第71話 【風間くん視点】北風と太陽①

 初めての出会いは、入学式の日だった。


 運の悪い事に、知り合いと呼べる人間はクラスに一人も居なかった。

 不安に押し潰されそうな中で、一人ずつ自己紹介をするよう言われた。

 

 『風間かざま』だから出席番号は前半。

 僕より前には6人しか居ない。

 好スタートを切るための最初の関門。

 間違っても此処ここでコケる訳にはいかない。

 昨夜考えた台詞を、頭の中でリピートしていた。

 その時だった。


 『朝日向あさひな火乃香ほのかです。よろしくお願いします』


冷たい声が、僕の鼓膜を震わせた。

 教室が微妙な空気に包まれる中で、僕も恐る恐ると隣の席へ目を向ける。

 

 えらい美人がそこに居た。


 凛とした表情に切れ長の双眸そうぼう

 長い黒髪は夏の夜空のように美しく。

 今まで出会った誰よりも綺麗だった。

 だけどそれ以上に、影のある雰囲気が印象的で。


 彼女が着席した後も、僕は目を離せなかった。

 生まれて初めて味わう衝撃だった。


 おかげで自己紹介の内容もろく反芻はんすうできなくて、月並みな挨拶に終わった。

 でも後悔は無かった。

 あんな綺麗な子が隣の席に居るのだから。


 でも、浮かれ気分は長く続かなかった。


 次の日の休み時間。

 朝日向さんは数人の女子に話し掛けられていた。

 だけど愛想笑いの一つも返さずに、朝日向さんはずっと頬杖ついて、酷く詰まらなそうにしていた。


 翌日から誰も彼女に話し掛けなくなった。

 どころか周りは変な噂をしていた。


 「風俗で働いてる」

 「パパ活をしている」

 「母親はアル中でヤクザの女」


 根も葉もない、馬鹿げた噂話だ。

 どうせ女子連中のひがみが生んだ妄想だ。

 周りの皆だって、そんな事は理解わかっている。

 僕も人知れず鼻で笑っていた。


 だけど、朝日向さんとは距離を取るようにした。

 クラスメートに目を付けられたくなかった。


 唯一の救いは、表立ったイジメや嫌がらせが無かったことだ。

 ウチの高校はそういった事に厳しく、比較的おとなしい人間が多かった。


 だから彼女は、いつもひとりだった。

 独りで窓の外を眺めていた。


 そんな朝日向さんに反して、僕は少しずつ同級生と親交を深めていった。

 少しずつクラスのポジションを確立していった。


 だけどやっぱり、隣の朝日向さんにだけは話し掛けなかった。

 関わらないよう気を付けていた。

 自分自身を守るために。

 

 そうして数日が過ぎたある日。

 僕はうっかり消しゴムを忘れてしまった。

 この学校内にはコンビニなんて無いし、購買も昼しか開いていない。

 仕方なくシャーペンの裏に付いている消しゴムを使っていた。

 その時だった。

 

 『これ』


僕の前に、朝日向さんが消しゴムを差し出した。

 ひどく歪な形で、無理矢理に割った感じだ。

 驚いた僕は何も言えないまま、相変わらず仏頂面な彼女を見つめた。


 『使いなよ。持ってないんでしょ』


そんな僕に朝日向さんは淡々と語り掛け、消しゴムを机の上に放り置いてくれた。


『あ……ありがと』


か細い声でそう答えると、朝日向さんは無表情のままコクリと頷いてくれた。

 だけど耳まで赤くなっていたのを、僕は見逃さなかった。


 この時だった。

 僕が彼女を好きになったのは。

 

 誰も助けてくれないのに。

 誰も気付かないのに。

 彼女だけは僕の事を見てくれていた。


 優しい女性ひとだと思った。

 印象がガラリと変わった。


 その日の昼休みか終礼時に返そうと思った。

 だけど周りの目が怖くて声を掛けられなかった。


 自分が恥ずかしくなった。


 結局は僕も周りと同じだった。

 人の眼を気にして、人の言葉に流されて。

 家に帰っても、ずっとその事ばかり考えていた。


 だから、明日からは仲良くしようと思った。

 これを切っ掛けに、距離を縮めようと思った。

 たとえ周りから嫌厭けんえんされていようと、僕が彼女を守ってあげようと思った。


 でもその決意は……意味を成さなかった。


 次の日、朝日向さんは学校を休んだ。

 身内に不幸があったらしい。


 翌日も朝日向さんは来なかった。

 忌引きびきなら、しばらく学校に来れないのは当然か。

 朝日向さんの消しゴムを握りしめて、僕は自分に言い聞かせた。


 だけど翌日も翌週も、朝日向さんは来なかった。


 日を追うごとに心配が増していった。

 彼女の身に何かあったのか。

 そんな心の声が聞こえていたかのように、担任の先生が唐突と告げた。


 『朝日向さんは御家庭の事情で、暫くの間お休みされます』


崖から突き落とされたような衝撃と喪失感。

 でも僕以外の皆は興味すら無さそうだった。

 授業が始まると、いつも通りの風景に戻った。

 、朝日向さんを話題にさえ上げなかった。


 何度も朝日向さんの家に行こうかと迷った。

 だけど勇気が出なかった。

 悶々としたままGWれんきゅうが終わった。

 やっぱり、朝日向さんは来なかった。

 

 中間試験が始まっても欠席は続いた。


 席替えで朝日向さんとは離れてしまった。

 空っぽの彼女の席は、一番端に追いやられた。


 体育祭の練習も参加競技も、朝日向さんは居ない前提で話が進められた。


 とうとう期末試験の時期になった。

 あっという間にテスト期間が終わった。

 それなりに良い結果だった。


 だけど、そんな事はどうでも良かった。

 終業式の数日前、僕は意を決して先生に尋ねた。


 聞けば朝日向さんは休学する事になったらしい。

 何故HRで言わないのか尋ねると、彼女の事情を考慮してのことらしい。

 意味が分からなかった。納得も出来なかった。

 だけどそれ以上は深堀りせず、朝日向さんの住所だけ聞き出そうとした。


 『それは出来ません』


にべもなく突っねられた。

 個人情報保護の観点から教えられないそうだ。

 連絡先さえも教えてくれなかった。

 

 また悶々とした日々を過ごした。

 そうこうする内に、いよいよ夏休みが始まった。

 

 ある日、ふと自分の携帯電話で『朝日向』『I市』と検索してみた。

 あろうことか『朝日向あさひな調剤薬局ちょうざいやっきょく』という薬屋さんがヒットした。

 全く予想だにしていなかった。

 だけど「朝日向」なんて珍しい名前、まず親戚や関係者に違いないだろう。

 

 それから数日後のことだ。

 顧問の都合で、突然と部活が休みになった。


 ここしかない……そう思った。


 気付けば僕は、電車に飛び乗っていた。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


風間くんはクラスでも人気者で、女子にも男子にも好評みたい。成績も優秀で陸上部に所属しているスポーツマンよ。そんな彼に別のクラスの女子が告白したらしいわ。

けれど、風間くんは断ったらしいの。

やっぱり、火乃香ちゃんの事が……。

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