漂流14日目
ジェムズ星系を通過して五日目。酸素がなくなっていく船内で、僕たちはまさに息苦しい日々を耐えていた。
低酸素の弊害はじょじょに顕著となってきていた。キトゥンは先祖たちの声が聞こえるという幻聴を訴え、代謝機能の低下によって体内の水分を維持できないヌメルは、日に日に小さく縮んでいく。
僕自身も、ユリの存在をはっきりと感じ取れるようになっていった。一人で部屋にこもっていると、写真の中のユリが僕を見ているのを感じる。この感覚自体が幻なのはわかっていても、写真から目を背けても感じる視線の圧はごまかせない。
そんな日々の中。ぐったりとベッドに横になっていた僕の耳に、イケスナーグの耳障りな悲鳴が聞こえた。
一体何事かと、僕は重い身体を無理やり動かして、悲鳴が続く食料貯蔵庫へ走った。
そこでは、ローチがイケスナーグに馬乗りになりながら、一方的に拳を振るっていた。
「お前が食料を盗んでいたのか! この石くずが!」
ローチの右こぶしがイケスナーグの顔面に命中する。イケスナーグの石の皮膚はすでにボロボロに剥がれ落ち、銀色の皮下組織がむき出しになっていた。水銀にそっくりな血を滴らせながら、殴られる相手は必死に訴えている。
「誤解だローチ! 私はただ残りノ備蓄を確認してイただけだ! 盗み食いなドしていない!」
「俺はここでずっと張っていたんだ! 黙って食料庫に入るところだって見た! お前が
「違うと言っていル!」
そしてさらに拳がもう一発。硬いロクロッシュ星人の皮膚をここまでボロボロにしてしまうなんて、リブキゴーク星人の怪力は恐ろしい。だがこのまま看過するわけにも当然いかなかった。
「なにやってるんだローチ! 暴力はよせ!」
ローチは僕の声で振り向くと、気勢を上げて言った。
「暴力だぁ? コウタ、お前だって知ってるだろう! 食料の減りが計算より早すぎるって! やっと犯人を捕まえたんだ! これは制裁なんだよ!」
「いいから止めるんだ!」
僕はローチの後ろから組み付いたが、彼の力は僕をやすやすと引きはがし、ものすごい勢いで振り払われた。背中をしたたかに打ち呻いていると、気絶寸前のイケスナーグからローチが離れ、僕へ向かってくる。
「お前こそなんだよ? フィルターを汚したのもどうせお前なんだろ? 善人面してんじゃねぇよ!」
ローチの複眼は、照明の光を受けてギラギラ輝いていた。だがその輝きは、いつしかナイフを連想させるするどい光になっていた。僕はそのまま通路の壁際に追いやられると、ローチは僕の顔の真横に拳を叩きつけた。鈍い音と共に壁はひしゃげ、冷や汗が顎を流れ落ちていくのを僕は感じた。
「どいつこいつも善人ぶってるがよ! あの石くずを見てみろよ! 一人だけ食料を盗み食いしようとして貯蔵庫に侵入してたんだ! 俺たちと違って半有機生命体のくせしてよ、有機物を独り占めしようとしてたんだ!」
騒ぎを聞きつけたのだろう、キトゥンとヌメルもやってきていた。ローチは彼女たちと僕を交互に見やると、たまりかねたように叫び狂った。
「そもそも、俺たちが今まで仲良しこよしでやってこれたのは単なる偽善だ! 俺はずっとイケスナーグの化けの皮を剥いでやりたかったんだよ! なんせあいつは生粋の侵略種族なんだからな!」
「それはどウいう意味だ、ローチ……?」
よろよろと立ち上がるイケスナーグに、ローチは容赦なく罵声を浴びせる。
「とぼけんな! お前らロクロッシュ星人はみんな理知的な振りした野蛮人だろ! 俺たちイルビコーグ星人とロクロッシュ星人のファーストコンタクトが、どんなものだったか歴史の授業で習ったろうが! 俺たちの星で石灰岩を原料にしたサプリ作ったらなんだよ?
