第96話 【9月中旬】火乃香とバイトと擦れ違い①

 火乃香ほのかは焦っていた。


 9月もなかばに突入したというのに、いまだに仕事が決まっていないからだ。

 就職活動を始めてから一ヶ月。

 焦る気持ちは痛いほど理解わかる。

 火乃香の真面目な性格を考えれば、尚更だ。


 先に述べた地域性や15歳という年齢の他に、高校を休学していることや現在いまの家庭環境が不採用となる主な原因らしい。

 

 最初は好印象な面接官も、両親が亡くなった事実や今は俺の家にいる事を話すと、手の平を返したように態度を変えるのだとか。

 

 『まともな環境で育っていない人間を雇うなんて、リスクしかない』


面接に伺った、とある飲食店の面接官にそんな事を言われたらしい。

 コンプライアンスも何もあったものじゃない、最低最悪の発言だ。

 だけど世の中には、平然とそういった言葉を吐く心無い人間が居るのも確かだ。

 さすがの火乃香もこのセリフは堪えたようで、俺が家に帰ると大粒の涙を浮かべて泣きじゃくっていた。

 

「別に長期バイトに拘る必要はないんじゃないか」


見兼ねた俺は、火乃香の頭を撫でながらアドバイスした。

 だけど火乃香は「それじゃ負けた気がするから」とかたくなだった。

 俺はそれ以上、何も言わなかった。

 あまり何度も言うと火乃香の覚悟と意思を無碍むげにしている気がして、喉の奥に言葉を引っ込めた。

 

 でも、それは裏目だった。


 引っ込めた言葉は、他の言葉を道連れに腹の底で押し留まってしまった。

 刺々しい火乃香の雰囲気に気後れした。

 いつしか会話は、極端に減ってしまった。

 明るかった火乃香の顔からも笑顔が消えて、家の雰囲気もどんよりと曇って。


 そんなある日の夕食時だった。

 きつねうどんを食べる火乃香が、投げ槍な様子で溜め息をいた。


「どうした、火乃香」

「別に。ただもういいやって思って」

「なにが」

「キッチンスタッフに拘るの」


鋭い目付きで箸を動かしながら、火乃香はぶっきら棒に呟いた。

 何となく、ウチに来た頃の彼女と姿が重なった。


 「バイトなんか他にいくらでもあるし、スーパーの品出しでもコンビニのレジ打ちでも……どっか適当なバイト見つける」

「でも、お前は料理を作る仕事がしたいんだろ」

「それはそうだけど……」

「なら自分の気持ちを曲げるなよ」

「だって仕方ないじゃん。全然バイト決まらないんだから!」

「だからって自棄やけになるなよ」


語気を荒げる火乃香に諭すよう言うと、彼女は嚇怒かくどの様相で戦慄わななき、テーブルを殴るように持っている箸を叩きつけた。


 「うるさい! 大体兄貴が『面接で嘘を吐くな』とか『正直に話せ』とか言うからじゃん!」

「火乃香……」

「お母さんもそうだった! まともな仕事は決まらなくていつも転々として最終的には水商売だし! 蛙の子は蛙ってヤツだよね。そもそもマトモな職場がわたしなんか雇ってくれる訳なかったし!」

「そんなことはない。今はただタイミングが――」

「聞きたくない!」


語気を荒げるや、火乃香は勢いよく立ち上がった。

 空いた食器も下げず、ベッドのある奥の小部屋に早足で向かう。

 不貞寝でも決め込むかと思いきや、火乃香は立ち止まって項垂うなだれた。


 「なんかに……わたしのコト分かる訳ない」


吐き捨てるように呟けば、火乃香はピシャリとドアを閉めた。

 3畳足らずの狭い部屋に一人閉じこもる義妹いもうとに、俺は何も言えずに閉められた扉をただ見つめる事しか出来ないでいた。


 たぶん今の俺の言葉は彼女には届かないだろう。

 むしろ熱くなった感情へ火に油を注ぐ結果を招くかもしれない。

 今はそっとしておくのが正解だ。


 そう自分に言い訳した。


 落ち着いたら、きっと火乃香のほうから声を掛けてくれると目を背けた。

 目の前の問題から逃げていたって、何も解決する筈がないのに。


 ただ「兄貴」と呼ばれなかったことが、たまらなく苦しかった……。



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今回火乃香ちゃんが受けた面接では人格を否定するような発言があったわね。勿論こんな質疑応答は許されるものではないけれど、世の中にはそんなことも分からない人が多いのよね。サービス業だと面接に来た人はお客様でもあるのに……。

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