第33話 誰かが殺した死体

 中国人民義勇軍は押すか引くかの判断を巧みに下しながら前進し、十二月シビウォルの初めには平壌ピョンヤンを奪還してさらに沙里院サリウォンに迫る。


 日に日に寒さが増していく中、ミンギルとテウォンのいる分隊はその日、所属している中隊とともに、中国軍による反転攻勢によって米軍と南朝鮮軍が退却した朝鮮半島の中西部のあたりを進んでいた。


 戦闘を避けて敵が立ち去った後の、山間部を外れた場所の移動であるので、道中に問題はあまりなかった。

 だが一日の終わりにある村に立ち寄って休もうとしたとき、朝鮮人民軍の兵士たちはその場所で異常な事態が起きていたことを知った。


 住民が逃げ出して誰もいないことならよくあるのだが、その村は家の中も外も、至るところに住民の死体があったのである。

 性別や年齢を問わず殺されているその死体の数は、ぱっと見ただけで数十人を超えていて、全員数えたらどれくらいになるのかまったく見当がつかないほどであった。


「一体どういうことだよ、これは」


「そりゃ民間人が死ぬことだってたまにはあるだろうが、ちょっと数が多すぎやしないか?」


 休耕の季節の田園の静寂や立ち並ぶ伝統家屋の牧歌的な雰囲気とはまったく噛み合わない惨状に、兵士たちは訝しんだ。

 中国兵が殺したとわかっている米軍や南朝鮮軍の兵士の死とは違う不気味さが、その村の住民たちの死にはあった。


 しかも死体は銃で撃たれた者だけではなく、抵抗できないように縄で身体を縛られ殴り殺された者から、首を切り取られた者まで様々な死因の者がいて、中には明らかに拷問された形跡がある者もいた。


 幸い真冬であるために腐敗臭は少なかったが、あまりの惨状に吐き出す兵士も出はじめる。


 ミンギルとテウォンのいる分隊も、ミンギルと分隊長のジョンソ以外は全員、異様な大量死を怖がって身体をすくませ、俯いたり他所を見たりして目をそらした。


 特にテウォンの怯えようはかなりのもので、途中で地面にしゃがみこんだまま立ち上がれなくなって、胃の中のものが無くなるまで吐き続け、その後もずっと嘔吐えずいていた。

 ミンギルは側に屈み込み、テウォンの背中をさすったが、どんな言葉をかけたらいいのかはわからなかった。


(おれだってこんなに人が死んどったら少しは怖いけど、死人が蘇っておれたちを殺すわけじゃないし……)


 理由がわからない不気味さは感じるものの、差し迫った危険がない状況では、ミンギルは殺戮の痕跡を過剰に怖がるテウォンの気持ちを理解することができない。


 ミンギルが顔を上げて他の三人を見てみると、お調子者や同意する男はテウォンほどではないにしろ動揺し続けていたが、不平家は比較的平常心を取り戻している様子だった。

 不平家は理由さえわかれば恐怖が薄れるという様子で、一番わかっていそうな雰囲気で腕を組んで立っているジョンソに訊ねた。


「何なんでしょうか。これは」


「誰がやったのかは知らないが、これは多分外国人が言う虐殺ジェノサイドってやつだな」


 期待されていたほど事情を理解しているわけではなかったが、ジョンソはとりあえず大勢の人々の不可解で無惨な死に方の名前を教えてくれた。


「これが、虐殺ジェノサイド……」


 テウォンの背中をさするのに飽きたミンギルは、ジョンソが言った言葉を繰り返して呟き、そっと立ち上がって周囲を見回した。


 夕暮れの赤くなった空の色が血の色に見えるほど、あたりは死と死の気配に満ちている。


 様々な死体がある中で、民家の塀の影に打ち捨てられるように横たわって死んでいる七、八歳くらいの少女の姿が、ミンギルの目を引いた。

 周囲には母親らしき女性の死体や兄妹らしき子供の死体もあったから、おそらく家族で皆殺しにされたことが伺えた。数え切れないほどの死体がある中で、ちょうど少女のその手がこちらに何かを求めているように向けられていたので、ミンギルは彼女が気になった。


 ミンギルが近づいて見てみると首のあたりに紐の跡があったから、絞め殺されたのだと思われた。つぎはぎだらけの野良着を着た小さな少女の手足はやや細いけれども健康そうで、苦しげな死に顔は彼女の死が異常なものであったことを物語っている。


 その少女の死体を見てやっと初めてまともに、ミンギルは自分を重ねることができない他者の死にやるせなさを覚えた。


 代償を払わなくてはならないような恵まれた出自というわけではなく、貧しい一生を懸命に生きていた何の罪もない少女が命を奪われる理由はどこにもないはずだと、ミンギルは理不尽さを感じる。


(こういうちゃんと可哀想な子供なら、おれだって守ろうと思えるのに)


 自分たちよりも幸せな存在に冷淡なミンギルも、弱く貧しい無力で不幸な死者には同情を寄せることができる。


 だからミンギルは少女の恐怖に見開かれた両目に手を伸ばしてまぶたを閉じさせようとしたけれども、時間が経ちすぎているせいか上手くいかなかった。


 寒冷地に生まれ育ち相当な寒さに慣れているミンギルも、死んだ少女に触れた瞬間には、背筋に冷たいものが流れ込んだように体中に寒気が走った。

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