第80話 【8月上旬】俺と火乃香と時々オカン③
「――悪いことは言わへん。
日曜日にオフクロの家(俺の実家)へ訪れた矢先、オフクロは愛犬の散歩へ行くよう
そして火乃香が家を出た直後、何の前触れもなく俺に告げた。
一体何を考えているのだろうか。
俺の頬に、冷たい汗が伝った。
「な、なに言うてんねんオカン。なんで俺が火乃香と縁切らなアカンねん」
「アンタが何も考えてへんからや」
動揺する俺にオフクロは返す刀で言い放つ。
だがその言葉の意味を受け止められず、俺は苦々しく眉を
「アンタは
「そ、そんなん俺かて分かって――」
「いーや、アンタは分かってない」
取り付く島もないどころか断崖絶壁の如くオフクロは俺の言葉を断ち切り、厳めしい表情で首を左右に振った。
「もしあの子が犯罪でも犯したら、アンタが全部の背負わなアカンねんで。あの子が真っ当な人間になれるように色んなモン犠牲にせなアカン。
将来かて考えたらなアカン。いつまでもアンタが養う訳やないんやから。あの子が成りたいモンとか将来の夢とか、ちゃんと話してるんか?」
「それは……」
たじろぐ俺は言葉を詰まらせた。
火乃香の将来を考えていない訳じゃない。
話をしていない訳でもない。
ただ、まだ15歳だからと深く考えていなかった。
今はまだ……考えたくなかった。
だけどそんなのは言い訳にもならない。
反論の余地も見出せず、俺は苦虫を噛み潰した顔で顔を伏せた。
やり場のない悔しさを体現するよう、両の手には拳を握り締めて。
「あの子が高校出て働く言うんやったら良えわ。けどもし大学行きたいってなったらどないすんの。アンタの給料で学費払ってあげられるんか?
文系や国公立ならまだしも、私立の理系行きたいてなったらどないすんねん。毎年100万以上、学費が必要やねんで?
今から貯蓄する言うても、3年そこらで貯めれる額なんて雀の涙やろ」
「そ、そうやけど……でも――」
「言うとくけど奨学金なんて宛てにしなや。あんなもん借金と変わらんねんからな。負債抱えて社会人スタートせなアカンねんから」
突き放すようなオフクロの言葉に、俺はぐうの音も出なかった。
今の生活を続けるだけも一杯一杯なのに、大学の学費なんて払える筈も無い。
貯金をするにしたって、学費どころか入学金さえ貯められるか怪しい所だ。
自分の不甲斐なさと浅はかさを、改めて突き付けられた気分だ。
俺は歯痒さに下唇を噛み締めた。
反対に握りしめた拳は
「確かに……オカンの言う通り、俺は考えが甘かったかもしれん。なかば成り行きで後見人になった所もあるし、俺は小さな薬局の中しか知らん世間知らずやから」
「ホンマにその通りやで。アンタはまだ若いねんし、自分の幸せだけを考えて生きたらエエんよ。人助けなんか、もっと余裕のある人がしたらエエねんから。悪いことは言わへんから、保護者代わりなんか早よ止めてしまい」
射殺すようなオフクロの視線と声。
おまけに理路整然と正しい言葉を並べ立てられ、無意識のうち萎縮してしまう。
だけど俺は……もう一度五指を握り込んだ。
「そんな真似する訳ないやろ。アホ言うな」
自嘲気味に笑って言うと、俺はオフクロに真っ向から視線で立ち向かった。
瞬間、オフクロの眉が鬼のように吊り上がる。
「はぁ? アンタ誰に物言うてんねん!」
「アンタに決まっとるやろ。火乃香はもう俺の義妹や。それをいまさら赤の他人に戻るなんて、出来るわけないやろ。
俺とオカンが縁を切れへんように、俺と火乃香の縁も、もう切られへんねん。
たとえ借金背負おうと身体壊そうと、俺はアイツを見限ったりはせぇへん。未来永劫、火乃香は俺の家族や。それを縁切れなんて言う輩は、アホ以外の言葉なんてあれへん」
言い終わると同時、俺は「ふん」と鼻で嗤った。
格好つけた台詞なのは自分でも理解している。
だけど抑えられなかった。
腹の底から湧き出る想いが溢れて、そのまま声と換わって漏れ出した。
そんな俺の姿に何を思ったのか、オフクロは深い溜息を吐いた。
「お父さんの血ぃ引いとって、よう言うわ。まあええ、ほな精々頑張り」
「……へっ?」
先程とはまるで正反対なオフクロの言葉に、俺は間の抜けた声を漏らす。
「いや……エエんかいな?!」
「ええよ別に。アンタがそんだけ言うねやったら、もう意見曲げたりせぇへんやろ。そういう所はお父さんに似て頑固やから」
溜め息混じりに言いながら、オフクロはキッチンに立って茶を淹れた。
コトリ、と俺の前にも二つ湯呑みが置かれる。
「それにあの子、アンタと
「ほんまかいな!」
「あの子が薬剤師になれ店も安泰やし、アタシも安心やからな。なんやったら今からウチの薬局で事務員として働かしたら
「それは……まあ、考えとく」
ズズズと茶を啜った。火乃香と一緒に仕事をするだなんて、考えてもみなかった。
俺も以前に火乃香に『医学部に行けば』みたいな事を言ったけど……血は争えないってヤツかな。
「ま、何でもエエけどせめて人並みの贅沢くらいはさせたりや」
言うとオフクロは徐に立ち上がり、一冊のA4封筒を取り出した。
かと思えば、俺の前に無言のまま差し出して。
「なにそれ」
「エエから開けてみ」
訳の分からないまま封筒を受け取り、俺は小首傾げて封筒を開く。
「えっ……?」
その瞬間、俺は驚きの余り声を失ってしまった。
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