「確かにあれは不幸な行き違いダった。ダが五百年も前に和平は結ばレている。今さラそんナことを蒸し返されても――」
「俺の叔父は六〇〇歳だ! 戦争で使われた熱核兵器の放射線障害に今も苦しんでいる! お前たちが俺たちに負わせた傷はまだ治ってねぇんだよ!」
そう吐き捨てると、ローチは僕に向き直って言った。
「コウタも言ってやれよ! 地球人だってロクロッシュ星人の侵略を受けたんだろ? こんなろくでなしは宇宙に放り出すしかないんだよ!」
彼のいう通りだった。僕の先祖の故郷である地球も、かつてロクロッシュ星人と戦争状態に陥った。一方的な宣戦布告の後、先祖たちの必死の和平への努力の末、戦争は終結した。
僕は何も言えなかった。確かに忌まわしい歴史ではあったけど、戦争を仕掛けてきたのはイケスナーグではない。彼個人を責めてどうなる? でもその一方で、僕ら地球人は怒り狂うロクロッシュ星人との和平のために、多大な犠牲を払ってきたことも事実だった。経済、文化、すべてをロクロッシュ星人との友和のために作り替えなければならなかった。その過程で、変化に適応できず見捨てられた人たちもいる。
ハイスクールでの修学旅行で地球を訪れたとき、そんな人々の慰霊碑に刻まれた『犠牲を忘れるな』という碑文が、僕の脳裏によみがえった。ローチの恨みに一抹の共感を覚える自分が怖かった。
「いい加減にシろ! さっきから言わせてオけば、私を宇宙に放り出すだト? 船のエンジンは誰が修理シたと思っているんだ! 私がいなければ誰も故障を直せナいんだぞ!」
激昂したイケスナーグはローチに詰め寄ると、逆にローチの首根っこを四つの手を総動員して締め上げてきた。ローチも負けじと、六つの手でイケスナーグを滅多打ちにする。
「みんな止めてよ! 喧嘩なんてキトゥン見たくない!」
キトゥンの目からは既に大粒の涙があふれていた。悲しみに涙を流すのはマター連星人も同じだ。ヌメルも同調し、必死に二人をいさめようとする。
「キトゥンのいう通りだよ、もっと冷静になって!」
彼女の思いが通じたのか、それとも互いの猛攻が堪えたのか、イケスナーグとローチは手を離すと、ばったりと倒れこんだ。
「いいこと教えてやろうか、ヌメル。イケスナーグがお前のこと、こう評したことがあるんだぜ? “あのような水分しかない生命体が知性を持っているのは理解できない”ってな。これってよ、お前のことを下等生物と言ってるようなもんだよな?」
ローチは不敵に笑ってそう言った。ヌメルの全身がブルッと震え、イケスナーグをにらみつけた。
「イケスナーグ……今の話、本当?」
問われた本人はしばしの沈黙の後……言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「君が思っているヨうな意味ではない。地球のクラゲや知性海洋惑星ソレリスのように、水分で身体のほトんどを構成する知的生命体は他にモいる。知性とは本来、我々のように複雑なネットワークで結びついた脳細胞を持つ生物が獲得でキるものダが、それもない君たちが知性を持っテいるのはマさに驚異だと――」
「同じよ! あんたは遠回しに、下等生物のくせに知性を持っているなんておかしいと考えているんでしょ!」
ヌメルの全身から青白い体液が漏れ出した。あれがウミアルス星系人の涙だ。
「あんただけは違うと思っていたのに……イケスナーグ……」
ヌメルは悲痛なつぶやきを漏らしながら、身体の形状をどんどん崩していく。そして殻に閉じこもるように、丸いボール状になってしまった。
「そうよ……あたしはスライミー……ブヨブヨした化け物よ……だから知的生物だって認めてもらえなかった……バルコ探検隊の報告書……あれのせいであたしたちは下等生物扱い……」
「ヌメル……」
慰めようと近づいてきたキトゥンを、ヌメルは触手を生やすと振って追い返した。
「触らないでよ! キトゥンはいいよね、マター連星人に生まれてさ! かわいいかわいいって他の星の人たちからもチヤホヤされて! かわいいってだけでたくさんの星へ連れて行ってもらえて! かわいいってだけで星間連合にも加盟してもらって! ウミアルス星は加盟まで一九〇年かかったのに、マター連星はたったの五〇年だった! あたし達の方が先に連合とコンタクトしたのに!」
