第95話 【9月上旬】火乃香のバイトと悠陽の想い②

 火乃香がバイト宣言をしてから、早くも2週間が経過した。


 だけど火乃香ほのかの仕事は、まだ決まっていない。


 就職活動に取り組んでいなかった訳じゃない。

 それが証拠に、宣言したその日からネット経由で求人募集を探していた。

 応募したのは2店舗。

 隣町にある和食店のキッチンスタッフと、市内のペットショップ店員。

 料理と動物が好きな火乃香らしいチョイスだ。


 本当はもっと沢山応募したいらしいが、【高校生不可】の注釈が付いた求人が多いようで、いくつか断念したらしい。

 「休学中だから」と言って注釈を無視しない辺り、彼女の真面目さが伺える。


 残念ながら飲食店の方は「既に決まったから」と断りの連絡が入った。

 火乃香は少しだけガッカリしていた。

 それでもペットショップからは面接依頼の返信が届いて、火乃香は合格発表当日の受験生みたくはしゃいでいた。


 早速と履歴書を買い、「書き方を教えて欲しい」と俺に願い出た。

 職員採用のために履歴書なら山のように見てきたからな。「大船に乗ったつもりで任せろ」と、自信たっぷりに俺は自分の胸を叩いてみせた。


 「履歴書ってパソコンで作るの?」

「入社面接ならそれが一般的かな。けど手書きでも問題ないよ」

「そうなの?」

「ああ。むしろ火乃香の字の綺麗さとか、丁寧さが伝わって良いと思うぞ」

「えー、そーかなー」


まんざらでもない風に火乃香は含羞はにかんで、くねくねと体をよじらせた。


 履歴書には学歴だけを書いた。

 『それしか書く事がない』と言った方が正しいかもしれないが。

 けど高校生のバイトなら、そんなものだろう。

 職歴は日雇いバイトがあるけれど、書かなくても良いと踏んだ。


 備考欄には動物が好きなことや、家事が得意な事を書くよう助言した。

 『そんなこと書いて大丈夫?』と不安そうだったけど、何も書かないよりはずっと印象が良い。これは採用側からの視点だ。


 面接での受け答えも教えてほしいと言われた。

 印象の良い話し方や予想される質問について。

 そんな作った言葉じゃなくて、ありのままで良いと俺は思うのだが。

 それでも「どうしても受かりたいから」と可愛い義妹いもうとに頼みこまれては、断ることは出来なかった。


 そうして面接当日。

 俺が仕事に出掛ける前、火乃香は緊張と興奮に浮き足立っていた。

 けれど仕事を終えて俺が帰宅すると、目に見えて落ち込んでいた。

 何があったのかと尋ねると、どうやら面接担当者に嫌味を言われたらしい。


 面接官は、店長だか店員だか分からない小太りな年配のスタッフだった。

 高校を休学している理由を尋ねられ、正直に事情を話すと鼻で笑われたようだ。

 『世の中を舐めてる』『根性が無い』『本当は学校がイヤなだけじゃないの?』などと、度の過ぎた圧迫面接を繰り返されたらしい。


 聞いているだけで腹が立った。


 文句の一つも言ってやろうと、俺は携帯電話を手に取った。

 だけど「そんなことしなくていいから」と火乃香に止められた。


 「これも勉強だと思うから。世の中そういう人も居るって分かったし。こんなことくらいでヘコタレてたら、仕事なんて出来ないもんね!」


と、気丈に振る舞い明るく笑ってみせた。

 俺より火乃香の方がよっぽど大人だ。

 それでも精神的にダメージを受けているようで、いつもより口数が少なかった。

 珍しく、俺より先にベッドに入っていた。

 床に布団を敷いて寝ようかとも思ったけど、小さな背中がいやに愛おしくて寂しげに見えた。

 横たわる彼女を、俺は後ろからそっと抱きしめた。

 

 「兄貴……?」

「こういうのはタイミングと縁だ。焦らずゆっくり探せばいい。お前のポテンシャルも見抜けないような職場、どうせロクな所じゃないさ」

「……うん」


か細い声で答えると、火乃香は振り返って俺の胸に抱きついてきた。


 ただ、もしも今日のペットショップから採用の電話が掛かってきても、断るように言い聞かせた。

 俺の可愛い火乃香が、どこの馬の骨とも分からない奴にパワハラを受けるなんて、考えただけでもはらわたが煮え繰り返る。

 

 だが残念ながら、動物関係の求人は希少なので他の募集は見つからなかった。

 後ろ髪を引かれ心に傷を負いつつ、火乃香は再び仕事を探した。


 けれど、難航した。


 仕事が見つからないのは火乃香が高校生だから、という理由だけじゃない。

 ウチの地域性も問題だった。

 都心部ならまだしも、ここは地方の住宅街。

 ウチの周りの飲食店など、数える程しかない。

 駅前だというのに、並び立っているのは歯医者とヘアサロン。

 一番近くの喫茶店など、営業しているのか閉店しているのかも分からない。


 にも関わらず、住宅街なのでアルバイトを探している主婦や学生は多い。

 要するに競争倍率が高いのだ。

 かといって、繁華街まで出るには交通費も時間も掛かってしまう。

 保護者としても、未成年の彼女がそういった場所で働くのは望ましくない。

 そんな俺の気持ちを汲んでくれたなのか、火乃香は「繁華街までは行かないよ」と笑って言った。

 

 だけど、火乃香は諦めた訳ではなかった。

 

 複数の求人広告サイトを梯子して、条件に見合う職場を探していた。

 幸いなことに、飲食業ならば【高校生可】の職場も幾つかあった。

 だが「女の子ならキッチンよりホールが良いよ」「ホールなら枠があるんだけどね」と火乃香の希望はことごとく突きはねられた。

 今時『女が』『男が』と決めつけ職種を限定するなんて、泉希みずきが聞いたら「アンコンシャス・バイアスの見本みたいな話ね」なんて言いそうだけど、そういった偏見を持つ人間が多いのも確かだ。


 それでも火乃香は俺のアドバイスを守り、料理を作る仕事キッチンスタッフに応募し続けた。


 焦る必要はない。

 決まらないからと言って、火乃香の能力が劣っている訳ではない。

 こういうのはタイミングと縁だ。

 俺はそう考えていた。


 でも、火乃香は違っていた。


 その気持ちの差が、まさかあんな事態に発展するなんて……この時の俺は予想だにしていなかった。




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アルバイトとはいえ仕事を探すのは大変よね。コロナ以降は人手不足が叫ばれているけれど、それも地域に依るのかしらね。

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