第102話 【9月下旬】火乃香とバイトと擦れ違い⑦
「――なあ
「なに、兄貴」
「どうして、あの店長のこと殴ったんだ」
まるで恋人みたく手を繋ぎながら、火乃香は
「言ったじゃん。セクハラだって」
「違うだろ。お前は自分の事で他人を傷つけるような真似はしない」
「……何それ。わたしのこと知ってるみたいに」
「知ってるよ。俺はお前の兄貴なんだから」
「ははは」と明るく笑ってみせれば、火乃香は
握り交わす手に、何故か一層と力を込めて。
「それで、どうして殴ったんだ」
「……べつに」
「別にって事はないだろ」
不服そうな火乃香の頬を指で突けば、鬱陶しいと言わんばかりに手を払われた。
可愛らしい姿にほくそ笑む俺に反して、火乃香はムッと片頬を膨らませる。
「アイツが……兄貴のこと、馬鹿にしたから」
視線を伏せてどこか恥ずかしそうに、火乃香は囁くよう答えた。
眉を吊り上げ唇をすぼめた姿は、彼女なりの照れ隠しなのだろう。
俺まで顔が熱くなった。
だけど、それ以上に嬉しい。
火乃香が俺の事で怒ってくれたから。
ウチに来た頃の彼女からは、想像もつかないな。
「ったく、俺のこと大好きかよお前ー」
「ちょ、やめてよ!」
さっきまでの怒りや恐怖などすっかり忘れて、俺は火乃香の頭を撫で回した。
ぐしゃぐしゃと撫でまわす俺の手を払い、火乃香は頬を赤らめながら乱れた髪を
「もうっ! だから言いたくなかったのに!」
「エエがなエエがな。お
ポンポンと再び頭を撫で叩けば、火乃香はジトリと横目にまた俺を睨み上げた。
「……てゆーかさ」
「ん?」
「兄貴、やっぱり昔ヤンキーだった?」
「やっぱりって何だよ」
「前にお
「……よく遊びよく転ぶ元気な少年だったんだよ」
「いやいや、普通の人はロッカー殴って壊すなんて出来ないし。それに、あの店長を追い詰めてる時の兄貴、何となくそれっぽかったから」
「それっぽいって?」
「ヤクザみたいな」
「ああ……まあ、俺は薬学部中退だからな」
「なんで大学辞めただけでヤクザになるのさ」
「薬剤師になる意思が欠如して、ヤクザになるしか道が無かったんだよ」
「どういうこと?」
「『やくざいし』から『いし』を欠くと『やくざ』だけが残るだろ」
ニッと歯を見せ微笑みかけると、火乃香は真一文字に口を結んで眉根を寄せた。
俺渾身の一押しギャグなのだが、火乃香はお気に召さないらしい。
「それにしても、火乃香もよくあの状況で録音とか思いついたな」
「そう?」
「そうだよ。普通は怖くてそんな真似出来ないよ」
「でも、あれ嘘だよ」
「え?」
「録音とか、そんなアプリ使ったことないし」
「いやでも、なんか起動してたぞ」
「ただのタイマーアプリ。料理する時に使う」
肩をすかして
「お前の方がヤクザに向いてるな」
「かもね」
「似たもの
「なにそれ。『似たもの夫婦』とかなら聞いたことあるけど」
「だって夫婦じゃないだろ」
そう言うと、火乃香は真一文字に唇を結んで、握り合う手に力を込めた。
アパートの最寄駅で降りると、時刻は既に10時を回っていた。
この時間ではスーパーも開いていないし、今から作るのも面倒だ。
「ラーメンでも食べて帰るか」
問い掛けると、火乃香はコクリと頷いた。
どこのラーメン屋に行きたいか尋ねれば、火乃香は「初めて二人で食べたあの店がいい」と答えた。
ここからだと少し遠い。
それでも俺達は、例の店へと足を向けた。
店に着いた頃にはラストオーダー間際だった。
大急ぎで目玉商品の『醤油』を二つ注文した。
「……美味しい」
白い湯気立つラーメンを啜り、火乃香は口元に笑みを浮かべた。なんとなく彼女がウチに来た時の事が思い出された。
15分と掛からずラーメンを食べ終え、俺達はまた家路を急いだ。
「そういえばさ」
「ん?」
「歯ブラシ、そろそろ替えないと」
「ああ。でも今日はもう遅いから、また今度な」
「……うん」
俯き加減に答えると、火乃香は俺の手を強く握って歩調を緩めた。
帰宅したと同時、俺は風呂に沸かした。
先に入るよう火乃香に言うも、「後でいいから」と譲ってくれた。
溜まった疲れと感情を洗い流せば、今度は火乃香が入れ替わりに入る。
俺は飛び込むようにベッドへ転がった。
うつらうつらと視界が揺らぐ。
緊張感が緩んで、睡魔が一気に押し寄せてきた。
このまま夢の中に落ちよう。
意識もまた霧みたくボヤける、その直後。
――パチン……。
部屋の灯りが消えた。
瞼を開けば、室内が暗がりに飲み込まれている。
「……兄貴」
暗闇の中に火乃香の声が響いた。
恐らく彼女が
けれど窓から差し込む月明かりが増して、徐々に目が慣れていく。
「なんだ。お前も、もう寝――」
その瞬間、俺は言葉と共に息を飲み込んだ。
なにせ火乃香が……
火乃香の白い柔肌が、薄闇の中に輝いて。
-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------
以前にも言ったかもだけど、悠陽は中学生の頃に漫画の主人公に憧れてボクシングを始めたの。当時から目立たなかった悠陽は高校デビューを目論んで、金髪に染めたらしいわ。そのせいで不良に絡まれるようになったみたい。本当おバカよね!
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