第79話 【8月上旬】俺と火乃香と時々オカン②

 オフクロの電話から、二日が経った日曜日。

 俺と火乃香ほのかはオフクロの家――つまりは俺の実家へと向かった。


 火乃香は半袖のブラウスに、紺色のプリーツスカート姿。長い髪もポニーテールに纏めている。

 まるで『今から登校』というような風体ふうてい

 何故に制服を着ているのか尋ねると、『ちょっとでも真面目に見えるかと思って』とのことだ。

 火乃香なりに気を遣ってくれているのだろう。

 それが証拠と、その横顔には明らかな緊張の色が伺える。


 1時間ほど電車に揺られて、俺達は漸くと実家に到着した。

 小さいながらも庭付きの一軒家。

 インターホンを押せば、家の中から「ワンワン」と小型犬の声が響いた。

 そして間もなく。重々しい玄関扉が、ゆっくりと開かれた。


 「いらっしゃい」


淡白な挨拶と共に、オフクロが姿を現した。

 息子が帰ってきたにも関わらず『お帰り』などと言わない辺りが、いかにもウチのオフクロらしい。


「よう。オカン元気か」

「まあまあやね」

「充分や。ほいこれ」

「なにこれ?」

「手土産。どら焼き」

「ああ、ありがとう」


袋を受け取りチラを中身を一瞥してから、オフクロは火乃香へと視線を向けた。

 その鋭い目に火乃香はビクリと肩を震わせ、俺の方に半歩近寄る。


 「その子が、例の火乃香ちゃん?」

「せや」

「あ……は、はじめまして! あ、朝日向あさひな火乃香ほのかと言います!」


ポニーテールを振り乱し、裏返った声で火乃香は深々と頭を下げた。

 小さな背中が小刻みに震えている。

 もしもオフクロが冷たい態度を取ろうものなら、俺がビシッと言ってやる。

 そう心に誓い、俺は体側で拳を握ると大きく息を吸い込んだ。


 「めっっっっちゃ可愛いやん!」

「……おぅ?」


だが俺の覚悟とは裏腹に、オフクロは嬉々とした声を上げた。その表情には、驚きの笑みがこぼれて。


 なるほど、そう来たか。


 わけが分からないと言った様子で唖然と口を開く火乃香を尻目に、俺はひとり心の中で納得した。

 そして緊張の糸と共に、両の拳もほどく。

 

 「ちょっと悠陽ゆうひ。こんな綺麗な子ぉなんやったら、もっとよ紹介しーよ」

「いや『会いたない』言うてたんオカンやろ」

「細かい子ぉやな。そんなトコで突っ立ってんと、なか入り」


眉間に皺を寄せながら、オフクロは扉を大きく広げて俺達を招いた。

 ポカンと立ち尽くす火乃香の背中を軽く押して、俺達も敷居を跨ぐ。

 

 「ワンッ!」


するとその時、廊下の奥から一匹のトイプードルが駆け寄ってきた。

 短い尻尾をこれでもかと振り回し、目をキラキラと輝かせ俺達を迎えてくれる。 

 火乃香とは初めて会うというのに、全く警戒する素振りを見せない。


 「”キキ”言うんよ。火乃香ちゃん、犬は平気?」

「あ、はい。大好きです!」

「ほな良かったわ」


オフクロとキキちゃんに先導されて、俺と火乃香はかまちを上がった。

 乱暴に靴を放り出した俺とは違い、火乃香は丁寧に靴を並べる。

 足元で跳ね回るキキちゃんの相手をしつつ、俺達は廊下を進んだ。


 「わぁっ……!」


リビングに足を踏み入れた瞬間、火乃香が感嘆の声を漏らした。

 まるで美術館にでも来たみたく、壁や天井を見回しながら。


 「どないしたん、火乃香ちゃん」

「いえ、その……すごく綺麗なおうちで、びっくりしちゃって」

「そんな大したことあらへんよぉ。狭い家で恥ずかしいわ~」


満更まんざらでもない様子で、オフクロはニヤニヤとほくそ笑む。

 確かにウチのアパートよりは広いし、家具もそれなりに上等だけど。


 勝手知ったる風にソファへ腰を下ろすと、火乃香もならうよう隣に座った。

 と同時に、キキちゃんが膝の上に飛び乗ってきて火乃香の顔を舐め回す。


 「こら、アカンよキキ」

「だ、大丈夫です。わたし、動物好きですから」

「そう? ごめんねぇ」


悪びれる気配を微塵も感じさせず、オフクロは俺達の前に冷たい茶を出してくれた。


「いただきまーす」

「い、いただきます……」


よほど緊張しているのだろう、火乃香はギコちない手付きで茶を啜った。

 そんな火乃香を品定めでもするかの如く、オフクロは頭の天辺から足の先まで何度も見回す。


「なんやオフクロ。そない火乃香のこと見て」

「いやちょっと」

「『ちょっと』てなんやねん」

「だって、こんな可愛い子ぉが悠陽の義妹いもうとになったやなんて感激やねんもん。なんやアタシにも娘か孫が出来たみたいやわ」


頬に手を当て余所よそ行きの声で以て、オフクロは口の端に笑みを浮かべた。

 火乃香は顔を真っ赤に染め上げ、恥ずかしそうに俯いてしまう。


 そう、オフクロはかなりの面食いなのだ。

 老若男女をいとわない極度の美形好き。

 泉希を気に入っているのも、彼女が優秀な薬剤師である以上にオフクロ好みの美人だからだろう。


 「……あ、あのっ!」

「ん、どうしたん火乃香ちゃん?」

「えと、その……は、母のお墓とか遺産整理のお金とか、色々有難うございました! お、お借りしたお金は必ずお返しします!」


姿勢を正しピンと背筋を伸ばして、火乃香はまた深々と頭を下げた。


 「そんなん良いエエんよ。もとはといえばウチの旦那がアホやってんから。こっちこそ面倒かけてもうてゴメンな。火乃香ちゃん、まだ若いのに」

「い、いえそんな! 全然です! むしろわたしは兄貴に……悠陽さんに拾ってもらえて、今が人生で一番幸せです」

「……そう」


ワントーン下げた声で呟くと、オフクロは再び茶を煽った。


 「火乃香ちゃん。悪いんやけど、キキを散歩に連れてあげてくれへん?」

「え……散歩、ですか?」

「そう。なんやアタシ、昨日から足痛ぁて、今日はまだ行けてへんのよ」

「わ、分かりました! 行ってきます!」

「ほんなら俺も一緒に行こかな」

「いや、アンタはって」

「なんでやねん」

「さっき頼んだお寿司、受け取って欲しいんよ」


言うとオフクロはグイと一気に茶を飲み干した。


 火乃香も出されたお茶を空にして、言われた通りキキちゃんの散歩へ出かけた。

 初めて会った人間とも喜んで散歩に行くあたり、随分と人好きなワンコだ。


 「ちょっと悠陽」


玄関先で火乃香を見送った矢先、オフクロが唐突と俺を呼んだ。

 心なしか、さっきより少しだけトーンが低い。

 鋭い双眸そうぼうが、ジトリと俺をめつける。


 「悪いことは言わへん悠陽。アンタ、あの子とはえん切り」

「……は?」


冷たい汗が、俺の頬を伝った。




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悠陽のお義母様は朝日向調剤薬局の創業者で御自身も薬剤師よ! 私が研修生として実習に訪れた頃は現役バリバリだったけれど、今は身体を壊して社長業に専念していらっしゃるの。

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