第39話 幕舎での一夜

 その後、何も起きることなく歩き続けた一日を終えた一軍は、辿り着いた山の麓で野営し、簡素な食事をとって就寝した。

 地面にも天幕を敷いて温かくした幕舎は見かけよりは居心地が良く、少なくともお調子者や不平家は熟睡していた。


 普段通りならきっとミンギルも寝ていたはずだったが、その日はなかなか眠れなかった。


 毛布を被せた寝袋に包まって十分に暖まり、ミンギルは天幕で遮られた暗闇を見上げて瞬きをする。


(夜になって、風が出てきたみたいだな)


 周囲の寝息に耳を澄ませていたミンギルは、聞こえてくる音から外の天候の変化を感じた。


 最近はずっと目の下にくまを作っているテウォンが、十分な睡眠をとれていないのはわかっている。


 だがミンギルはすぐそこに他人が寝ているのに、テウォンに話しかけたり触れたりするのがはばられて、背を向けて眠るテウォンの方を見ては目を閉じることを繰り返していた。


 そして他に特に考えることがなかったミンギルは、テウォンの後頭部を見つめながら、自分の人生について振り返ってもみた。


 ミンギルは正義や正しさというものを信じたのではなく、百姓よりも兵隊のほうが格好良い気がして、また暮らしも豊かに思えたので、軍隊に入って生きることにした。

 そうした即物的な動機を持っているミンギルにとっては、良いと思える気分がすべてであり、その気分が完全に損なわれたなら、戦場に身を置く理由は何もなかった。


(じゃあもう、こんな戦争やめて逃げるか。テウォンだって戦争から離れれば、また元気になるだろうし)


 真面目に国家や思想について考えていたわけではないミンギルは、枕代わりに背嚢リュックに頭を預けて頷き、いとも簡単に考えを翻した。


 兵士個人が戦うことをやめて戦場が逃げ出すということの意味の重さを、あまりよく覚えていない軍規の厳しさ以上に熟慮することができないミンギルは、何の思考の引っ掛かりもなくテウォンと二人で逃走する未来を呑気に想像する。


 軍隊という組織を裏切る選択が人を選ぶものであり、もしかするとテウォンには受け入れ難いかもしれないことを、ミンギルは理解していなかった。


(明日、頑張って一番に早起きして、テウォンに話してそうしよう)


 考えがまとまったミンギルは、寝袋に収まったテウォンの背中を見つめて、目を閉じた。


 すぐ側にテウォンがいてもミンギルは肝心なところで想いを察することができず、結局言葉を交わさなければ何もわからない。

 だが二人っきりで生きていた昔と違って、今は話したいときに話せるわけではなく、テウォンと自分の見ている世界がずれていることにミンギルはまだ気付けなかった。

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