船内に渦巻くどす黒い怒りの連鎖は、とうとう優しいヌメルまで壊してしまった。唖然としたキトゥンはふらふらと僕に寄ってくると、力なく腕を組ませてきた。
「……何がいけないの? 先祖から受け継いできた姿を誇って何がいけないの? キトゥンの容姿は先祖から受け継いできた大切な遺産なのに……」
マター連星人は、己の姿に高いプライドを持つ種族だ。容姿を否定されることは、自身のすべてを否定されるに等しい。恐怖か、悲しみか、やはり怒りか……口元からのぞく小さな牙をカチカチ噛み鳴らして、キトゥンは震えていた。
「お前たちも所詮、愛玩用のペットじゃねぇか。現に今の飼い主はそこの地球人。真っ赤な汚らしい体液の流れる、つるつる軟弱肌の生物なんだろ?」
ローチがあざけるように言った。僕は勇気を奮わせてローチを睨みつけたが、相手はたじろぐこともなく、憎らしい笑みを浮かべるだけだった。
もう限界だった。薄れゆく酸素と増していく一方の空腹感に、僕もみんなも耐えかねていた。それがみんなの心の片隅にあるわずかな邪心を増長させ、こんな地獄を作り上げている。
たまりかねた僕は、肺が張り裂けんばかりに叫んだ。
「やめてくれ! ここで争ってなんになるんだ! 酸素を減らしたらみんな死ぬんだぞ! わかってるのか!」
死という言葉の力は強かった。みんなの視線が僕に集まるのがわかる。これがみんなを再度団結させる最後の機会であると、肌身で理解した。でなければ、積み重なった過去と悪化しつつある現在に、僕らはくびり殺される。
僕は慎重に言葉を選んで、ゆっくり口を開こうとした。
「じゃあよ、コックリさんで決めようじゃねぇか」
予想外な形で機先を制され、僕は言葉を失った。情けないほどに、言い返す気力を奪われた。
「そもそもよ、ここが今バタバタしてるのは、食料を盗んだやつがいるからなんだよな。つまり元凶は盗み食いの犯人ってわけだ。だからコックリさんで犯人をあぶりだす。どうだ、名案だろ?」
「ローチ……あんたコックリさんは絶対にやらないって言ってたじゃない」
丸くなったままのヌメルの問いに、ローチは鼻を鳴らす。
「気が変わった。コックリさんは絶対に正しくて、みんな信じるんだろ? 俺に相談なしでワープを決めるぐらいだしな? だったら窃盗犯だってきっとコックリさんが当ててくれるし、結果にだってみんな納得するだろ?」
ローチは立ち上がると、僕が立っていた通路の壁を再度殴った。壁はついに耐えきれずに穴が開いてしまった。彼がここで披露する怪力は、僕らを委縮させるには充分だった。
「どうなんだ? やるのか、やらないのか、どっちなんだ? えぇ?!」
こうして、僕らは四度目のコックリさんを行うことになった。不承不承に。
***
コックリさんの儀式が始まった。展望室のテーブルにいつもの儀式の道具を揃え、ディスクにメンバーの指を乗せる。
――コックリさん……コックリさん……どうぞおいでください……――
今回の儀式は六人全員が参加だ。ローチも加えてやるのは、始めてコックリさんをやって以来のことだ。あの時は他愛もない遊びのつもりでやっていたのに、いつの間にこのような意思決定の手段になっていたのだろうか。
――おいでになられましたら……『はい』へお進みください……――
六本の指がのせられたディスクは、ゆっくりと『はい』へ進んだ。
「いつ見ても気色悪いぜ。頭で理屈はわかっててもよ」
「ローチ、儀式の間は黙ってて」
ヌメルは苛立たし気にそう言った。ローチは我関せずと、ディスクに向かって質問を発した。
「食料を盗み食いした犯人は、誰だ?」
ディスクはゆっくりと這い進み……答えを導き出した。
『いけすなーぐ』
「ちっ、違う! 私ではナい!」
慌ててテーブルから離れようとしたイケスナーグの手首を、ローチの手がつかんだ。
「おっと。コックリさんにお帰りいただくまでは指を離しちゃいけないんだからな」
