第98話 【9月下旬】火乃香とバイトと擦れ違い③
――ヴーッ、ヴーッ。
「ん?」
薬局の業務を終え2階の事務所でデスクワークをしていると、俺の携帯電話が突然と震え出した。
未登録の番号だった。
出るのは
とはいえ仕事関係からの可能性も捨てきれない。
恐る恐る、俺は通話アイコンをタップした。
「もしもし?」
『あー、
「はい、そうですけど」
『こちら【◇◇カフェ】の店長ですけど』
「◇◇カフェ……」
オウム返しのように俺は呟いた。
店の名前には聞き覚えがあった。
たしか火乃香がバイトをしている喫茶店だ。
その店長さんが、俺に何の用だろう。
「どうも、
『ええ。実はその妹さんがですねー、ボクに対して暴力行為を働いたんスよ』
「……は?」
頓狂な声を漏らすと同時、思考が停止した。
火乃香が暴力行為?
いったい何の冗談だ。
事態を飲み込めず何も言葉を返さないでいると、電話の向こうから『もしもし?』と苛立ち混じりの声が響いた。
「あ……すみません。えっと、一体どういうことでしょうか。いまひとつ状況が理解できなくて……」
『だーかーらー、オタクん所の妹が俺を殴ったって言ってんだよ!』
いよいよ隠そうともせず、電話口の男は乱暴に怒鳴り上げた。
鼓膜が破れるかと思う程の大声に、俺はビクリと肩を震わせる。
「そ、そんな……火乃香がですか?」
『当たり前だろ! とにかく今すぐ来い!』
言うが早いか、男は勢いよく通話を切った。
背中に大量の汗が滲んで、動悸が激しくなる。
心臓の鼓動が、耳の奥で痛いほどに鳴り響く。
(まさか火乃香が……いや、そんなことを言ってる場合じゃない。とにかくこの店に行かないと!)
俺は目の前のノートPCで【◇◇カフェ】の住所を調べ、取るものも取らず事務所を飛び出した。
数十分後。
俺は隣町にある【◇◇カフェ】にやって来た。
ここまでどうやって来たのか、記憶が
電車に揺られている間も、頭の中は火乃香の事で一杯だったから。
お世辞にも綺麗とは言いがたい外観の店へ入ると、レジの前に仏頂面の女性店員が立って居た。
名前を告げると、「ああ」と不愛想に答えられ店の奥に案内される。
飲食店の割に掃除が行き届いていない店内。
埃っぽくて煙草の臭いが充満している。
ヤニの染みた壁紙は、所々に汚く剥がれて。
まるで廃屋のように薄暗い廊下を通り抜けると、『休憩室』と書かかれたドアが目の前に現れる。
息を整え3度ノックしてみせれば、「あい」とドスの利く声が返された。
「失礼します」
一拍分の間を開け、俺は部屋に入った。
そこには私服姿の火乃香と、
「……兄貴」
パイプ椅子に腰掛ける火乃香が、俺を見るなりバツの悪そうな顔で呟く。
反して男は眉間に皺を寄せ、まるで親の仇みたく俺を睨みつけて。
震える気持ちを押し殺すよう、俺は「んんっ」と一つ咳払いした。
「夜分にお忙しいところ失礼します。恐れ入りますが今回お呼び頂いた件について、改めてご説明を頂戴しても宜しいでしょうか」
「ああ?! なに訳分けんねーこと言ってんだ! テメェまずは謝罪だろうが!」
平静を装う俺に、店長と思しき男は怒声を放った。
脳内に沸き上がる不安と恐怖。
荒々しい声に一瞬怯むも、腹に力を込めて奥歯を噛み締めた。
握った拳を震わせ、俺は男を睨み返す。
「謝罪は……お話を伺ってからです」
「バカかテメェ! こっちゃあ殴られてんだよ!
「……確かに私は常識知らずかもしれません。でも
「ぁんだとテメェ!」
ガタンッと椅子を揺らして勢いよく立ち上がれば、男は俺の前に立ちガンを飛ばしてくる。
今すぐにでも火乃香を連れて、この場から逃げ出したい。
けどそれは火乃香がこの男に暴行を働いた事実を認めるようなもの。
俺には火乃香がそんな事をするとは思えない。
するはずがない。
「火乃香。本当に、この店長さんを殴ったのか?」
震そうになる声を必死に取り繕い、俺は努めて冷静に火乃香を
だけど内心では、否定の言葉を熱く願っていた。
そうして次の瞬間。
恐る恐ると火乃香が静かに口を開けば――
「……殴った」
――俺の願いは、絶望という名の波に呆気なく飲み込まれてしまった……。
-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------
従業員であろうとお客様であろうと、人を怒鳴ったりするのは絶対ダメよ。反対にお客様から怒鳴られることも多いわ。薬局でも男女を問わず声を荒げる患者様は少なからず居らっしゃるの!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます