。なぜ、それをわたしにと贈ってくれたのだろうか。わたしの年齢からして、孫娘のような愛情を抱いてくれているのだろうか。少なくとも、わたしのことを好意的に想ってくれている人に違いない。久しぶりに社交の場とは無関係に人と出会えることにわくわくする。
(お父様、早く名前を教えてほしいな)
わたしに甘いお父様のことだ。きっとすぐに教えてくれるだろう。でもその時間が惜しい。右手に握ったクィルダイトの感触を袋越しに確かめながら、わたしは自然と早足になっていた。ハンナに見つかっても怒られないぎりぎりの早さを保ちつつ、自室へと戻るのだった。
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