第6話 ハイアムズの星の下で

 頭上に幾千の星が瞬いていた。宝石がまかれた夜空には、長大な天の川が流れている。そして空の中心にある北極星の光は、その中で一際輝いていた。幼いシルヴィは、一つの星も見逃すまいと、ダイヤモンドの世界を隅々まで眺めまわした。


 「見えるかい、シルヴィ? あれがこの星での北極星、ハイアムズだよ」


 小さなシルヴィを抱きかかえながら、バニヤがハイアムズを指さした。シルヴィにとって、父親の胸元からの星空観賞は格別のものだった。


 「お父さん、ハイアムズはここからだと何光年先なの?」


 バニヤは栗色の髭をしごいた。


 「五六〇光年だよ。だから僕たちが今見ているハイアムズの光は、五六〇年前に発せられた光というわけだ。わかるね?」


 シルヴィは満面の笑みを浮かべた。


 「うん、それぐらいジョウシキだもん! それに、五六〇光年ならそんなに遠い場所じゃないね。あたし達の船なら二回のダイビングで行けるでしょ?」


 「確かにそうだ。でもね、シルヴィ。光はこの世で最も速く、しかもどんな場所でも速度が変わらないんだ。そんな光でさえ、あのハイアムズに行くには五六〇年もかかるんだ。そう考えれば、この宇宙がいかに広大か、実感がわくだろう?」


 美しい銀色の髪の娘は、たくましい父親の腕の中で激しく頭を振った。


 「うん! 宇宙ってすっごく広い! 光さんもダイビングできれば楽なのにね!」


 親子は天の川の下で笑いあった。ひんやりした夜の空気に包まれているというのに、お互いの温もりでそんなことも忘れてしまっていた。


 「ねぇ、お父さん」


 シルヴィは父親の胸に顔をうずめた。


 「なんだい、シルヴィ?」


 「あのお星さまの中に、チキュウってところはあるの?」


 優しい父の顔が一瞬曇った。しかしすぐに元の笑顔に戻った。


 「チキュウかぁ……お父さんにもわからないな。シルヴィ、お前はひょっとして、チキュウに行ってみたいのかい?」


 無邪気な娘は、こくんとうなずいた。


 「うん。だって、チキュウにはあたしたちと同じ人たちが暮らしてるんでしょ? パナギアに選ばれた人たちが」


 今度はバニヤも苦悶の表情を隠しきれなかった。娘を愛おしむ瞳には、同時に憐みがにじみ出ていた。


 「シルヴィ。チキュウはあると私も信じたい。でも、もう誰もその座標を覚えていないんだ。記録にさえ残っていない。みんな遠くの星に行くことばかり夢中になってしまって、故郷の場所すら忘れてしまった。いや、覚えておく必要もないと思ったのかもしれない」


 バニヤはシルヴィの頬を撫でた。


 「それに、お母さんのいうことを真に受けちゃだめだ。パナギアは確かに偉大だ。でもお母さんがいっていることは間違いだ。パナギアは、神は人を選ぶような真似はしない。頼むシルヴィ、私を信じてくれ」


 バニヤはシルヴィを抱きしめた。シルヴィは父親に身をゆだねながらも、彼のSDスーツを小さな手でギュッとつかんだ。


 「それじゃあ、どうしてあたしはこんな髪の毛で生まれたの? どうしてこんな瞳の色なの? お母さんは、パナギアがあなたを選んでくれたからだっていってくれたよ。それに……」


 幼い我が子の目に涙が溜まっていくのに、バニヤはいたたまれなくなった。

 

 「あたしは、ずっとみんなと一緒にはいられない。パナギアに選ばれたから、あたしの命はいずれ神にささげられるって。そしたらずっとあたしは一人だって」


 「一人になどするものか!」


 バニヤはシルヴィを力強く抱きしめた。


 「父さんがずっと一緒だ! お前がどこにいようと」


 娘もまた、父親にすがりつくように泣いた。


 「うん。ねぇお父さん。大きくなったらあたし冒険家になって、そのチキュウを見つける! そこでお父さんとお母さんと、あたしが暮らすお家を作るの! それからお友達もいっぱい!」


 夜空に幾千の星が瞬いていた。宝石がまかれた河原には、長大な天の川が流れ込んでいた。そして空の中心にある北極星は、さらに輝きを増した。


 この美しさは永遠だった。少女にとっては、父からの愛情と同様に。

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