第2話<雨過天晴>


空が夏の準備を始めたらしい。


どうやらセミもそろそろ鳴いてみようか、と言わんばかりにチラチラと現れて。

雲に至っては青い空が気持ちいいとばかりに白い。

気分屋な季節が雨を降らそうか考えているのは、思春期の感性からすると少し迷惑だ。


あの日から、桐生の言葉が頭を離れない。


「最近割といるね。」

「んー…。そうかな。」

「早川先生の説教が響いたのね。」

「違うけど。」


否定の言葉はどこへやら。あまり聞き入れて貰えなかったようで、悲しくも騒音に掻き消された。


「千紗は青春って何か考えたことある?」

「えー…、陽は?」

「…夏目漱石の言葉が浮かぶ。」

「なんかあったっけ。」

「“考えるには青春の血があまりに暖かすぎる”。」


100年も前に作られた小説のワンフレーズ。時代背景が違くとも、同じ年頃としては似たようなものがあっても良いと思うのだけど。


「…過ぎれば気づくこともあるか。」


大抵のことはそんなもんだと相場が決まっている。

ああすればこうすればというのがまさに。

渦中の人間にはどうも分からないことの方が多いのが現実。


「あ!わかった、そろそろ定期テストだから出席率いいんだ。」

「まぁねー。」


本当は。桐生の言葉を聞いて引きずるくらいには気にしていて。

千紗との何気ない会話とかを、その場で消費するのは違うのかな、とか。

私なりに考えてみようかな、とか。



__________


「意外と素直だな。」

「あ?」


小テストに小細工を加えている男にそう嘆かれた。

課題の提出が今日までだと言うのに忘れていた私と、明日返却予定の小テストの採点。

別に職員室ですればいいものを放課後の図書室でするという変わり者。

そんな人に言われたくはないが、事実なので黙るしかない。


「でも若菜って友だちいないよなー。」

「合わない人に合わせる能力も必要だけど、無理矢理仲良くするのは拗れるからそうしないだけ。」

「ビジネス寄りの考えだな。」


人間関係って項目がどうも苦手な私。ヤマアラシのジレンマみたいなもので、距離が近ければ互いに不満を溜めて最終的には話すらできない、なんて状況をそれなりに見てきた。


だとするならば。相手の不満や愚痴すら受け入れられる人とだけ仲良くすればいい。それだけだ、と。大人ぶった子供が思っている。


「俺が同い年だったら友達になれる?」


突然何を言うのか、と思わず見る。

本人は尚も採点を続けるつもりらしくて、こちらを伺うこともない。


「……どうだろう。」

「え。」


コトン、とペンを置くとさぞ不思議そうにこちらを見た。


「即答でキモイとかなるわけねーとか言われると思ったんだけどなぁ。」


そんな天邪鬼はしない。真剣に考えたら、わからなくなっただけで、なんでもない。

ともだち、なれていたのかな。


「逆にさ。過去の自分が私と友達になれる?」


少しでも困ってくれれば。そうすれば自ずと答えが出たはずなのに。

ペンを取る訳でもなく、手持ち無沙汰になった人差し指で少し机を叩く。


ニタリと笑った顔は、鼻の高さを強調していて。


「なってたさ。」

「…そう。」


ひねくれた私のどこがいいのか。

根性は曲げられるだけ曲げたつもりだったけど、そう言われて嬉しいと思うあたりただの思い込みだったようで。


それを気取られないように視線を落とす。


「あ、」


その声と視線を追うと、空が見えた。


さっきまで降っていた雨が晴れて青空が覗いた。


「雨過天晴、か。」


そう呟くとまたケラケラと笑う。


「今俺も言おうと思ってたんだ。」

「数学教師なのに四字熟語が分かるのね…。」

「今全国の数学教師を敵に回したぞ。」

「趣味Arctanですみたいな顔してるのにね。」

「ええ…、あれは趣味にできるようなものじゃないでしょ。」


過去の桐生がどんなだったかは分からないけれど、もし今と変わらないのなら。


「そう?」


青空…、というよりも茜空が広がり始めた夕方。湿っていた空気が軽くなり始める。


「…そろそろ夏だな。」


夏は苦手なのだけど。

なんとなく、今の私なら楽しく過ごせる気がするから。


もし変わらないのなら、きっと、友達だったと思える。













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