第72話 【風間くん視点】北風と太陽②

 無我夢中のまま家を飛び出した僕は、I市にある朝日向あさひな調剤薬局ちょうざいやっきょくを訪れた。

 だけど、そこに朝日向あさひなさんの姿は無かった。

 出迎えてくれたのは彼女のお義兄にいさんだった。

 仕事中にも関わらず、お義兄さんは彼女を薬局おみせに呼び出してくれた。


 待っていたのは、ほんの1時間くらいしか。

 だけど僕にとっては、一日千秋の思いだった。


 そうして久しぶりに会った朝日向さんは、僕の事なんてすっかり忘れていた。

 ショックだったけど、それ以上に朝日向さんの顔を見れて嬉しかった。

 相変わらず朝日向さんは可愛かった。

 どころか一層と輝きを増していた。

 雰囲気が明るくなっていた。

 まるで長い夜が明けたみたいに。

 

 だけど、そんな浮足立った気分もつかの間。


 お義兄さんの言葉に怒った朝日向さんは、僕の腕を掴んで店を飛び出した。

 朝日向さんに名前を呼んで貰えて嬉しかった。

 朝日向さんと触れ合えたのが幸せだった。

 ただそれ以上に、僕のせいで二人が仲違いした事は心苦しかった。


 そうして朝日向さんに腕を引かれるまま、僕達は近くのカフェに向かった。

 カフェと言ってもスーパーのフードコートみたいな空間だった。セルフサービスの珈琲が一杯100円という安さに驚いた。


 『本当ムカつく! あのバカ兄貴!』


お世辞にも美味しいとは言えない珈琲を飲みながら、朝日向さんは延々とお義兄さんの愚痴を零していた。

 二人が血縁関係のない義兄妹である事も、教えてもらった。


『わたしの事が心配じゃないのかな』

『もっと止めてくれたって良いのに』

『他に言い方があると思わない?』

『マジで鈍感』

『トーヘンボク』


数え上げればキリがなかった。

 入学式の頃に出会った朝日向さんとはまるで別人のように口数が多く、表情や仕草も豊かだった。

 嬉しい反面、モヤモヤした。

 

『お義兄さんのこと、嫌いなんだね』


苦み走った笑顔を浮かべて、僕は問いかけた。

 朝日向さんに同調したかった。

 そうする事で彼女の好感度を上げたかった。


 何より、お義兄さんを否定したかった。


 否定して欲しかった。

 朝日向さんの口から『嫌い』と言ってくれれば、それだけで安心できた。

 

 『嫌いだとか……そういうのじゃないし……』

 

だけど僕の願い虚しく、朝日向さんは頬を赤く染め上げ言葉を濁した。

 ドクン、と心臓が大きく脈を打った。

 痺れるような焦燥が全身を包んだ。

 気付けば僕は、勢いよく立ち上がっていた。


 『朝日向さん! 僕と付き合って下さい!』


なけなしの勇気を振り絞って……いや、なか自棄ヤケになって僕は朝日向さんの手を握りしめた。


 『え……そ、そんな、急に言われても……』

『どうして? 他に付き合ってるひとが居るの?』

『い、居ないけど』

『じゃあ好きなヒトは?』


間も置かず聞き返すと、朝日向さんは顔を背けた。

 かと思えば握りしめた僕の指から抜け出すよう、スルリと手を引いて。


 『風間くんの気持ちは……素直に嬉しいよ。ありがとう、すごく伝わったし』

『じゃあ……!』

『でもやっぱりゴメン。わたしなんか学校もまともに通ってないし……風間くんにはもっと良い子が居ると思うからさ。カッコイイし、優しいし』


眉尻下げてどこか申し訳なさそうに、朝日向さんは微笑みかけてくれた。

 そんな朝日向さんの優しさが、却って辛かった。

 その痛みが全てを理解させてくれた。

 朝日向さんは、きっと……。

 宛ても無く浮かんだ手を降ろし、僕は机の下で拳を固く握りしめた。


 『それに、知り合ってすぐ付き合うとか、わたしには難しいっていうか……お互いのことも全然知らないしさ』

『なら、一度デートだけでもしてほしい』

『デート?』

「うん。もしそれで少しでも僕と居るのが楽しいと思ってくれたなら、その時は付き合ってほしい」

『えっ……』


朝日向さんは少しだけ身じろいだ。

 こんなに積極的なアプローチしたのは、生まれて初めてだった。


 『そうだよね……風間くん、わざわざ会いに来てくれたんだもんね』


モジモジと指を遊ばせながら朝日向さんはポツリと呟いた。

 そして意を決したかのように大きく頷くと、僕を上目に見遣った。


 『じゃあ……一回だけデートしよ』

『ほ、本当に⁉』

『うん。今日来てくれた御礼もあるし』

『ありがとう! 嬉しいよ!』

『あっ……で、でも一度兄貴に確認させて!』

『確認?』

『うん。もし兄貴が「ダメ」って言ったら、その時は……やっぱりゴメン』

『分かった。じゃあ、その時は連絡してくれる?』

『う、うん』


自然な風を繕って携帯電話を差し向けると、朝日向さんもいそいそと自分の携帯電話を取り出した。

 『最近【LIME】の交換したばっかりなんだよ』と朝日向さんは得意げにアプリを開いた。愛らしい姿に、僕は思わず頬が緩んだ。


 学校に居た時より、ずっと楽しそうだ。

 それがひしひしと伝わってきた。


 2時間も経たないうちに僕たちは解散した。

 晩御飯の支度があるらしい。

 家事は全て朝日向さんがやっているそうだ。

 彼女の手料理を毎日食べられるお義兄さんが羨ましくて、悔しかった。


 結果から言うと、お義兄さんはデートを『ダメ』と言わなかったらしい。

 おかげで僕は朝日向さんとデートが出来る。

 だけど何故か、同時にお義兄さんへ【ドッキリ】を仕掛ける事になった。


 完全なデートじゃないけど、仕方ない。

 僕には迷っている時間も選択肢も無いんだ。

 例えお義兄さんが見ていても、このデートを成功させてみせる。


 そう心に誓った。


 ただ残念だったのは、朝日向さんはマメに連絡を取るタイプではなかったこと。

 数少ないメッセージも、【ドッキリ】に関する打ち合わせが殆どだったこと。

 

 それでも良かった。


 朝日向さんと遣り取りが出来るだけで。

 朝日向さんの力になれるだけで。


 彼女が笑顔になれるのなら。

 彼女が幸せになれるのなら。


 僕にもまだチャンスは残っているのだから。

 僕ならもっと彼女を幸せに出来るのだから。


 そう自分に言い聞かせて……。 




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


作中に何度か出てきたけれど、【LIME】というのはメッセージアプリのことよ。文章だけじゃなくて、写真や動画なんかも送れる優れものよ!

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