第8話 アマオト

 俺と高千穂はバカップル先輩たちが激しくイチャつき出したので慌てて外に出た。


「は、ハハハ……カップルの後なんて付けるもんじゃないな……」

「…………ッ」


 『サクラモール』の駐輪場。

 雰囲気を変えようと誤魔化すために笑ったが、高千穂は顔を真っ赤にしたまま、口元を押さえている。


「初めてなまで見た……ディープキスってすごいんだ……」

「高千穂?」

「え、あ、ううん⁉ 何でもないよ……」


 ブンブンと頭を振るが、顔はまだ赤いままだ。


「それで、これからどうしようか……」

「……そうだね」


 二人、停まった自転車のサドルを椅子代わりに体を預け、空を見上げる。

 曇り空。

 白い雲が太陽の光を覆い隠し、ところどころにじんだような黒がある。


「全く参考にならなかったな……」


 バカップル先輩を見ていれば、自分たちの恋愛の参考になると思ったが、全くならなかった。

 彼のたっくんはダサいし、彼女のまりは全肯定しかしない。

 自分たちはいいのだろうが、あんなのはたから見ていて恥ずかしくなる……。


「いや……だからいいの……か?」

「雨宮君?」


 俺の中で何かが弾けた感じがした。

 駐車場を見る。


「高千穂……ミルクとチョコ……どっちがいい?」

「雨宮君……?」


 俺は駐車場の奥の止まっている一台のケータリングカーを指さす。

 それはソフトクリームの移動販売車だった。

 高千穂は俺の質問の意図を察して、


「じゃあ、ミルクで……」


 そう高千穂が言ったので、俺は彼女を待たせてケータリングカーへ走って買いに行った。

 一つ200円で消費税込みで210円。この頃はまだ5%だったんだと感心する。

 少し車の前で待つ。

 すると奥から不愛想な禿げた店員がズイッと茶色と白のソフトクリームを差し出してきた。


「あいよ」

「ど、どうも」


 まるでヤクザみたいな怖い見た目の人だったけど、二つのソフトクリームは綺麗に蜷局とぐろを描いていた。

 タッタッタと溶けないように、急いで高千穂のいる駐輪場まで戻る。


 ポツポツポツ……。


 灰色のアスファルトに黒いシミができる。

 雨だ。

 季節は六月。これは夕立ゆうだちかもしれない。

 すぐにザーッと雨脚あまあしが強くなってしまうと思い、俺は高千穂の元へと急いだ。


 ガッ……!


「あ……!」


 ―――しまった!


 焦りが足に伝わってしまい、右足で左足を蹴ってしまった。

 倒れる―――このままだと。


「雨宮君あぶな————!」


 ダメだ———俺の手には高千穂のソフトクリームがある。それを落とすわけにはいかない。


「ふんっ――――!」


 無理やり足を高速で前に動かし、アスファルトを踏みしめる。そして、思いっきり足を踏ん張り、地面に向かって真っすぐ落ちていた上半身を無理やり引っ張り上げる。


「お、おお……! 凄いね、雨宮君」


 高千穂が感心してぱちぱちと拍手をする。

 なんとか、高千穂のミルク味のソフトは落ちないで済んだ。が———、


 べちょ……。


「あ」


 俺のチョコのソフトは落ちた。

 無残にアスファルトに茶色いシミを作る。

 そして、徐々に強くなっていく雨粒が、手に持っている白のソフトにクレーターを作っていく。


「あぁ、まぁ仕方がないか……高千穂! ほら!」

「あ、ありがと」


 急いでひさし の下の駐輪場に駆け込み、ミルクのソフトを渡す。


「残念だったね」

「ああ……でも、高千穂のアイスは守れた」


 ザー……ッと雨音が響く。


 危なかった。

 俺が駆け込んだ瞬間に雨脚が強くなり、一気に雨だれのカーテンが目の前に垂れ下がる。


「ねぇ、どうしてソフトクリームをいきなり買いに行ったの?」


 雨のせいで看板をたたみ始めるヤクザみたいな店員を遠い目で眺めながら、高千穂が尋ねる。


「そんなことよりアイス。溶けるぞ」


 俺のチョコのソフトクリームは哀れなアスファルトのシミと化し、雨が下水路へ向けて洗い流してくれる。


「私の質問に答えるのが先。じゃないと食べられない。一つしかないんだもん」


 俺たちは二人。そして、ソフトクリームは高千穂の持っている一つだけしかない。 

 それに買ってきたのは俺。

 高千穂としては理由を知らないと、遠慮して食べられないと言いたいのだろう。

 だが、早く食べてもらわないと、雨が当たって既に溶け始めているチョコレートが更に早く流れ落ちてしまう。

 本当はこんなはずじゃなかったんだけどな……。


「食べさせあいっこっていうのをしたかったんだよ」

「え?」

「だから、カップルらしいこと……」


 照れながらも正直に話す。


「さっきのバカップルの先輩たちのやり取りを見て……ああいう、はたから見て恥ずかしくなるようなことをすることこそが、カップルらしいことなのかなって思って……そう思って恥も外聞もなく、違う味のアイスを買って、互いに食べさせあって味の確かめあいっことか……して、みたかったんだよ……!」

