第94話 【8月中旬】火乃香のバイトと悠陽の想い①

 「――わたし、バイトする」


8月も残り10日に迫ったある日。晩飯に特製パスタを食べていたら、火乃香ほのかが突然と切り出した。


「バイトって、どうしたよ急に」

「急じゃないから。前から言ってたし」

「そうだっけ」

「そうだよ」


頬を膨らませ不貞腐れた様子で、火乃香はくるくると自前のパスタを巻いた。火乃香のミートソースは絶品な上、麺以外にも合うから凄い。


「バイトって、また日雇いか?」

「ううん。今度はちゃんと長期のヤツ」

「そうか。どんな事したいんだ?」

「どんな事って……バイトだけど」

「そうじゃなくて。バイトにも色々あるだろ。飲食とか販売とか」

「んー、お金稼げれば何でも良いけど」


俺の言葉が意外だったのか、火乃香はキョトンと目を丸め首を傾げた。

 反して俺は目を閉じ、首を左右に降って返す。


「そういう理由で仕事は選ばない方がいい」

「なんで?」

「たぶん続かないから」


フォークでパスタを巻きながら、俺は目線を合わせずパクリと口へ放り込む。


 「それって、わたしに根性ないってこと?」

「そうじゃないよ。ただ長期で働くなら、『この店で働きたい』『こういう業務がやりたい』っていう具体的な目的を持った方が良い」

「どうして」

「金を稼ぐことだけが理由なら、モチベーションが下がって続かなくなるから」

「モチベーションってなに?」

「動機付けとか目的意識……要するにり甲斐とかそこで働く意味だな」

「そんなの大袈裟だよ。就職する訳でもないのに」

「バイトも就職だよ。仕事をすることには変わらないんだから」


優しく微笑みかけるも、火乃香は眉を顰めて天井を見上げた。面接を受けた事がない火乃香には、まだ少し難い話だったかもしれないな。


「とにかく、長期で働くならバイトでも安易に決めない方がいい。お前には俺みたいに後悔してほしくないからさ」


皿を持ち上げ残ったパスタとソースをかきこむと、「ご馳走様」と手を合わせ食器をシンクに運んだ。

 そのままスポンジを手に取り、汚れた皿とコップを洗い始める。

 火乃香はまだ食べ終わらず、唇を尖らせパスタを巻いていた。


 「でもさ、やりたい仕事とか分かんないよ。実際に働いた事もないのに」

「それはまあ、そうかもな」

「ていうか、やりたい仕事とか別に無いし。それに仕事なんて、最初から誰もやりたくないでしょ」

「それでも好きな事や得意な事はあるだろ」


洗い終えた食器を水切りトレイに置せば、火乃香も慌てて自分の皿を持ってきた。

 ついでとばかりにそれを洗えば、火乃香は布巾を取り出し洗い終えた食器を拭いてくれる。


「お前は美人だし頭良いし、言葉遣いも綺麗だからな。よっぽどスキルや経験が必要な業種でもない限り、きっと大丈夫だろ」

「そ、そうかな」

「そうだよ」

「うーん……てか兄貴、わたしのこと美人だと思ってるんだ?」

「そら美人だろ」

「えー、わたしのこと好きすぎじゃーん」


揶揄うような口調で答えるも、火乃香はどこか照れ臭そうに笑みを浮かべた。

 皿を洗い終えてベッドに横たわると、火乃香も俺の隣に転がりピタリとくっついてきた。美人と褒められたことが余程嬉しかったのか。


 「兄貴もさ、昔はバイトとかしてたの?」

「ああ、してたよ」

「どんな?」

蕎麦そば屋とか喫茶店とか、いろいろ」

「飲食店なんだ」

「販売か飲食が多いからな、学生バイトは」

「高校の時?」

「いや大学」

「あー……そっか」


うんうんと頷きながら、火乃香は自分の携帯電話を取り出した。ブラウザを開いて、スラスラと画面に指を這わせる。


 「んー、わたしも飲食やろっかな」

「そうだな。火乃香は料理も上手いし、キッチンは合ってるんじゃないか」

「キッチンって、料理作るんだよね」

「そうそう」

「料理のレパートリーも増えるかな」

「たぶん」

「わたしが今よりもっと料理うまくなったら、兄貴は嬉しい?」

「もちろん。俺はお前の飯が一番好きだからな」

「ふーん、そっかそっか!」


どこか含みのある笑顔を浮かべれば、火乃香は携帯電話を置いて俺の腕に抱きついてきた。まったく、現金な義妹いもうとだ。


「まあとにかく、早く決めようしてと焦らないことだな。それと嘘や誤魔化しは絶対に言わないこと」

「例えば、どんな」

「高校を休学してる理由とか志望動機とか。あとは自分の気持ち」

「わたしの……気持ち?」

「働きたくない場所で、無理して働くなってコト」

「でも、仕事やバイトなんて好きでやってる人の方が少なくないじゃないの?」

「それでも自分の気持ちに嘘をくのはダメだ。嫌なことは嫌でいい」

「そんなワガママ言って不採用にならない?」

「自分を誤魔化して採用になるより良いさ」

「むー……」


火乃香は唇を尖らせ顔をしかめた。不満げなのは明らかだ。輝かしい未来しかない高校生には、少し分かりにくい話だったかもしれないな。


 バイトは社会人への第一歩だ。

 金を貰う以上は遊びとも違う。

 つらい事も悩む事も沢山あるだろうけど、最終的には火乃香が笑顔で居てくれればそれでいい。


 そんな職場に彼女が巡り会えるよう……今はただ祈るばかりだ。




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悠陽は普段おバカで頼りないけれど、あれでも一応責任者だから仕事では面接や採用なんかもやっているの。色々と苦い経験もしてきたみたい。


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