第28話 初戦闘

 だらだらと長い坂道を登りきったところにミアリ峠はあり、振り向けば炎上する京城ソウルが一望できるはずだったが、ミンギルは道の脇に立っているまだ無事な家屋を見る暇もなかった。


 全員がただ逃げることに集中していたため、ミンギルが何とかミアリ峠を越えて街の外れの森に身を隠したころには、分隊は誰がどこにいるのかわからなくなっている。

 だがどれだけ他の仲間がばらばらになっても、ミンギルとテウォンだけは二人一緒のままで側にいた。


「まだ、歩けるか?」


 起伏のある道を長いこと走って息があがっているテウォンを気遣って、体力の余裕はあるミンギルは歩をゆるめて様子を伺う。

 少し後ろいるテウォンは逆にミンギルの隣に並ぼうとして、歩みを早めて返事をした。


「だって行かなきゃ、死ぬだろ」


 焼け野原にされる市内の光景にすっかり怯えたテウォンは、以前に山道を走る車に乗って酔ったとき以上に真っ青な顔をして、木と木の間を手でつたってぎこちない足取りで進み続けいる。

 一方で無駄死にはしたくはないが、それと同じくらい惨めに生きたくもないミンギルは、戦場ではテウォンよりは冷静に自分たちに許された生き方について考えていた。


(本気で降伏すれば生かしてはもらえるのかもしれんけど、その後のことを考えるとやっぱり嫌だよな)


 生き残ることが大事だが、生きていれば幸せというものでもないと、ミンギルは逃走はしても降伏は選択肢から排除する。


 伐採はされていても葉が生い茂る季節の森は暗く鬱蒼としていて、敵から身を隠すことができる建物がすべて壊されていた市内に比べればずっと気分が落ち着いた。

 今のうちにテウォンの荷物を引き受けてようかと考えて、ミンギルはまた話しかけようとした。


 しかしそのとき、自分たちではない人の気配を木々の茂みの向こうに感じたので、ミンギルは黙った。


 もしかするとはぐれた分隊の誰かがいるのかもしれないと、頭の半分は楽観的に考えている。だがもう半分の頭は警戒するべきだと、緊張感を強めていた。

 

 ミンギルが神妙な顔で担いでいたカービン銃に手をかけて立ち止まると、テウォンも休憩などではないことを理解してそっとミンギルと距離を縮める。

 だが木々の向こうにいる誰かは二人に気づいていないようで、そのまま茂みを越えて近づいてきた。


 歩いてきたのは、直前まで敵を警戒するのを忘れていた様子の、南朝鮮軍のヘルメットを被った三人の兵士だった。

 市内よりも森林の方が安心できるのは敵軍も変わらないらしく、彼らは本当に虚をつかれた表情をしている。


(これは、勝てる相手だな)


 先に銃を構えていたミンギルは、考えるよりも先に引き金を引いて敵を撃っていた。

 訓練以外で初めて銃声を鳴らしてみれば、標的用の板の代わりに敵の胴体に穴が開く。


 そして間の抜けた驚きが張り付いたままの顔で、一人の兵士が倒れていった。


 遭遇した相手の迷いのない攻撃に、他の兵士は慌てておそらく米帝製であろう銃を構えだす。


 敵がやや遅れて戦闘態勢を整える一方で、ミンギルとテウォンに支給されているカービン銃は連射ができない構造で、毎回ボルトを引いて弾丸を装填する必要があった。


 だからミンギルは最初の一撃を終えるとすぐに、テウォンの手を掴んで引っ張って屈ませ、二人で太い木の幹の後ろに隠れる。

 そして素早くボルトを引くと一瞬だけ遮蔽物の影から相手を覗いて、スイカのようなヘルメットのすぐ下にある二人目の眉間を撃ち抜いた。


 妙にゆっくりと流れている気がする時間の中で、ミンギルは間違いなく敵の頭に銃弾が当たったことを感じ取る。

 そのまま相手が銃弾に倒れるの目にする前に、ミンギルは木陰に隠れて次弾を装填して三人目を狙った。


 だが三人目は最初の二人が殺されている間にミンギルたちのすぐ近くまで移動してきたらしく、小柄で非力に見えるテウォンを人質として抑えることで何とか状況を打開しようとしていた。


 間違えてテウォンを撃ってしまわないように注意しながら、ミンギルは銃を構える方向を変えた。


 だがしゃがんで木の幹に隠れていたテウォンは、敵に掴みかかられる前に震えながらも自分が持っていた銃の引き金を引いた。

 ごく至近距離の銃撃であったので、テウォンは弾を外さずに相手の胸のあたりに当てた。


 純朴そうな顔立ちの青年である相手は、即死はせずに痙攣しながらテウォンの上に倒れた。


 ひどく怖がっている様子のテウォンはすぐに青年の身体を押し退けたが、軍服には血の染みがいくつか付着してしまったようである。

 地面に倒れた青年は口や胸から血を流しながら、言葉にならない声を発して目を見開いていた。


 その姿を気の毒に思ったミンギルは青年の側に近寄り、ヘルメットをずらして頭部に銃口を当て、引き金を引いてとどめを刺した。

 銃声が鳴ると同時に赤黒い血や薄い色の脳髄の飛沫しぶきがミンギルの軍靴を汚し、青年は呼吸を止めてぴくりとも動かなくなる。


 苦しげな死に顔は日焼けした労働者のもので、同胞であること以上に貧しい人生を送った兵士としての親近感を感じさせ、ミンギルを微妙な気持ちにした。


(おれとテウォンがもしも南に生まれていたら、きっと南朝鮮軍の兵士になっていた。たったそれだけの違いしかないはずなのに、敵味方になって殺し合う)


