第83話 【8月上旬】お盆休みと出雲旅行②

 「――あーにーきっ! おっきろー!」

「ぐふぁっ!」


俺は火乃香ほのかに叩き起こされた。

 スヤスヤと寝息を立てていた俺の上に、馬乗りでし掛かる形で。

 一瞬にして現実へ引き戻された俺は、腹を抱えて寝惚ねぼまなここすった。


 時刻はまだ朝の4時30分。

 半分なかば夢の中に居る俺とは違い、火乃香は声高らかに溌剌はつらつとしている。

 昨夜ゆうべは俺の方が早く寝付いた筈なのに。

 これが若さというものか。


 「ほらほら! 早く支度したくしてシタク!」

ぁってるよ……」


両手を叩いてかす火乃香に、俺は大きな欠伸あくびをかまして、のそりと起き上がった。


 今日は待ちに待った出雲いずも旅行の当日。

 窓に目を向けると、外はまだ暗かった。


 シャワーを浴びて歯磨きを済ませ、財布の中身と携帯電話を確認する。

 昨日の内に準備を済ませていた火乃香は、生ゴミを纏めて冷蔵庫以外のコンセントを抜いていた。


 最後に戸締りを確認して、車を停めているコインパーキングへと向かう。

 東の空がかく白んでいた。

 ちょうど夜が明けた所らしい。

 なんとなく空気も冷たい気がする。

 朝の5時って、こんな雰囲気なんだな。


「つーか、腹減ったな」

「ダメだよ兄貴。夕食は食べ放題なんだから!」

「へいへい」


キャリーケースを引きながら腹を摩る俺に、火乃香はぷくりと頬っぺたを膨らませて睨んだ。怒る姿も可愛いから、困ったものだ。


 などと言っている間に俺達は駐車場へ到着した。

 オフクロに借りたのは、何のことはない5年落ちの普通車。

 だが火乃香はバスくらいしか車に乗った事が無いらしく、嬉しそうに目を輝かせていた。


 キャリーケースをハッチバック(リアゲート)に詰め込んで、火乃香をエスコートするよう後部座席のドアを開ける。

 靴を脱いで乗り込もうとする義妹いもうとに、俺は苦笑を浮かべて止めた。

 シートに腰を下ろした火乃香は、落ち着かない様子で車内を見回している。

 俺は何を言われるでもなく、シートベルトを締めてやった。


「そんじゃ、行くぞ」

「おー!」


火乃香は元気よく腕を上げた。

 俺はエンジンを入れ、静かに車を発進させる。

 メーターは思いのほか回っていない。

 現場を引退してからは、あまり使っていなかったのだろう。

 以前まえは通勤の為に、ほぼ毎日乗っていたのに。


 久しぶりの運転だから、少しだけ緊張するな。

 家の前を横切る狭い路地を通り抜けて、表の国道へと出ていく。

 普段は車通りの多いこの道も、朝が早いおかげでスムーズに出られた。

 

 「そういえば兄貴。みち分かるの?」

「ん? ああまあ、大丈夫だろ」

「えー、なんか頼りない返事ー」

「大丈夫だって。後でナビ入れるから」


ダッシュボード真ん中に設けられた液晶モニター。そいつを指先で、トントンと軽く叩いてみせる。


 「それ、もしかしてテレビ見れるやつ?」

「そうそう」

「えー、すごーい!」

けるか?」

「点けるつける!」


興奮気味な火乃香のリクエストに応え、俺は画面を切り替えた。

 地上波のニュース番組なのに、火乃香は感嘆の声を漏らし視線を釘づける。


 2車線の道路を南へ進み、高速道路のインターを素通りして国道に入る。

 バックミラーに映る火乃香は、上機嫌に鼻歌を口ずさんで。

 20分ほど走って、大きな駅の前を通り過ぎ、閑静な住宅街へと車を進めた。


 「お、居た居た」


瑞々しい街路樹が映える綺麗な歩道。

 その歩道の端で、泉希みずきが手を振っている。

 車を脇に停めれば、キャリーケースを引く彼女が足早に近付いてきた。


「おはよー、泉希ー」

「お、おはよう! 悠陽ゆうひ!」


外に出て泉希に呼び掛けると、どこか強張こわばった声が返された。


 ここは彼女のマンション近く。

 町がまだ眠りについているせいか、泉希以外に誰も歩いていない。

 普段なら泉希もまだ寝ている時間だろう。 

 にも関わらず泉希はメイクもバッチリ、意気揚々いきようようと目を輝かせている。


 「えと……悠陽。き、今日はお誘いありがとう」

「こちらこそ。折角の連休なのに悪いな」

「全然! どうせ予定とかも無かったから!」


照れ臭そうに前髪を触りながら、泉希は口元に笑みを浮かべている。

 そんな彼女のキャリーケースを取って、代わりに車の後ろへ乗せた。


 「ありがとう、悠陽」

「どーいたしまして。泉希は前に乗ってくれ」

「はーい」


火乃香とは違って戸惑う様子もなく、泉希は慣れた風に助手席のドアを開けた。


 「おはよう、火乃香ちゃん」

「おはようございます、泉希さん!」


後ろを振り返りながら挨拶をする泉希に、火乃香も声高に返す。

 俺も運転席に座り直してシートベルトを装着し、モニターをテレビからナビに切り替えた。


 「そういえば、今日は高速を使うのよね」

「うむ」

「小銭の準備とか大丈夫? 島根までだと結構するんじゃない?」

「大丈夫だよ。ETC入れてるから」

「誰のカード?」

「俺の」

「持ってたのね」

薬局みせ入社はいったとき作った」

「そう。じゃあ先にこれ渡しておくわ」


言いながら泉希は財布から1万円札を取り出し、俺の前に突き出した。


「いいよ別に。そんな気ぃ遣うなよ」

「良くないわよ」


頑なに受け取ろうとしない俺に痺れを切らしたか、泉希は無理矢理と俺のポケットへ突っ込んだ。


「じゃあ……途中にサービスエリア寄って、こいつでコーヒーでも買わせて貰うな。ありがと、泉希」

「どーいたしまして」


さっきの俺の真似をするような泉希の口調に、俺達は何方どちらからともなく「クスクス」と笑い出した。


 そんな俺と泉希に反して、バックミラー越しに見える火乃香は不機嫌そうに口先を尖らせている。

 もしかして、俺が断りも入れずモニターをナビに切り替えたせいかな……だからってそんなに怒らなくても良いと思うのだけれど。


 刺すような視線を後頭部に感じながら、俺はおもむろに車を発進させた。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


悠陽も実家から薬局に通っていた頃は、お義母様の車を借りて通勤していたそうよ! だから運転も不得意という訳ではないみたい!

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