第3話<密雲不雨>



「ねえ陽聞いてよ。」


鬱陶しく腕に絡みつく千紗を宥めながら廊下を歩く。次の授業は体育だ。


こればかりは勉強してもどうにもできないから重い足を引きずるように歩みを進める。

今回はもとより千紗が絡まるから重いのだけど。


「奏太ってば1口ちょーだいが大きいの。」

「怪獣みたいでいいね。」

「よくなーい!」


千紗には隣のクラスの彼氏がいるが、惚気か愚痴かギリギリを攻めた質問を投げつけてくる。非常に治安が宜しくない。

怪獣とか言って適当なんだから、とぶつぶつ悪口を隣で唱えている。


そうは言っても2人の付き合いも学生にしては長くて。今のところは大喧嘩もなく平和な関係性を築いているのを見ると、微笑ましく思う。


「あ!奏太だ。」


移動教室なのか、偶然にも愚痴の元がこちらに向かってくる。

奏太もこちらを見ては、千紗に手を振る。


「体育なの?」

「そうだよ。」


私にぺこりと会釈をすると、千紗との会話に入り込む。いやいや、仲良しそのもの。

奏太の取り巻きが何やら話しかけてきたが、すこぶる興味がないので軽く会釈をする。が、1人やたらと絡んでくる犬みたいな生き物がいたが、まあ…。


「じゃあまた後で。」


そういうと、笑顔で手を振り合う。やっぱり仲良しなのだ。愚痴という名の惚気話だと安心する。千紗にはどうしてか幸せでいて欲しいと思う。


「陽は恋愛に興味ないの。」

「ないの。」

「即答かぁ。」


興味ないとか、あるとか。そんなんじゃなくて単純に人を好きになるなんて簡単にできるものじゃない気がする。



だから、そんな…、



_______

「ねえ陽!奏太の隣にいた男子分かる?その人がね、陽と仲良くなりたいんだって。」

「は?やだよ。」


体育館の隅でバレないようにコソコソと隠れていると、そんなことを言い出す。

そもそも授業中だ。連絡を取り合っているこのカップルは不良か?と怪訝な目を向ける。


挙句の果てに奏太の友達と仲良く…?ダメだ。うまく考えられない。


「ねえ陽これはね、訪れたのよ。恋が。」

「やっだね。千紗、私はね恋愛をしたいとかそういうのないの。」


バカねーと肩を突く。何気痛い。


「黒川…くんだって。」


もう本当、これ以上の情報はいらないのに。などと思いつつ、この時間が過ぎるのを待った。



「はぁ。」


結局この裏庭もどきに現れた。ここは完全に学校という組織からは圏外なのだ。


ふらふらと歩き回ると、化学室がチラリと見えた。何の気なしに覗くと、苦手な男が怪しげな動きをしていた。


「(何してるんだろ…。)」


と。ふと目が合う。少し跳ねる心臓を抑えながら、なんだか今日は話がしたいななんて思ってこちらへ歩いてくるのを黙って見ていた。


「まーたサボり?じゃねえか。お昼休みか。」


あはは、と笑うと窓に手を掛ける。頬杖をついたまま少し見上げて笑った。


「どうした。」

「…いや。なんとなく、いるかなって。」

「……俺数学教師な。」

「本当、なんでいるの?怖い。」

「俺だって…。」


いやあんたの意思でいるんでしょうに。と思ったが私の減らず口が無くなりそうにもないので言うのはやめた。


「で。どうした?」

「…。」


あんたと話したくて。とは言えなかった。


風が間を吹き抜ける。音があるっていい事だななんてふと思った。


でも本当。なんとなく、桐生と話したくて。

学校生活を楽しめ、と先生らしく発言したこの人が、高校時代にどんな恋愛したのか気になった。


「俺に会いたくなった?」

「それ教師が言ったら割とアウトを感じるよ。なんか卑猥じゃない?」

「10代の感性ってかわいー。」

「うざい。」


少し聞きたくないとも思う。なんか、桐生という人間を深く知るのはやめた方がいいと本能が言っている。


「雨降るよ。」


そう言われて上を見上げると、さっきまでの青空はどこへやら。雨雲が立ちこめて今にも零れ落ちそうだった。


「中入れば。」


カラカラ、と簡素な音を立てると手招きをする。素直に足を進めると、薬品の匂いに包まれた。


「……俺さ、得意教科って言うか好きなのは化学とか物理とかそっちだったんだよね。」

「そう、なんだ。」

「だけど、好きな教科を教える教師ってどうなんだって思った。」

「…悪い事だと思わないけどな。」


乾いた声で笑って、くるりと元素記号が書き詰められているポスターを眺める。


「自分の好きな物って、嫌いって言われてもなんとなく分かってやれないって言うか…、教師としてはできるだけ同じ目線で勉学に励めた方がいいじゃん?」

「…うん。」

「苦手だと思うものを理解する力とか、一緒に培える何かとか。いつかは忘れてしまう物を忘れないようにする努力らしいものを続けられたらいいなって。」

「…。」

「大事な10代の感性に、“教師”を押し付けないように気をつけてる。てか俺若手教師だけど!」


えらそうにごめーんとおちゃらけて見せているが、桐生なりになにか感じ取ってくれたのかなって嬉しくなった。


「桐生は私の知らないことをたくさん教えてくれるから、話をしていて楽しい。」


言ってからハッとした。恥ずかしいことを言ったものだな、と。


「と言うより、なんでここにいるの?え、化学が好きだから化学室入り浸ってるとか言う?」

「動揺してJKみたいな口調で喋ってるの面白い。もう一回やって。」

「やるかよカス。」


こわーいと言いつつケラケラ笑う。怖くねえのだろう。


「逆に、ってやつだよ。」

「逆にって何の逆よ。“みんなそう言ってる”くらいの胡散臭さを感じる。」

「皆まで言うなってやつか。」

「それことわざを最後まで言わずに“なんとやら”で誤魔化す感じに似てる。」

「じゃあなにか。真実を言えばいいのか!」

「そう言ってるし、ちょっと逆ギレ気味なの分からなさすぎて震えてる。」




あと少しで何かが分かりそうなのに。

あと少しで、事が動きそうなのに。


まだ、始まりそうにもない。










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