第108話 【9月下旬】涙と笑顔と夢の中

 「――わたし、兄貴と結婚したい。兄貴の一番になりたい。ずっとずっと……兄貴の隣に居たい」


背中へ回された両腕に一層と力が込められて、俺の胸板が熱く濡れる。

 ぐすぐすと涙鼻をすする音が聞こえたかと思えば、大粒の涙が火乃香ほのか双眸そうぼうから零れ落ちていた。


 「もっと兄貴とイチャイチャしたい。二人で色んな所に行きたい。もっといっぱい兄貴に美味しいもの作ってあげたいし……体でも、繋がりたい」


今にも消えてしまいそうな声を重ねるたび、火乃香の涙が数を増した。

 肩を小刻みに震わせ、潤んだ瞳が俺を見つめる。

 塗れた仔犬みたく弱々しい姿に、俺の中の庇護欲ひごよくも掻き立てられて。

 そんな歯痒い感情が、今にもあふれ出そうな言葉さえ塞ぎ止める。


 「どうしたら兄貴はわたしのこと、女として好きになってくれるの? どうしたら兄貴はわたしだけを見てくれるの?」

「それは……」


四つん這いでにじり寄る火乃香に、俺は顔を伏せて視線を逸らした。

 けれど相変わらず迫り寄る火乃香に、俺は必死と言葉を探し出す。

 そうして火乃香の目を見れないまま、俺は震える唇に言の葉を乗せた。


「ごめん、火乃香。今の俺は、お前の疑問に答えられない。でも少なくとも……結婚は出来ない」

「なにそれ……そんなに、わたしの事嫌いなの? そんなに、わたしのりも泉希さんがいいの⁉」

「違う……そうじゃないよ、火乃香」


悲痛にゆがむ火乃香の姿を前に、そう答えるより他に無かった。

 いや、それも正確じゃない。

 その言葉は俺の本心だ。

 嘘偽りの無い、俺の本音。

 この言葉も俺の一部であることに、違いは無い。


「気持ちとかそういう事じゃなくて、法律の問題だから。18歳になるまで、結婚は認められてない。大人おれ未成年おまえに手を出すことも許されてない」


だけど、少しだけ言葉は少しにごした。

 心の声をそのまま音に変えるのは躊躇われた。

 本音を言えば、全てが崩れてしまう気がした。

 思考のフィルターを通した、ずるい台詞。

 それでも火乃香の目から落ちる涙の雨は、少しだけ勢いを弱めた。

 

 「18歳って……わたしが成人するまで?」

「そう。あと3年……いや、2年と3か月だな」

「……そんな長いこと待てない!」

「どうして」

「だって、その間に兄貴が他の女に取られるかもしれないじゃん!」


項垂うなだれながら火乃香は俺の両腕を掴んだ。『握りしめた』という表現のほうが妥当かもしれない。それだけ、火乃香の指先に力が込められている。


 「恋人にもなれなくて結婚も出来ないのに、そんなのでどうやって兄貴の気持ちを繋ぎ留めれば良いか分かんな――」


その時だった。

 火乃香が突然と声をき止めた。

 かと思えばハッとした様子で顔を上げ、驚きの様で目を見開いている。


 「そうだ……いいこと思いついた!」


パチン、火乃香が勢い良く手を叩いた。

 まるで花火が暗い夜空へ咲くように、火乃香の顔も明らんで。

 さっきまでの悲壮感は何処へ消えたのかと、驚愕に目を見開く俺を尻目に火乃香は「にひひ」と悪戯いたずら気味に笑いかけた。


「な、何を思いついたんだ?」

「そんなの決まってるでしょ! 兄貴のこと繋ぎ止めとく方法だし!」

「……え?」

「わたしが兄貴のことを一方的に好きになってもダメなんだったら、兄貴がわたしにガチ恋すれば良いんじゃん!」


まるで世紀の大発見みたく、火乃香は爛々らんらん双眸を輝かせている。

 反して俺は言葉の意味が理解できず、「は?」と間抜けな声を漏らした。


 「だーかーらー、兄貴が他の女に目移りしないくらい好きになれば、わたしが18歳になるまで安心ってことだよね!」

「……な、なんでそうなるんだよ!」

「だって18歳になったら兄貴はわたしの保護者じゃなくなるし、結婚したって問題ないじゃん!」

「いや、それは――」

「うん、それがいい! そうしよう! はい、もう決定ね!」


先程までの泣き顔が嘘みたく、火乃香は「にひっ」と歯を剥いて笑った。

 泣くよりも笑っている方がずっと良い。

 けれど、なんとなく素直に喜べない。

 頬を引きらせる俺に反して、火乃香はケロッとした様子で鼻唄を歌っている。


 「というわけで、これからはガンガン兄貴にアタックしていくから! わたし無しじゃ生きられないくらい!」

「アタックて……今でも十分距離感近いだろ」

「それ以上に!」


四つの手ついてズイと急接近する裸の義妹いもうとに、俺は及び腰で遠ざかる。

 そんな俺を追い詰めるよう、火乃香は尚一層と迫り寄って。


 「兄貴が言ってたみたいにセックスは出来ないけも、エッチな事したくなったら我慢しないでいつでも言ってね! 溜まってるもの、全部わたしが抜いてあげるから」


右手の指で輪っかを作り、火乃香は擦るみたく上下に動かした。大人であれば理解できるその仕草に、俺はカッと顔を熱く染めた。


「な、何バカ言ってんだお前は!」

「ふふんっ! いつかそんな事も言えないくらい、兄貴のこと骨抜きにしてやるんだから! それまで浮気しちゃダメだからね!」


ビシッと指差しウインクすれば、火乃香は再び俺に飛びついて。

 まるで抱き枕みたく俺の腕を抱きかかえ、胸板にぎゅっと顔を押し付ける。

 

「お、おい火乃香!」


引き離そうとするも火乃香は微動だにせず、ピタリと俺にくっついて。

 仕方なく諦め放置していると、気付けばいつの間にか寝息が聞こえてきた。


「まったく……」


嘆息混じりに呟きながら、俺は火乃香の黒髪をそっと優しく撫でた。

 よだれ浮かべる口元には、「にへらっ」とだらしない笑みが零れる。

 さっきまでの淫靡いんびな姿とまるで正反対な姿に、俺もつい笑顔が漏れてしまう。


「おやすみ、火乃香」


身も心も無垢な義妹を抱き締め、柔らかな頬にそっと口付けした。


 気付けば俺も睡魔に襲われて。


 そうして俺と火乃香は、まるで溶け合うように、夢の中へ落ちていった……。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


皆様お疲れ様です! 今年は本当に暑いわね!

学生さんはもうすぐ夏休みかしら? 一度しかない今年の夏、決して悔いの残らないようにね!

だけど熱中症や日射病には充分気を付けて!


次回は2024年08月02日(金)に投稿予定です!

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