第37話 殺戮を行う側
独裁者からの解放を喜ぶはずの人民の冷ややかな反応を前にして、少なくともミンギルとテウォンのいる分隊は、もはや戦争の大義というものをあまり信頼しなくなっていた。
しかし国の成り行きを決める政治家たちは、共和国の最高指導者も南朝鮮の大統領もどちらも戦争がそのまま終わることを望まず、同盟国とともに戦い続けることを選んだ。
また米軍は大敗の屈辱を晴らす方法を考えていて、中国軍も指導者の息子が戦場で命を落とすほどに戦争に深入りし、どちらも朝鮮で戦うことに大きな意義を見出しているらしかった。
朝鮮に住む人々の平和を望む心は無視されて、様々な都合によって戦争は続く。
だから朝鮮人民軍の兵士であるミンギルとテウォンと他の分隊の仲間は、自分たちよりも偉い誰かが決めた命令に従って、敵とされる人々を殺し続けなければならなかった。
「本当に、皆殺しにしなきゃ駄目なんですよね」
不平家がかなり愚痴っぽい声で、不平を垂れる。
分隊は澄んだ冷たさの冬の青空の下に広がる森林を進んでいて、先頭にいるジョンソは不平家の文句にも苛立つことなく淡々と返事を返した。
「ああ。耶蘇教信者は全員殺せっていうのが上からの命令で、その村は耶蘇教信者の村らしいからな。この前の虐殺みたいなことを起こされたら困るだろ」
ジョンソは真面目に物事を考える男ではなかったが、やるべきだと思ったことは真面目にやる男であった。
そのため中隊を率いる人物が、所属する分隊にそれぞれ担当する区域を割り振り、住む住民の殲滅を命令したことも、ジョンソは当然のように受け入れている。
だがミンギルとテウォンを含め、他の五人はあまり納得できているわけではなかった。
「でも皆が皆、暴力的な信者ってわけじゃなくないですか?」
「それもそうだが、いちいち区別なんかしてられないから仕方がない」
自分たちは殺す必要がない人々を殺すことになるのではないかとお調子者が懸念を伝えても、ジョンソは適当に受け流す。
三人のずれた会話を聞きながら、ミンギルもまた腑に落ちない気持ちを抱えていた。
(住民を全員殺すってことは、小さい子供も殺すってことだよな。それはやっぱり、おかしいんじゃないのか?)
なぜ自分たちが敵兵ではない同胞の住民を皆殺しにしなくてはいけないのか。
ミンギルはその理由をテウォンに訊ねてみたかったが、今日のテウォンはいつもにも増して口数が減って死んだような顔をしているので、なかなかいつものように気軽に話しかけることは難しかった。
ずっとミンギルの側を離れず歩いているのは普段通りなのだが、皆殺しの命令を聞いてからのテウォンは、まるで夜道の闇を恐れる子供のように不安げである。
やがて分隊は森と人の住む場所の境目に置かれた木彫りの
しかし点在する簡素な木造の民家には、人の気配はなかった。
「誰もいないように見えますね」
逃げ出して住民がいないことは珍しいことではないので、不平家はこれなら自分たちが望まない殺戮に手を汚す必要はなさそうだと明るい声を出す。
だが先行して奥の方の様子を見てきたお調子者と同意する男が戻ってきて、残念そうにジョンソに報告した。
「どうやらこのあたりの人は皆、あの建物に逃げてるみたいです」
お調子者が指さした先には、周囲の民家に比べると同じ木造でもかなり立派な二階建ての建物があって、瓦葺きの屋根の上には金属製の十字架が掲げられているのが見えた。
素朴で質素な伝統的な暮らしが送られていたはずの村の中で異彩を放つ、重厚なその建物を眺めて、ジョンソは大きく頷いた。
「あれは耶蘇教の教会だな。あそこにいるということは、全員耶蘇教信者ということだ」
そして乱暴に結論付けると、ジョンソは議論もなく自分たちが今から何をするべきかを決めた。
「あの建物から人が逃げ出さないようにして火をつければ、今日の俺たちの仕事はだいたい終わりだ」
ジョンソは何でもないことのように、ひどく残酷な提案をしている。
銃で人を撃ち殺すよりも簡単で、だからこそ非道で救いのない方法に、ミンギルは反射的に拒絶を覚えた。
(あんなに立派な建物なら、信者じゃなくても逃げ込みたくなるかもしれんだろう。金持ちってわけでもなくて、反撃してくるわけでもない人を殺す必要なんかなくないか?)
