第87話 【8月上旬】お盆休みと出雲旅行⑥

 「――兄貴! 早くはやく!」

「あいあい」


浮足立つ火乃香ほのかに急かされ、俺達は予約の時間より10分も早く食事処しょくじどころへ赴いた。

 席はあらかじめ決められているみたいだし、開場時間より前に行った所で、ロビーで待つだけだろうに。

 そう思って、俺はと歩いていた。

 だが意外な事に、俺達は後発組だった。

 ホテルレストランを思わせる食事処では、他の客らが既に料理の列に並んでいる。


 「やばっ! 早くしないと無くなるじゃん!」


焦る火乃香に手を引かれ、俺と泉希みずきも駆け足気味に食事処へと向かった。

 会場入り口に立つ従業員のお兄さんへ部屋番号と名前を告げれば、人好きのする笑顔で予約した席へと誘導される。

 ソワソワと落ち着かない火乃香は、従業員さんが去ると同時に立ち上がった。

 そんな義妹いもうとに急かされて、俺と泉希も料理の列に並ぶ。


 丼にホカホカの白飯を盛って、好きな刺身を乗せる手製の海鮮丼。

 海老にマグロにイカに海ブドウ、ホタテにサザエとイクラにサーモン。

 普通の飯屋なら一杯千円以上しそうな豪華な丼。

 それを好きに作れるだなんて、夢のようだった。


 シェフが目の前で焼いてくれるリブロース肉や、島根県産の牛ステーキ。

 あまりの美味さに火乃香は言葉を失っていた。


 懐石料理でしか御目に掛かれないような、小鉢に盛られた料理もあった。

 料理名さえ分からなかったけど、美味すぎて2度お代わりをした。


 食べ放題のラインナップには蟹もあった。

 小振りだったけど、身が詰まっていて旨味うまみがぎゅっと凝縮されていた。

 食べ方が分からない火乃香に、泉希が丁寧に教えてくれた。


 出雲いずも名物と名高い蕎麦も食べ放題だった。

 天ぷらとの相性が抜群で、炊き込み御飯と赤出汁も付けてやった。


 ただ、唐揚げやフライドポテトのようなメニューが無いのは意外だった。食べ放題と言うからには、安価な料理も多いと思っていたのだけれど。


 相変わらず少食な泉希は、一足先に珈琲ブレイクに入った。

 火乃香もそろそろギブアップかと思ったけど、思いのほか食べ進めていた。

 ウチに来た頃に行った食べ放題では、今日の泉希と同じくらいの量しか食べていなかったのに。

 育ち盛りだし、沢山食べるのは良いことだ。


 目一杯に食べた火乃香は、最後にデザートで締めていた。

 その姿に触発された泉希も、ケーキやプリンなどを大量に取ってきて。


 心身ともに大満足した俺達は、食事処を後にして1階の売店を覗いた。

 特に欲しいものも無かったが、泉希は島根県産のマスカットワインを買っていた。

 ついでとばかりに、俺と火乃香も柚子のジュースを買った。


 部屋に戻ると、時刻はまだ19時過ぎだった。


 寝るには早すぎるが、浴衣に着替えたし外へ出る気分でもない。

 出待ち無沙汰感を出していると、火乃香が唐突とキャリーケースを開けた。


 取り出したのはトランプとボードゲーム。

 リバーシや将棋に加え、見た事もないカードゲームが沢山あった。

 どれも全て100円ショップで買ってきたらしい。

 一晩でこんなに遊べる筈も無いが、折角買ってきてくれたのだ。

 楽しい気分に水を差すまいと、俺は腕捲りをして意気込むポーズを示した。


 先ずはトランプを使い、定番のババ抜き。

 意外にも泉希が一番弱くて、3回やって3回とも負けていた。


 だけど次に遊んだ大富豪は一番強かった。

 火乃香は初めて遊んだらしく、ルールをよく分かっていなかった。

 

 勝負するならフェアな方が良いだろう。

 今度は3人とも初めて目にするボードゲームへと手を伸ばした。


 ハンバーガーを作っていくゲームは、引きの強さを見せる火乃香の圧勝だった。

 相手の選んだ数字を当てる推理ゲームでは泉希に軍配が上がった。

 頭を使うゲームでは、泉希に勝てる気がしない。


 100円のゲームなど大した事はないと思っていたが、なかなかどうして楽しめた。

 沢山笑ってカロリーを消費したせいか、少しだけ腹がこなれてきた。


「あー、ちょっち休憩! 疲れたじぇ!」

「私も一休みさせて貰うわ」


早々とギブアップする大人二人を他所に、火乃香はまだ遊び足りない様子で唇を尖らせた。可哀想だけど、車の運転やら散策やらで俺はもうヘトヘトだ。


「俺、もっかい風呂入ってこようかな」

「あ、じゃあわたしも行く!」

「ん。泉希はどうする?」

「私はいいわ。二人で行ってきて」

「そっか」


ソファに腰かけ手を振る泉希に見送られながら、俺と火乃香は部屋を後にした。

 折角の温泉なんだから泉希も入れば良いのに。

 何度入ったって無料なんだし。

 

「おろ?」


食事前にも入った大浴場へ向かっていると、途中にある【貸切風呂】が空いいるのに気付いた。

 ただし、5つある中の一つだけ。

 【漆の湯】という扉の掲示灯が、寂しそうに消えている。


「これ、使っていいのかな?」

「いいみたいだよ。受付で説明してくれたじゃん」

「そうだっけ」

「そうだよ」

「タダなんだよな」

「うん、無料」

「予約とかは」

「要らないって」

「にゃるほど」


3度ドアをノックして不在を確認する。

 恐る恐ると扉を開けて、中を覗きこんだ。

 誰も居ないことに、ずはほっと安堵する。

 貸切風呂というだけあって、大浴場のような広い湯処ではない。どちらかと言うとセレブな御宅のお風呂という印象。


「けど、貸切ってトコが良いよな」

「入るの?」

「うん。あ、火乃香も使いたいか?」

「ん……先入っててイイよ」


言うと火乃香は脱衣所を後にした。

 パタンと閉じられたドアを背に、俺はいそいそと服を脱ぎ、ハンドタオルを一枚だけ持って風呂場に足を踏み入れる。

 【漆の間】というだけあって、赤い漆塗りの浴槽が輝いていた。


「こいつは疲れが取れそうだな」


ニヤリと笑みを浮かべて独り言を呟き、シャワーの前に腰を下ろした。

 頭から湯を被り、シャンプー液を掌に取る。

 一頻ひとしきり頭を掻き殴り、白い泡を洗い流した。


 その直後だった。


 カラカラと音を立てて、浴室の扉が開かれた。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


夕食では別料金でお酒も飲めたのだけど、二人の手前遠慮したの。その反動で売店に売っていた御当地ワインを買っちゃったのよね!

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