第81話 【8月上旬】俺と火乃香と時々オカン④

 オフクロに手渡されたA4サイズの封筒。

 その中身を目にした瞬間、俺は驚きのあまり声を失った。

 なにせ封筒の中に入っていたのは、観光ホテルのパンフレットなのだから。


「なんや、これ」

「アンタの誕生日プレゼント」


いぶかしく眉をひそめる俺に反して、オフクロはさも平静と答えた。

 けれど言葉の意味が分からず、俺は一層と眉間にしわを寄せた。


 「アンタ、今度のお盆休みはどこも遊び行けへんねやろ。そこのホテル予約とれたから、あの子と行っておいで」

「え……ほ、ホンマに!?」

「嘘ついてどないすんのよ。ただ予約は三人でしか取れんだから、泉希みずきちゃんも一緒に誘ってあげ」

「泉希も?」

「せや。あの子も仕事頑張ってくれてるしな。実際泉希ちゃんがウチの大黒柱みたいなもんやし」

「それは確かに」


こればかりはオフクロの言う通りだ。もしも泉希が居なければ、ウチの薬局はとうの昔に立ち行かなくなっていただろうからな。


「けど、アイツの予定も確認せんと」

「そんなら大丈夫よ。今年のお盆は何も予定は無い言うてたから」

「あ……さよか」


泉希がお盆休みに何処へも行かない事を、オフクロが知っていたのは旅行に行けるか確認するためか。

 しかし泉希の気持ちもあるだろうからな。週明けにでも確認してみよう。


「せやけどオカン、ホンマにエエんか?」

「なんで」

「だってさっき『火乃香と縁切れ』言うてたやん。せやのに旅行やなんて、言うてることが違い過ぎてうたごうてまうわ」

「さっきのはアンタの意思を確認しただけや」

「確認?」


オウム返しに聞き返すと、オフクロは湯呑みを手に取り静かに頷いた。


 「もしアンタが『やっぱりえん切る』言うたり迷ったりしたら、すぐに後見人手続き解消させるつもりやってん。ほんでアタシがあの子の後見人になったろ思てたんや」

「こ、後見人て……なんでオカンが⁉︎」

「さっき言うたやろ。子供が罪犯したら親はそれを背負わなアカン。ほんならアンタの尻拭いはアタシがやらなアカンやろ。それに、お父さんの件もあるしな」


平静と言いながらオフクロはもう一度茶を啜った。

 あまりの展開に、俺は間抜けに開いた口を閉じることも出来ないで。


 「色々言うだけど、子供なんて放っといても勝手に育つし。アタシもアンタが子供の頃から仕事しとって、遊びもロクに連れて行かれへんだしな。せめてあの子には、楽しい思い出の一つも作ったり」

「オカン……」


どこか昔を想起するようなオフクロの横顔に、俺はまた唇を結んだ。

 思えばオフクロはずっと忙しくて、家族旅行なんて行った覚えが無い。


「でも、オカンはええんか?」

「なにが」

「折角とってくれたんに、一緒に行かんの?」

「アタシ今あんま体調良くないんよ。それにキキを預かって貰おにも、どこのペットホテルも予約が一杯やったし」

「なるほど……」

「せやから代わりに行っておいで。キャンセルするんは勿体もったいないから」


トントンと自分の肩を叩きながら、オフクロは冗談っぽく疲れた顔を見せた。

 どこまで本当か分からないけれど、折角の誕生日プレゼントだ。

 今日は御言葉に甘えさせてもらおう。


「ありがとうな、オカン。楽しんでくるわ」

「ん、お土産よろしく」

「おう、期待しといてや」


封筒にパンフレットを仕舞って言うと、オフクロは優しい笑顔で返してくれた。

 薬局を立ち上げてからというもの、ずっと社長の面構えで居たからな。

 あんな表情は……久しぶりに見た気がする。


 何故だろう。

 ちょっとだけ、嬉しくなった。



 ◇◇◇



 それから間もなく、火乃香がキキちゃんの散歩から戻ってきた。

 余程楽しかったのか、額に汗を浮かべまばゆい笑顔を輝かせて。

 キキちゃんも短い舌を出し息を切らしている。


 そんな火乃香らと入れ替わるように、出前の寿司が届けられた。

 使い捨てじゃない容器なんて、法事のとき意外に見た事がない。


 「お腹空いてるやろ。皆で食べよ」


オフクロの一声に、俺達は寿司を囲んだ。

 だけど遠慮しているのか、火乃香は安そうな巻物ばかりに箸を伸ばしていた。

 見兼ねたオフクロが中トロを薦めると、火乃香は恐る恐ると箸に取った。

 頬が落ちそうな程の笑顔を浮かべる火乃香の姿に、オフクロも満足気だった。


 寿司を食べ終えると、土産に買ってきたどら焼きを出してくれた。

 と同時、オフクロは本棚から本のような物を取り出し火乃香に手渡して。


 何かと思えばアルバムだった。


 俺が生まれた頃から撮り貯めた写真の数々。

 赤ん坊の頃の俺を見て、火乃香は「天使みたい」と目を輝かせて狂喜した。

 オフクロも「でしょー」と自慢げに乗っかって。


 ページをめくるたび、火乃香の歓声とオフクロの笑いが止まらなかった。

 恥ずかしさに悶え死にかける俺は、顔から業火が上がりそうな心地だった。

 

 極め付けは俺の暗黒時代……もとい高校時代だ。

 金髪頭で顔に幾つも怪我を作り、何が面白くないのか仏頂面を決め込んで。

 そんな俺のおぞましい写真に、火乃香は「兄貴ってヤンキーだったの?」と驚いた問いかけた。


 俺は何も答えなかった。

 何を言っても笑われそうで恥ずかしかった。


 にも関わらずオフクロが「高校デビューしよ思て変な方向行ってんよね」と、余計な横槍を入れた。

 仲良く高笑いをする二人を他所に、俺は俯くことしか出来ないでいた。


 拷問のような時間がようやくと終わり、そそくさと帰ろうとした間際。

 オフクロが火乃香にポチ袋をひとつ渡した。


 「キキの散歩行ってくれた、お駄賃」


火乃香は両手を振って遠慮したが、オフクロも頑なに引かなかった。

 長い攻防の末、火乃香が折れる形となった。

 何度も頭を下げて礼を言う火乃香に、オフクロも満更でない様子だった。


 帰りの電車でポチ袋を開けると、中には1万円札が納められていた。

 だけど金額に面食らった火乃香は、喜ぶどころか狼狽うろたえていた。

 「折角の好意だし、ありがたく貰っておきな」と俺が諭すと、火乃香はやっと受け入れ「次会った時お礼しなきゃ」と息を巻いた。


 それにしても、オフクロは随分と火乃香のことを気に入ってるみたいだ。

 もしかすると、本当に孫みたく想っているのかもしれないな。


 いつかは、本物の孫の顔も見せてやりたい。


 柄にもなく、そんなことを思った。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


以前にも話したけれど、悠陽のお義母さまは体調を崩されて現場を退いて経営業務に専念されるようになったの。私と悠陽が入職したのも丁度その頃ね。

当時に比べてだいぶ御身体は良くなったみたいだけど、まだ時々お辛くなるみたい。

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