ミンギルは兵士として敵を殺すことは問題ないと考えているのであって、敵と思えない自分とは無関係の貧しい人々を殺すのは根本的に嫌だった。
かつて痴情のもつれで人を殺したジョンソの過去はジョンソ本人の問題として受け入れることができても、これから一緒に無差別に人を殺すとなるとまた話は別である。
だからそれまではずっと黙っていたミンギルも、とうとうジョンソに反論した。
「抵抗せずに逃げて閉じこもっとる人たちを殺すのは、ちょっと違うと思うんですが」
ミンギルは正直に言うと自分と似ているところもある気がする、ジョンソの怜悧な瞳を見つめてはっきりと言い返した。
意外な人物の反応に、ジョンソは驚いて目を見開いたが、それは一瞬のことだった。ジョンソはすぐに元の酷薄な表情に戻って、自分の中で成立している理屈を並べた。
「リム
身も蓋もないジョンソの意見が、冷たい空気に響いて消える。
かつて自分が信じたものに裏切られたジョンソは、今は面倒事を避けて生き延びていくという利己的な方針に対してとにかく誠実で、その他の社会的な倫理は二の次だと思って生きているようだった。
そしてそのジョンソの姿勢は、軍隊という組織の中でやっていくための一つの結論としては、ある種の筋の通った説得力が宿っている。
過酷な戦場で死なずに生き抜くしぶとさと引き換えに、人間として大切なものを捨てているジョンソの
部下である五人は、しばらくジョンソに何も言い返さず黙っていた。
テウォンもただ俯いて黙っていて、ミンギルとも言葉を交わさない。
嫌なら嫌と言うこともできたはずなのだが、テウォンはミンギルと違ってなまじ頭が良いためにすべてを最初からわかってしまっていて、感情で発言することができないようであった。
しばらくの間続いた少々長いその沈黙を破ったのは、それまで言葉を控えていた同意する男である。
「俺は、分隊長に従っても良いと思う。命令に従わなくて、敵の仲間じゃないかって疑われるのは困るから」
同意する男はジョンソに同意しつつも、自分の意見も述べていた。
味方に味方のままでいてもらうためには、不条理な命令にも従わなくてはならないという彼の意見は、ジョンソと同じことを言っていても受け入れやすいものだったので、残りの四人も何とかそれで納得したということにした。
やることが決まった分隊の六人は、まず空き家の一部を壊して木材を手に入れて、教会の出入り口を塞いだ。
窓の中は暗くよく見えなかったが、確かに人がいる気配はする。だが特に外に出てきて敵を攻撃しようという動きはなかったので、余計に中にいるのは戦う力のない人々なのではないかという思いが強くなった。
それから火付け石で熾した小さな火を落葉等で大きくして、建物に火をかけるのに十分な強い炎を作る。
「よし、じゃあもうそろそろ燃やすとするか」
最後はジョンソが頃合いを決めて、全員で民家を壊して作った太い木材を
手元の松明は明るくて熱く、これで焼かれるのは辛いだろうと思わせる。馬鹿なミンギルでも、焼死が苦しいことは知っている。
まずジョンソが一番に燃えやすいように集めた藁から点火し、続いて他の五人が嫌々適当に松明の炎を壁に近づける。
火をつける瞬間にテウォンの表情がひどく苦しげに崩れたのをミンギルは見逃さなかったが、何か声をかけようとしても、自分たちのしたことの結果からまず目を離せなかった。
良く晴れて乾燥した、風がやや強い冬の日であったので、教会につけた火はすぐにぱちぱちと音を立てて大きくなった。
黒い煙が空へ立ち昇るのを見上げながら、ミンギルは建材が焼け焦げる臭いにくしゃみをする。
白い漆喰の壁と柱が美しく優美な教会が青空の下で燃えていく様子は、端から見る分には華やかで綺麗で、適切な距離を取れば暖かで寒い日には気持ちが良かった。
だが中にいる人がこれからどういう目にあうのかを考えると、ジョンソ以外は暗い気持ちになって口を噤んだ。
やがて炎上していく教会の中から、何人もの声が重なった歌が聞こえてきた。