 ミンギルは戦場で兵士を殺すよりも、たとえ民間人であっても資本家を殺すほうがずっと気分が良いはずだと思った。


 豊かな生活を送っているらしい異邦人である米兵はともかく、南朝鮮軍の兵士は殺して納得するにはあまりにも立場が近すぎて、思想の違いは知識がなければ意味のないものになる。


 ミンギルは勝てない敵からは無事に逃げて、勝てる敵は確実に殺す兵士としての才能を持っていて、テウォンもミンギルほど強くはなくても自分の身を守るだけの技量はある。

 その事実を確かめることができた結果には安堵していたが、自分たちの持つ力で殺した相手が本当に殺したいと思える相手ではない現実には心が曇った。


 きっと自分たちは優秀な兵士になって戦場で華々しい活躍ができるとミンギルは信じていたが、実際は潰走する戦況の中で人殺しになっただけである。


 どうしてここまでひどく期待を裏切られることになってしまったのか。ミンギルはまったく現状に納得していなかったが、この疑問についてはテウォンに訊ねようとはしなかった。


 テウォンはきっと一生懸命答えを用意してくれるだろうが、それはおそらくミンギルにとって役に立つものではないだろうし、何よりテウォンはミンギルよりもずっと戦場の残酷さに怯えて動揺しているはずである。


 死んだ敵兵の死体を見るのをやめて振り向くと、テウォンは銃をにぎったまま呆然と地面にへたり込んでいた。

 一歩間違えれば死んでいたことが怖いのか、人を撃ったことが怖いのか、それともとどめを刺したミンギルが怖いのか、ミンギルには判断がつかない。


「また敵が来るといかんから、もう行こう」


 ミンギルが声をかけて手を差し伸べると、テウォンは我に返った様子で返事をした。


「ああ、うん」


 どうやら腰を抜かしてらしいテウォンは、弱々しい力でミンギルの手を握り返し、助けを借りることでやっと立ち上がった。

 危うげな表情でも無事に五体満足でいるテウォンをまじまじと見て、ミンギルはほっとして軽口を叩いた。


「背負って連れて行かんと、駄目かと思った」


 背が低くてやせたテウォンは軽いから、腰を抜かして歩けなくなって荷物になっても、それほど困らないとミンギルは思った。

 しかし赤子のように背負われるのはさすがに恥ずかしいらしく、テウォンは顔を赤くしてすぐに言い返す。


「俺だって、そこまで弱くはないからな」


 弱いことは弱いと素直に認めた上で、テウォンは最低限の自立は主張した。


 初めての戦闘に動揺しながらも強がる姿が無性に愛おしくて、ミンギルは唐突にテウォンを抱きしめたくなったが、そんな暇はないので我慢して照れて笑って歩き出すことにする。


 森の地面には三人分の南朝鮮軍の兵士の死体が転がっていたが、彼らを弔うのはミンギルたちの仕事ではないし、歩けば遠ざかって見えなくなった。

 だがテウォンはどうしても兵士が死んだことが気になるらしく、後ろを振り返ろうとして何度もやめて、ミンギルに話しかけた。


「その、ごめん。最後は結局お前に任せて」


「別に、おれは平気だよ」


 瀕死の兵士のとどめを刺したのが自分ではないことを気にしているテウォンに、ミンギルはこともなげに答えた。強がりではなく、本心の言葉である。


 そもそもあの兵士は放っておいたところで必ず死んでいたのだから、ミンギルの一撃はただ絶命を早めただけであるはずだったが、その事実がテウォンにとって救いになるかどうかはわからないので言わずに黙った。


 今まで頼り切って生きてきた分、戦場ではテウォンをできるだけ守りたいとミンギルはささやかに願う。

 一方でテウォンは平然としているミンギルにお礼を言って、取り繕った笑顔で無理に明るくまとめた。


「お前と俺の二人なら、きっとこの困難も乗り越えられるよな」


 想像していたよりもずっと過酷だった戦場の現実を前にしながらも、テウォンは今は辛くても耐えていればきっと幸せになれると信じようとしていた。

 単純に失望の気持ちが強くがっかりしたミンギルは、祖国が言って聞かせてくる未来を疑い始めていたが、他に良い考えがあるわけではないのでとりあえずテウォンに同意した。


「ああ。おれたちは絶対にこの戦争を生き残って、真新しい服を着て、たくさんのおかずと一緒に飯を食べて暮らすんだろ」


 羅南ナナムの兵営での満ち足りた生活を何とか思い出せば、その将来像は言うほど空虚ではないはずだとミンギルは自分にも言い聞かせる。

 まずは生きて仲間を見つけなければ良い未来はないと気持ちを切り替えて、ミンギルはテウォンと鬱蒼と茂る森林を進んだ。

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