第11話 神の世界

「バハメグさん、私はいつも……むなしいのです」


 デアゲネスは帯をほどくと、そのまま白衣を脱ぎ落した。生まれたままの姿になった彼女へ、ステンドグラスの光が美しい彩りを添える。


「人類が偉大なるパナギアと争って幾百年……それ以来、人類は孤独に宇宙で暮らしてきました。リジェネレーションセロイドの発明によって死を克服しても、星の海で生きていくには機械に頼らざるを得ない。しかし人類はかつての敵を忌避した。生理的な嫌悪感すらその身に刻ませてしまった。乗り物は合理性をかなぐり捨て生物の形を取り、人工知能やロボットはただ命令に忠実なだけの、低級なものだけとなってしまった」


 優しく語りかけてるデアゲネスに、バハメグは動けなくなっていた。彼女から発せられる神々しいまでのオーラが、彼をつかんで離さなかった。


「どうしてこんなことになってしまったのでしょう……人類は自らのために、かけがえのないパートナーを作り出したというのに……彼女さえいてくれれば、人類文明が衰退に向かうことなどなかったのに……」


 デアゲネスはバハメグを抱きしめた。そして赤子をあやすように頭をなでた。


「わかりますか……私の中に流れる……命のぬくもりが」


 裸の聖女はバハメグの耳元に口を寄せ、ささやいた。


「あなたにも見せてあげましょう。私が見ている、神々の世界を」


 その瞬間、バハメグの脳内に膨大なイメージが流入した。


 緑色に光るオリオン座。ヘビと人間の交接。湖から飛び立つ羽根つき首長竜。山脈から生まれ出るタイヤ。キノコ雲を美味しそうに飲み干すヨロイアロワナ。


 バハメグの意識は肉体から飛び出し、空間と時間を超えたすべてに拡散した。全宇宙が彼と一つになり、自我は小さな火の玉となって、新たな魂となるためビッグバンを起こした。


 バハメグは歓喜の叫びをあげた。これまで体験したことのない快感と幸福感が、暴力的なまでに注ぎ込まれてゆく。


 気が付いたときには、バハメグはデアゲネスの胸に顔をうずめ、嗚咽を漏らしていた。


「デアゲネスさん……いまのは……?」


「これがわたしの垣間見る神の世界。つまりパナギアの世界です」


 デアゲネスは男の流す涙を、舌で舐め取った。その味は生命に満ちあふれた海を彼女に想起させた。


「パナギアは、たったいまあなたが体験したような世界から、我々を見守っていたのですよ……」


 バハメグは救世主を見つめた。彼の中には、もはや燃える野心も、出世欲もなかった。ただ穏やかな使命感のみが、バハメグを突き動かそうとしていた。


 「わかったような気がします……英知の世界とは……美しい……あなたは……これをみんなにも体験させ……人類を救おうとしているのですね?」


 救世主はこくんとうなづいた。


 「美しい……美しい……人類がパナギアの加護の元……再び一つに……美しい……美しい……」


 バハメグはただひたすら、美しいという単語を繰り返した。


 デアゲネスが星間連合の関係者に神の世界を垣間見せたのは、これが初めてではなかった。パナギアの加護を信じた者は、以降レウクサンドリア財団に非常に協力的になる。連合内でレウクサンドリア財団のシンパが増えていっているのは、財団の持つ権力に惹かれるのに加え、彼女自身に心酔する者が増えているからに他ならない。


 バハメグは後に、星間連合常任理事会へこのような報告書を提出した。


 『レウクサンドリア財団は、連合にとって脅威ではない。彼らが保有するテクノロジーと財団を率いる人格者デアゲネスは、必ずや連合に計り知れない利益をもたらすだろう』


 未だ恍惚とするバハメグを抱きしめながら、デアゲネスは別の人物に想いをはせていた。


 エンゼル……私の大好きなエンゼル……あなたはいま、どこにいるのかしら。


 もう一度、あなたに会いたい。神に選ばれた神童、天使の子。


 この世で最も愛おしい、わたしの……。

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