ミンギルが聞いたことがない旋律のその歌は、どうやら神に祈りを捧げるためのものであるようだった。
「これは賛美歌だな。賛美歌を歌うということは、やはり耶蘇教の信者で間違いない」
ジョンソは冷静に歌が聞こえてくる意味を考えて、自分の判断が間違いではなかったと結論を下す。
だがその歌声には明らかに子供の声が含まれていて、たどたどしく満足に歌えていない人もいるようだったので、他の五人はジョンソのように自分たちのしたことが正解だとは思えなかった。
(おれの知ってる神様は、おれたちを幸せにしてはくれなかったが、ここまで不幸にもしなかった)
悲痛な歌声を聞きながら、ミンギルは故郷で広く浅く信じられていた
人々の暮らしに関わる山を守護するその神のことを、ミンギルは熱心に信じていたわけではなかったが、信仰が人を不幸にするものだと思ったことは一度もなかった。
だが今、目の前にある見知らぬ信仰は、信じる人も信じない人も不幸にしているように見えて、ミンギルの価値観を混乱させる。
その部下たちの動揺に気づいているのか、それとも単に話したくなっただけなのか、ジョンソは空気を読まない無遠慮さで、また口を開いた。
「別に気に悩むことはないんだぞ。あの人たちの教えだと、ちゃんと信仰を守って真っ当に生きて死んだ人は、天国っていう極楽浄土みたいなところへ行けるということになってるんだ。だから俺たちはあの人たちを殺したんじゃなくて、天国というところに送ってやったと考えろ」
真昼の炎に照らされたジョンソの横顔は冗談めかした笑みを浮かべていて、彼が欠いているものの大きさを物語っていた。
少しはジョンソに心惹かれていたミンギルは、彼が妙に饒舌なのは後ろめたさがあるからではないかと思うこともできたが、それにしてもひどい言い分なのは確かである。
隣を見てみるとテウォンは炎が作ったミンギルの影にいて、耳を塞いで目を瞑り、ただでさえ小さいのにより小さくなって震えていた。
ミンギルはそのテウォンの両手に自分の両手を重ねて、周囲の音が聞こえないように気遣った。
十分にテウォンを守ったと思えてから、ミンギルはジョンソの方を向いて、頭が働かないなりに皮肉を考えて込めてそっと問いかけた。
「じゃあその教えを信じず、悪いことをして生きとる人はどうなるんですか?」
「もちろん悪人は、死んだら地獄行きだ。でも俺たちはあの人たちの信仰を信じてないから、それは気にしなくても良いだろ」
赤い炎を映したジョンソの切れ長の瞳は、いつもにも増して冷たく見える。
ジョンソの言う通り、その場で炎の外にいる者たちの中には、燃やされている人々が祈りを捧げる神を信じている者はいなかった。
賛美歌に矛盾を感じるミンギルも、震えて何も聞かず何も見ようとしないテウォンも、眼の前で死んでいく人々の信仰に共感するところはない。
不平家もお調子者も同意する男も、その点についてはミンギルとテウォンと同じ立場で、困惑と恐怖が入り混じった表情でただ眼の前で起きていることすべてを恐れていた。
「まあ、耶蘇教の信者が全員神様とか天国とかを信じているわけじゃなくて、教会が食べ物をくれるから入信しただけの人も多いらしいけどな」
そしてまた、斜に構えた態度をまったく崩さないジョンソが、さら余計な情報を付け足して、部下たちの表情を曇らせる。
(じゃあやっぱり、この燃える教会の中にいる人も敵じゃないかもしれんじゃないか)
ミンギルは信仰の内容はまったくわからなかったが、与えられる食べ物のために信者になる気持ちは理解できた。
しかしそのことを口にすれば、自分たちの罪をより重くしてしまう気がしたので、ミンギルは口をつぐんでいた。
その後は、ジョンソも誰も、何も話さなかった。
やがて賛美歌が悲鳴やうめき声になって、何も聞こえなくなるまで、六人は炎に包まれる教会を囲んでいた。
炎が服や肌を焼いて肉を燃やし、煙が息を詰まらせる死に方の苦しみについて、ミンギルは深く考えたくはなかった。
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