「ふ、ふぅ~ん……」


 高千穂の口角がにやーっと上がる。

 くそ、やっぱり話すんじゃなかった……!」


「それが雨宮君の理想のシチュエーションなんだ?」


 弾んだ調子の声色で高千穂が聞いてくる。


「そ、そうだよ! 昔読んだ漫画でそういうシーンがあったんだよ。それで間接キスになっちゃうけど……いいなって思っちゃったんだよ! まぁ、俺が間抜けだったせいで台無しになったけど……」


 俺の手にはソフトクリームはない。

 駐車場のアスファルトに溶けて消えた。


「高千穂一人で食べてくれよ。食べ終わるのを待ってるからさ」

「……うん」


 高千穂がぺろりと真っ白なソフトクリームを舐め始める。

 その隣で俺は自転車に腰かけ、降りしきる雨を眺めていた。

 まぁ———これもこれでいいか。


 ザーッ……! ザーッ……!


 雨の中。

 ただ、待つだけの時間。

 会話も何もなく、高千穂がソフトクリームを舐める音も、雨音でき消える。 

 それでも、一緒の空間に居続けていることがいとおしい。

 ホッとする。


 くいくい……。


「え?」

「ずっと———呼んでたんだけど?」


 気が付くと、少し眉間にしわを寄せた高千穂が俺の袖を引いていた。

 雨の音が激しくて、彼女の声が聞こえていなかった。


「何?」


 そう問いかけると高千穂がズイッとミルクのソフトクリームを差し出す。


「あげる」

「え?」


 少し溶けたソフトクリームだ。


「食べさせあいっこしたかったんでしょ? だからあげる」

「でも、それは高千穂のアイスで……」

「いいから! はい!」


 ズイっと更に近づける。


「一つしかないんだから。食べかけだけど我慢して」

「……こういうのは食べさせあいっこじゃなくて、半分こって言わないか?」

「どっちでもいいよ。間接キス、したかったんでしょ?」

「みなまで言うなよ……」


 俺は———折れた。

 高千穂の手からミルクソフトを受け取ろうと、彼女の柔らかい手に触れる。

 だが、彼女は白のソフトを受け渡そうとしない。ソフトを支えるコーン部分をしっかりと硬く握りしめたままだ。


 マジかよ……。


 高千穂の顔をふと見ると、恥ずかしそうに口元をもにょもにょと動かしている。

 どうやら―――高千穂の手の上で舐めろと言いたいらしい。


 くそ……これが高千穂の理想のシチュエーションって奴か……。


 俺は———また折れた。


 ぐずぐずしていると、ソフトが溶けてしまうからだ。

 体を傾け、高千穂の手に向けて首を伸ばし、その溶けたソフトをぺろりと舐めた。


「……………ッ!」


 高千穂が、ぶるると震えた。

 震えないでほしい。

 ただでさえだいぶ溶けているのに、そんな刺激を与えると溶けたソフトの液がコーンを伝って高千穂の手を汚してしまう。


「食べて……いいよ」


 高千穂が言う。


「でも……、これは高千穂のために買ってきたやつで……」

「いいから。もう私は十分味わったから。後は雨宮君が……食べて」

「……………」


 少しだけ———躊躇ちゅうちょはした。

 だが、すぐに俺は、口を大きく開けて一気に白いソフトクリームをくわえた。

 そして、ソフトクリームをガチンと根元から嚙み切った。

 顔を上げる。


「おいしい?」


 微笑む高千穂が聞いてくるが、口の中に広がる冷たい甘味のせいで答えられない。

 それを高千穂はわかっているのか、答えを急かすことはしなかった。代わりにソフトがなくなってコーンだけになっているものをバリバリと、意外に豪快に食べる。

 高千穂がコーンを食べる速度は、俺が口の中で冷たいソフトを溶かして飲みこむよりも早かった。

 すぐに彼女の手からコーンは消え失せる。

 そして、少しだけ指先に残った白いソフトクリームを———彼女はぺろりと舐めとった。


「ごちそうさま……」


 唇が少し、白くれている。

 その光景が———何だか蠱惑的こわくてきに見えて、どきりとした。

 ようやく口の中の、ソフトが消えてくれた。


 ザーッ……! ザーッ……!


 雨音が胸の奥に響き、衝動に駆られる。


「たかち……!」


 これから俺が何をしたいのか、自分でもわからなかった。

 ただ、彼女の名前を呼んで、何かをしたかった。

 だが———、


「アハハ……見てたっくん、半分こプレイだよ。初々しいね♡」


 いつの間にか、店を出ていたバカップル先輩が俺たちを微笑ましく見つめていた。

 そのことに気が付き、俺の胸の中の衝動は霧散する。


「そうだね、まり。俺達もあんな時があったね。人目もはばからずイチャイチャしていた時代が、さ☆」


 彼氏の方がそう言って、彼女の肩に腕を回す。


 たたたた、たっくん――――———‼


 あんたにだけは———お前にだけは言われたくなかったよそんなこと‼

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