第90話 【8月上旬】お盆休みと出雲旅行⑨(※)

 火乃香ほのかの乱入によって貸切風呂を追い出された俺は、渋々と室内風呂で冷えた体を温め直していた。


 ほっと一息ついていると、あろう事か今度は泉希みずきが乱入してきた。

 火乃香とは違って偶然の事故らしい。

 それが証拠にバスタオルで体を覆ったりもせず、一糸いっしまとわぬ姿を晒して。


 細身の体躯たいくに、白雪を思わせる柔肌。

 二十代もなかばを過ぎているのに、年齢を感じさせないほどつやと張りがある。

 胸は控えめだけど、薄紅色の乳頭が愛らしく存在を醸し出している。

 スラリと細い足に逆らうことなく、尻もスッキリと小振りで。

 意外というべきかやはりというか、火乃香よりも少しばかり毛が濃い。


 アダルティックな風体に、視線が釘付けになってしまうのはせん無い事だろう。

 だがそんな俺の視線にも存在にも気付かず、泉希は気怠そうな顔でシャワーの蛇口を捻った。


 「あー、頭痛い……」


どんよりと重い声で呟きながら、泉希は頭から熱いシャワーを浴びる。

 「ふうっ」と大きな息を吐いて、泉希は慣れた髪をかきあげスッキリとした様相で振り向いた。


「……」

「……」


目と目が合ったその瞬間、俺達は一声も発さず凍りついたよう固まる。

 まるでグラビアのポーズみたく両手で髪を上げたせいで、泉希は胸も脇も鼠蹊部そけいぶさえも晒して。


 落ち着いていた俺の股間ムスコが、また頭をもたげようと屹立きつりつを始めた。

 泉希は途端に顔を赤らめ、口をあんぐりワナワナと震え出す。


 「な、なんで貴方が居るのよ変態!」

「いやお前が入ってきたんだろーが!」

「だからって見ないでよ、バカ悠陽ゆうひ!」


両手で胸を覆い隠し内股気味に足を閉じて、泉希は声を荒らげる。

 そうして風呂場を出ようと勢いよく身を翻した、その刹那。


 「あっ……」


つるり、泉希が足を滑らせた。


「泉希!」


咄嗟に立ち上がって腕を伸ばすも、支えきれず二人揃って湯船にダイブした。

 飛沫しぶきが天井まで跳ね上がり、視界が白く澱む。


てて……だ、大丈夫か泉希」

「う、うん。ありが――」


頭をすりながら顔を上げた泉希は、不意に言葉を堰き止めた。

 なにせバスタブの中で、俺に覆い被さるよう倒れ込んだのだから。


 控えすぎな泉希の胸が、俺の眼前に惜しげもなく晒されて。

 おまけに足の上には泉希の尻がし掛かっている状態。


「あ、その……わ、ワザとじゃなくて――」


目を泳がせることも出来ず、しどろもどろに言葉を詰まらせた。


『セクハラ』

『コンプラ』

『辞表』

『倒産』

『後見人の資格剥奪』

『火乃香との別れ』


マイナスな言葉で頭の中が満たされる。

 思考回路はショートして。

 茹だる脳とは裏腹に、全身の血の気が引く。

 青ざめる俺とは裏腹に、泉希は頬をほんのり桜色に染め上げる。


 頭の中が湯気みたく揺蕩たゆたう。

 だるように熱い。

 意識が朦朧もうろうとする。


「と、取り敢えず俺は出るから!」


慌てて湯船から出ようとするも、まるで拘束されたみたく動けなかった。

 泉希が俺の胸板に頬を寄せて、背中に両手を回し強く抱き締めるから。


 一体どういうことだ。

 俺はどうすれば良い。

 抱き締められた腕に、どう応えれば良い。


 分からない。

 でも想いはある。

 きっとそれは泉希が頂いている感情と同じ。


 でも、間違っていたらと思うと……怖い。

 その瞬間に、全てが終わってしまうから。 


 答えの無い問いが脳内を駆け巡る。

 興奮と恐怖が血を凍らせる。

 小刻みに両手が震える。

 それでも溢れ出る気持ちには抗えない。

 恐る恐ると、俺も泉希の背に腕を回した。


 「んっ……!」


指先が肌に触れた瞬間、泉希が甘い声を漏らした。

 耳を撫でるようないろのある声。

 ゾクリと背筋が震える。

 そっと静かに、泉希が顔を上げた。

 熱く潤んだ視線が、俺を捉えて離さない。


 言葉など無い。


 耳を打つのはシャワーの流れる音。

 体の奥から響くけたたましい心音。

 だけど繋がっていた。

 そんな気がした。


 たかぶる鼓動は、より早く強く。

 

 俺達は、どちらからともなく顔を寄せていく。

 息の掛かり合う距離。

 互いの熱が伝わってくるよう。

 焼かれかれた脳細胞。

 理性と思考が停止する。

 だが、その瞬間。


 「ただいまー」


間延びした声を響かせ、火乃香が帰ってきた。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


き……今日は何も言う事が無いわ! 皆もお風呂の事故には気を付けてね!

あとお酒の飲み過ぎもダメよ! 弱い人はちゃんとセーブしてね!

それにしても、まさかこんな事態になるなんて……旅行前日にちゃんと処理しておいて良かったわ。

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