第75話 【泉希サイド】火乃香と泉希のメッセージ①

 「――う~ん……」


眉根を寄せて苦々しく携帯電話を見つめながら、私は低く唸り上げた。


 火:<本当ムカつく! バカ兄貴!>


火乃香ほのかちゃんから送られてきたそのメッセージに、どう答えて良いか分からず悩んでいたからだ。


 彼女が通っていた高校のクラスメート、風間かざま北斗ほくとくんがウチの薬局を訪れた日。

 悠陽ゆうひと火乃香ちゃんは口論になった。

 口論というより、火乃香ちゃんが一方的に怒っていただけの気もするけど。


 とはいえ、原因が悠陽にあるのは間違いない。

 あのおバカが火乃香ちゃんに対して、素っ気ない態度を取っていたからだ。

 帰宅してもなお、火乃香ちゃんを心配する言葉は無かったらしい。

 怒った火乃香ちゃんが、私に愚痴のメッセージを送ってきたという訳だ。


 先日のビールイベントで連絡先を交換して以来、私からメッセージを送る事は何度かあった。けど、彼女の方から送ってくれたのは初めてだ。


 正直、とても驚いた。

 反面、とても嬉しかった。


 【LIMEライム】を送る相手なんて、悠陽と悠陽のお義母かあさまくらいだったから。

 おかげでどんなメッセージを返せば良いか、随分と迷ったけれど。 


 そもそも、何故火乃香ちゃんはそこまで憤慨しているのだろうか。


 男の子と遊びに行くのに何も言われないなんて、年頃の女の子ならさぞかし喜ばしいことだろう。

 だが火乃香ちゃんの口振りから察するに、彼女は寧ろ心配してほしいみたいだ。

 それこそ、束縛を求める恋人のように。

 もしかすると二人は義兄妹きょうだいの垣根を越えて、互いに恋心を抱いているのだろうか。


「……まさかね」


馬鹿げた妄想だと、自嘲気味に笑ってみせる。

 だけど内心穏やかじゃない。


 悠陽に限ってそんな真似をするとは思えない。

 けど万が一という事もある。

 なによりビールイベントの時の二人の距離感。

 あれは義兄あに義妹いもうとのそれではない気がした。

 それとも兄妹というのは、どこの家庭でもあんな感じなのだろうか。

 私は一人っ子だったから、正直よく分からない。


 ただ……何となく違和感は覚えた。


 だからといって彼女の事が嫌いな訳じゃない。

 本当に良い子だと思うし、力になってあげたい。

 どうも火乃香ちゃんを他人とは思えないから。

 

 それはきっと、私達の境遇が似ているせいだ。


 私も物心ついた頃から父親が居なかった。

 母親との関係も上手くいってなかったし、その母も学生の頃に亡くしている。

 そんな生い立ちが似ているせいか、シンパシーを感じてしまう。

 だからこそ、メッセージひとつ送るのにも細心の注意を払いたい。

 私は恐る恐ると指先を動かした。


泉:<悠陽は、本当は火乃香ちゃんの事を心配してるはずよ>

泉:<ただ素直になれないだけだと思うわ>

泉:<あれでも一応保護者なんだし>


当たり障りのない言葉を選び、ニッコリ笑っているスタンプを付けて送った。

 数秒と経たない内に【既読】の文字が点いた。


火:<それは分かってますけど……>

火:<でも、ちゃんと兄貴の口から言って欲しい>

火:<心配だとか、遅くなるなよとか>


飾り文字も顔文字も無い、言葉だけのメッセージ。

 彼女の思いが直に響いてくるようだった。

 ズキリ、と胸の奥が痛くなる。


 思えば私もそうだった。


 どんな事でも良いから母とコミュニケーションを取りたかった。

 怒られても良い。

 むしろ叱って欲しい。

 フリでも真似事でも、家族でりたかった。

 酒浸りの最低な母親でも、私にとっては唯一無二の存在だったから。


「……しょーがない」


溜息混じりに呟いて、私は画面に指を這わせた。


泉:<じゃあ、私が悠陽に発破ハッパをかけてあげる>

火:<発破……ですか?>

泉:<そう。貴女が風間くんと何処どこに行くのか、私から悠陽に伝えるの>

泉:<悠陽だって内心は気になっているはずだし、きっと食いつくわ>

火:<そうですか?>

泉:<きっとね。少なくとも何かしらの反応はあるはずよ。明日、悠陽にそれとなく伝えてみるわ>

火:<ありがとうございます>

火:<ごめんなさい、変なこと頼んじゃって……>

泉:<良いのよ全然! 火乃香ちゃんの気持ちは、すごく分かるから>


その言葉通り、私は悠陽に『火乃香ちゃんはK市に遊びに行く』ことを伝えた。

 案の定、悠陽は食い付いてきた。

 だけど、まさか『尾行する』なんて言い出すとは思わなかった。


 本当に、どこまでおバカなのだろう。

 

 流石にそんな馬鹿な真似はやめるよう、釘を刺すか迷った。

 けど『泉希も一緒に来てくれ』と頼まれた瞬間、私も同行しようと思った。

 デートであれば、二人は繁華街や行楽地へ出掛けるに違いない。

 なら見方を変えれば、私も悠陽とデートしているようなもの。


 火乃香ちゃんが来てから、悠陽とは一度も遊びに行けていない。

 たとえ悠陽がそう思っていなくても、久しぶりに彼と遊びに行きたい。


 それに、風間くんのこともある。

 彼は非の打ち所がない程の好青年だ。

 そんな彼の恋を応援してあげたい。

 火乃香ちゃんとはお似合いだとも思うし。

 なにより……あの二人が付き合うとなれば、私も安心できるから。


 我ながら卑怯な大人だ。


 綺麗な言葉を並べて、他人の弱味に漬け込んで。

 結局は自分は思い通りに事を運ぼうとする。

 他人の想いより、自分の幸せを優先する。

 ずっと一人で生きてきたから、こんなヒネた性格になってしまったのだろうか。

 

「悠陽みたいなお義兄にいちゃんが居たら……私の人生変わってたのかな」


携帯電話の黒い画面に映る自分へ語りかけるよう、私はポツリと呟いた。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


私も物心ついた頃から父親が居なくて、母一人子一人の二人暮らしだったの。母は夜の仕事をしていて毎日浴びるようにお酒を飲んでいたわ。私の中の母の記憶は、それくらいしか無いのよね……。

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