第70話 【7月下旬】火乃香と恋する同級生 ⑦

 ――力無く項垂うなだれ、火乃香ほのかは目尻に涙を浮かべた。

 不貞腐れたように視線を下げる義妹かのじょを……俺はそっと抱き締める。


 「あ、兄貴?」


細い身体をビクリと震わせ、火乃香は驚きに声を上擦らせた。

 けれど、離れようとはしない。

 俺の肩口に顔を押し当て、背中に両の腕を回す。

 そんな義妹いもうとの想いに応えるよう、俺は一層と強く抱きしめ返した。

 

「気にしてない訳ないだろ。お前はたった一人の、俺の大切な義妹いもうとなんだから」

 「じゃあ、なんであんな冷たかったの。わたしの事なんて、興味ないみたいに」

「それは……」


また誤魔化そうか。そんな考えが脳裏をぎった。

 だけど俺は言葉を喉の奥にし殺した。

 違うと思った。

 同じ過ちを繰り返したくなかった。

 これ以上、火乃香に嘘を吐きたくなかった。


「それは俺が、お前の兄貴だから」


だから俺は一層と強く火乃香を抱きしめながら……そっと耳元に囁きかけて。

 ビクリ、火乃香の小さな肩がまた震えた。

 そんな彼女を逃さまいと、俺は彼女の小さな頭を抱きかかえる。


 本音だった。


 保護者として、義兄あにとして火乃香の意志を尊重すべきだと思った。

 俺がどうこうじゃなくて、火乃香がそうしたいと思う方向に進んで欲しかった。

 それが正しい兄貴おれの在り方だと思った。


「でも、やっぱダメだわ」

「……え?」

「俺、重度のシスコンらしい」


自嘲じちょう気味に笑ってみせると、胸に顔をうずめる火乃香は静かに顔を上げた。

 その表情に、驚きの色を浮かべながら。


「お前が他の男と居るのは、やっぱり気持ちの良いもんじゃない」

「えっ?」

「こんなシスコンの兄貴は嫌かもしれんけど、せめて俺と暮らしてる間は……俺だけの火乃香で居てくれないか」

「う……うん!」


頬を赤らめ満面の笑みで答えると、火乃香はまた俺の胸に顔を埋めて力の限りに俺を抱擁する。

 それに応えるよう、俺も力一杯に抱きしめる。


 互いの熱を交わすように。

 互いの存在を確かめ合うように。

 俺達は強く強く、解けかけた絆を結び直す。


 数日ぶりの火乃香の匂い。

 柔らかさ。  

 温もり。

 息遣い。

 その全てが俺の胸に多幸感を呼び覚ます。


 出来ることなら、ずっとこうしていたい。

 だがそんな誘惑を振り切り、俺は漸くと風間くんに視線を向けた。


「そういうワケで風間くん。悪いけど火乃香の事は諦めてくれないか」


火乃香と抱き合ったまま、俺は微苦笑浮かべて風間くんに尋ねかけた。

 覚悟なら出来ている。

 たとえ殴り合いの喧嘩になろうと、今度ばかりは引く気になれなかった。

 だがそんな俺の予想に反して、風間くんは「ふむ」小さく息を吐いて微笑んだ。


 「分かってます。最初から朝日向さんは……僕に振向いてはくれないって」

「風間くん……」

「それに、こんな良いお義兄さんがいるブラコンな女の子とは、とても付き合ったり出来ないです」

「ブ、ブラコン?」


思わず視線を落とせば、火乃香は顔を真っ赤に染め上げ俯いている。

 そんな姿に、風間くんは優しく微笑みかけて。


 「何をしていても何処へ行っても、ずっとお義兄さんの話ばっかり。

 しかも御二人は血繋がってないって。そんな二人の間に割って入る自信……僕にはありませんから」


溜め息混じりにそう言うと、風間くんは静かに歩み寄り俺達の眼前に立った。

 火乃香もまた俺から体を離して、真っ直ぐに風間くんと向かい合う。


 「元気でね。朝日向さん」

「風間くんも。色々ありがとう」


どちらからともなく右手を差し出せば、二人は固い握手を交わした。

 互いに見つめ合い手と手を繋ぎ合わせる。

 だけど俺の心に、不安の花が咲く事は無かった。


 「それじゃあ、さよなら」

「さよなら」


おもむろきびすを返し、風間くんは薔薇のアーチを抜けて一人公園を後にした。


 「あーあ、フラれちゃった」


小さくなる風間くんの背中を見送りながら、火乃香はポツリと呟いた。だけどその声には、悲壮も後悔も感じられない。

 

「良いヤツだったな」

「うん。ちょっと勿体もったいなかったかも」


ズキリ。俺の胸に痛みが走った。

 やはり風間くんに好意を抱いていたのだろうか。 

 また不安に胸が焼かれそうになる。

 それが顔に表れていたか、火乃香は俺を見上げてニタリとほくそ笑んだ。


 「そんな心配しなくても大丈夫だって! なんせ今は、過保護でシスコンなお義兄にいちゃんの相手するので精一杯だから!」


言うが早いか、火乃香は俺の腕に抱き着いてきた。

 形の良い胸が俺の腕を押して、歯痒い感覚が肌を撫でる。思わずまた抱き締めそうになった。


 「それにわたし、受け身になるより自分から行きたいタイプなんで」

「……なるほど」


恥ずかしさを誤魔化すように、俺は体を固く明後日の方角を向いた。確かに火乃香はいつもグイグイ来ているよな。俺が辟易へきえきするくらいに。


 「お待たせー、悠陽ゆうひー」


と、その時。呑気のんきに間延びする声が響いた。

 見ればコンビニの珈琲を片手に、泉希がこちらへ向かって歩いている。


 「あれ、火乃香ちゃんも一緒なの? ていうか、風間くんは?」

「兄貴に全部バレて、帰っちゃいました」

「あらそう」


平静と答えながら泉希はまた珈琲を啜った。

 どうやら今回のドッキリ作戦、泉希も一枚嚙んでいたようだな。考えてみれば泉希は今日の事を色々詳しすぎだったし、尾行の緊張感も無かった。


 「それより二人、なんだか妙に仲が良さそうね。腕なんか組んじゃって」

「え、あ、いやコレは……!」


ジトリと厳めしく俺達を睨む泉希に、俺はと弁解の言葉を探した。

 すると火乃香が俺を掴んだまま勢いよく飛び出して、泉希の左腕に抱き着いた。

 俺と泉希の間に火乃香が居るような形だ。


 「ほ、火乃香ちゃん?」

「ねぇ。良かったら、これから三人でご飯食べいきませんか? わたしお腹空いちゃった!」


驚く泉希に火乃香が人懐っこく笑い掛けた。

 すると途端に泉希は笑顔を浮かべて、紅潮する頬にエクボを刻む。


「い、良いわね! 私もお昼食べてないし!」


火乃香のボディタッチが余程嬉しかったか、泉希は喜色満面と足取り軽く、鼻歌交じりに歩き出した。


 ほっと安堵に胸を撫で下ろし、俺達は市街にあるファミレスへと向かった。


 火乃香が『水城みずしろ先生』ではなく『泉希さん』と言ったことに気付いたのは、俺達がファミレスに着いてから暫く後のことだった……。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


やっと今回の『ドッキリ仲直り作戦』も終わりね!

ただ次回から、少しだけ風間くんのエピソードを掲載します! 火乃香ちゃんが高校に入学した頃の話や、風間くんの本当の気持ちが綴られているの!

良ければ読んでみてね♪

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