なんとか逃れようとするイケスナーグを、ローチは残りの五本の腕でむりやり押さえつけながら儀式は終了した。
そしてその瞬間、ローチはイケスナーグを壁際まで投げ飛ばした。ふさぎかけていた傷から再び銀色の血が流れる。
「やっぱりな。ロクロッシュ星人は平気で異星人を踏みにじれる野蛮人だったんだな」
ぐったりとして動かない友人を、ローチは抱え上げた。
「これからこいつを船外に捨ててくる。お前らは部屋に戻るなりなんなり好きにしろ。ただし、これからはすべて俺の指示通りに動くんだぞ! いいか!」
船外へ捨てる。一瞬耳を疑ったが、僕はすぐさま
「ローチ! それだけはダメだ! コックリさんの結果がどうであろうと、イケスナーグが食料を盗んだという証拠なんてどこにもないじゃないか!」
「お前だってコックリさんに参加したんだろうが! あれは俺たち全員の意志だ! 証拠なんてこの際どうでもいい! 俺たちは全会一致でイケスナーグを裁くと決めたんだ!」
そう言いながら、ローチはイケスナーグをずるずると引きずっていく。床に銀色の血痕を残しながら。
「頼む……ヤめてくれ……本当に私ではナいんだ……」
イケスナーグの力なき訴えは僕にも届いた。しかしその場の誰も動けなかった。空腹と息苦しさが僕らから活力と、勇気と、正義を奪っていた。そしてなにより……
そうこうしている内に、ローチは船外へ通じるエアロックを開け、イケスナーグを乱暴に放り込んだ。エアロックは内側と外側の二重扉になっている。ローチは内側のドアを閉め、緊急時のために設けられた外側の扉の開閉ボタンに指をかけた。
「あばよ、石くず野郎」
ボタンが押されると同時に、外側の扉が開く重々しい音と、エアロック内の空気が一気に放出される破裂音が聞こえた。そしてすぐさま外側の扉は閉められ、すべては終わった。
※※※
イケスナーグが追放されてしばらく。
部屋に戻った僕はベッドに横たわると、こらえきれずに嗚咽を漏らした。
頭からイケスナーグのことが離れなかった。宇宙に放逐され、手足をじたばたさせながら窒息していくイケスナーグのイメージが、実際に見たかのように生々しく脳裏に浮かぶ。
彼はこうして死んだに違いないのだ。そして僕は友人を見殺しにした。同じ友人が彼に手をかけるのを悠々と見過ごし、あまつさえ心の隅でこんなことを考えていた。
これで、食料と空気を節約できる。一人分。
かけがえのない友情より自らの生き残りを選んだ。イケスナーグを殺したのはローチだが、僕や他のみんなも同罪だ。
僕らは生存本能の悪魔になったのだ。友愛をかなぐり捨てて。
筆舌に尽くしがたい後悔と罪悪感に咽び泣いていると、背後に気配を感じた。誰かがこの部屋にいる。いつの間に、誰が来たんだ?
顔を上げて背後を確認する。
ユリが、いた。
星間シャトルの事故で、星になってしまったはずの僕の妹。
ピンク色の幼児用スペーススーツ、可愛らしいポニーテール、天使のような笑顔……何もかも、あの時のままだ。
あぁ、ユリ。やっぱりお前だったんだね。
酸素不足による幻覚だろうとわかっていても、失った家族との再会に、僕は貴重な水分が目から流れ落ちていくのを許した。
するとユリは、後ろに組んでいた手を前に持ってきた。その手の平には、盗まれたはずの携帯用栄養食があった。
ユリ、それはお前が取ってきたのかい? 駄目じゃないか、そんなことしちゃ。
それだけではなかった。ユリの手からは様々な食料品があふれ出した。真空パックされたローストビーフ、固形オートミール、小型
ざっと三人分の食料が床にこぼれた。ユリは僕にまた微笑んだ。言葉はなくとも、彼女の言いたいことはすぐにわかった。
そうだね、一緒に食べような。どうせバレたら殺されるだけだし、いっそ黙って処分してしまおう。
僕は夢中で食料を食い漁った。食って、食って、思いっきり腹を満たした。
ユリ、ありがとな。おかげでお兄ちゃん、元気が出てきたよ。
今度こそ、最後までお兄ちゃんがお前を守ってやるからな。
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