第86話 【8月上旬】お盆休みと出雲旅行⑤

 『――もしもし?』

「あ、オカン! 俺やけど!」

『あー悠陽ゆうひ。どないしたん。もう出雲いずも着いたん』

「ああ着いたよ……って、そうやのうて!」


1階にあるロビーの片隅で、俺は携帯電話を片手に切り返した。

 出来るだけ邪魔にならない階段横で、背中を丸め口の裏側から声を張る。


「部屋、一個しか取れてへんねやけど!」

『そらそうやろ。一部屋で予約したんやから』


焦燥感から声を上擦らせる俺に反して、オフクロはも平静と答えた。

 その穏やかな声に、俺は気を抜かれたみたくの抜けた顔を晒して。


「オ、オカン知っとったんか?」

『当たり前やん。お盆の繁忙期に二つも三つも部屋なんか取れへんよ』

「え、いや……そうかもしれんけど」

『それにアンタ、火乃香ほのかちゃんと一緒に暮らしてるくせに今更いまさら何言うとんの』

「せやかて、今日は泉希みずきるやん」

『ええやん。あの子も家族みたいなモンやし』

「そんな無茶苦茶な……」


声を尻すぼみに、俺は恐る恐ると振り返った。

 泉希と火乃香はソファに腰かけ、無料のコーヒーを飲んでいる。ウン十万円もするコーヒーメーカーが使い放題とは恐れ入った。


 『とにかく他の部屋なんて空いてへんやろ。いつまでもゴチャゴチャ言うてんと、文句あるなら自分で考えて何とかしぃ!』

「ううっ……」


オフクロの一喝に俺は言葉を詰まらせた。

 宿代を出してくれている手前、強くは出れない。

 『お土産よろしく』とだけ言い加え、オフクロは一方的に通話を切った。


 俺も携帯電話の電源を切り、ズボンのポケットに仕舞い込む。

 溜め息混じりに肩を落とし、足取りも重く二人の所へ戻った。


 「あれ、兄貴。電話はもういいの?」

「ああ、まあ」

「じゃあ部屋に行きましょう。ずっと此処ここに居ても旅館の人に迷惑だし」

「あ……うん」


申し訳ない思いで項垂うなだれる俺に反して、二人は何の気ない風に告げる。

 火乃香はともかくとして、泉希はもっと焦るものと思っていた。


 キャリーケースを手に取り、エレベーターで上階へ向かう。

 鍵に記載されている番号の部屋を開けば、そこには畳敷きの和室が広がっていた。


 「うわぁ~! すご~い! ウチのアパートより全然広いかも!」

「ホント、良い感じね。脱衣所とお風呂もあるし、ちょっとした家みたい」


見た目にも風情ある美しい内装に、泉希と火乃香は嬉々として目を輝かせる。

 火乃香は一目散にアメニティを物色して。


 「ていうか兄貴、なんでさっき電話してたの?」

「ん……だって、部屋が一つしか取れてないから」

「なんで一つじゃダメなの?」

「そりゃお前は一緒に暮らしてるし、慣れてるかもしれないけど……なあ泉希」

「わ、私も別に構わないわよ」


キャリーケースから化粧ポーチを取り出し、泉希は澄ましたように答える。


 「私だって悠陽とは付き合い長いんだし、火乃香ちゃんも居るんだから」

「で、でも――」

「それにほら、一つだけベッド離れてるし」


言いながら泉希は窓際を指差した。

 ほか二つのベッドから離れされ、ローテーブルとソファを挟んだ形でソファベッドが置かれている。


 「なに暗い顔してんのさ兄貴! 折角の旅行なんだし、楽しまなきゃ!」

「そうそう。火乃香ちゃんの言う通り」


あっけらかんと言い放つ火乃香に、泉希も幾度と首を縦に振った。

 そんな二人の姿に、一人だけ悩んでいるのが馬鹿らしくなった。

 最悪キャリーケースを二つ並べてタオルでも掛ければ、間仕切りの代わりくらいには成るか。


「それじゃあ、御言葉に甘えようかな」

「うんうん!」

「そうと決まれば、お風呂に行きましょう。夕食の前に汗を流したいわ」

「なら大浴場にでも行くか」

「やった! おっ風呂! おっふろ!」


小躍りしながらはしゃぐ火乃香に、気付けば俺も笑顔を取り戻していた。


 エレベーターで2階へ降りて、長い廊下を進む。

 その突き当りに大浴場は在った。

 自家源泉から湧き出る大湯処おおゆどころ

 立ち湯や岩造りの露天風呂。

 サウナと水風呂にも挑戦してみた。


 一頻ひとしきり湯浴みを堪能し、俺はすぐ傍にある休憩処で二人を出待ちした。

 ふと廊下へ目を遣ると、家族連れや年配の客層が多いよう思えた。


 「あー、楽しかった!」

「本当、広いお風呂は最高ね」


ホカホカと湯気を立ち昇らせ、火乃香と泉希も浴衣姿で出てきた。

 ほんのりと紅潮した頬に、しっとりと濡れた髪が妙に艶っぽい。

 湯上り姿の泉希は初めて見た。

 逆上のぼせた頭と顔が、一段と熱を帯びる。


 火照ほてった体を冷ますように、二人も俺の眼の前にある椅子へ腰を下ろした。

 浴衣を着慣れていないのか、火乃香の胸元が覗き見える。

 咄嗟に顔を逸らすも、その先にも泉希の白い生足があった。


 二人とも、少し気が緩みすぎていないか。


 風呂上がりの客がチラチラとこちらを見ている。

 特に男性の客が。

 こんな美人と美少女の湯上り姿。

 見るなという方が難しいだろう。

 上気と共に色香も漂わせているのだから。

 誇らしい気持ちもあるけど、それでもジロジロと見られるのは気分が良くない。

 俺は二人の手を取り、早々と部屋へ戻った。


 「やっほーい!」


 そんな俺の気も知らず、火乃香は部屋へ到着するや勢いよくベッドへ飛び込んだ。

 浴衣のすそがはだけ、長い足が丸見えになる。

 パタパタとバタ足みたいに動かすから、下着パンツまで見えてしまいそうだ。

 

「こ、こら火乃香! はしたないだろ」

「いーじゃん別にー。無礼講ぶれーこー」


無礼講の意味を知ってか知らずか、火乃香は上機嫌に足をバタつかせる。

 まるで空を泳いでいるみたく、気持ち良さげに。


 俺もやってみようか。

 そんな考えが脳裏を過ぎる。

 けれど理性が身体を止める。

 うずうずと手をこまねいている間に、泉希が火乃香の隣へ飛び込んだ。


 艶めかしい二人の白足が、まるで俺を手招きするかのよう上下に動く。


 意識と視線が、意図せず釘付けになる。

 生唾でゴクリと喉が鳴った。


 俺は今日……本当に此処で眠れるのだろうか。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


今回私達が泊まった旅館は1階にロビーと食事処、それに売店があるの。

2階は浴場と休憩室、になっていて大浴場が2つと貸切風呂が5つ。

それより上は全階客室となっているみたい!

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