第63話 【7月下旬】火乃香と泉希とビアガーデン⑤

 「ちょっと抜けててお調子者で、だけど優しくて頼りになる兄貴は、わたしの一番の自慢です。けど、それ以上に兄貴は――」


そこまで言うと火乃香ほのかはぐっと唇を嚙み締め、テーブルの下で俺の手を握った。


 一体なんの真似だろう。驚き言葉を失ってしまう俺を他所に、火乃香は熱い視線を俺に送り続ける。


 ――ガタンッ!


だが直後、泉希みずきが勢いよくテーブルに突っ伏した。『テーブルの上に倒れ込んだ』と言った方が正しいか。


 何事かと思い泉希を覗き込めば、耳まで赤く染め上げ酔い潰れている。


 あれだけ飲んだのだ。酒の弱い泉希なら、とうにダウンしていてもおかしくない。

 それでも今までっていたのは、火乃香の居る手前、気を張っていたからだろう。


 「水城みずしろ先生、急にどうしたの?」

「酔っぱらったみたいだな」

「寝てるの?」

「ああ。こうなったらしばらく起きないな」

「なんで兄貴がそんなこと知ってるの」

「……大人は皆そうなんだよ」


取って付けたような理由を返して、誤魔化すようにビールを流し込む。


 同じ職場の仲間だ。 

 飲む機会なんていくらでもある。

 酒に弱い事を知っていても何ら不思議じゃない。

 それでも言いたくなかった。

 火乃香には……言えなかった。


 「それで、どうするの?」

「とりあえず、コレ片して行くか」


テーブルに残された食事を指差し、そこからイカ焼きを一つ取ってガブリと齧った。


 このまま泉希を放っておく訳にはいかない。

 だけど折角買った食事を捨てるのは違う。

 最悪メシ類は持って帰れるけど、飲み物はそうもいかないからな。


「俺はコレ食べた後に泉希を家まで送ってくから、お前は先に帰ってていいぞ」

「……ヤダ」


唇尖らせ不貞腐れるよう言うと、火乃香は俺の手を握り直してオレンジジュースに手を伸ばした。

 そうして俺の真似をするかのように、グイと一気に飲み干してしまう。


 「わたしも一緒に居る」

「いいのか?」

「当たり前じゃん。それともなに。わたしが一緒に居たらマズいの?」

「そんなことはないけど……」

「ていうか、酔った女の家に一人で上がるとかガチでセクハラだし」


射殺すような火乃香の視線に、俺は「うっ」と言葉を詰まらせた。

 やましい感情など微塵も無いが、何となく後ろめたい気分になるのは何故か。

 浅い溜息を吐いて姿勢を正し、俺は新しいビールへと手を伸ばした。泡はもう随分と減っている。


 「ねえ、兄貴」

「なんだー」

「ビールって、そんなに美味しいの?」

「人によるかな。苦手な人も多いし」

「兄貴はどうなの」

「俺はそこそこ」

うちで飲んでるの見たこと無いけど」

「一人で飲んでも味気ないからな」


ポンポンと火乃香の頭を撫で叩いて、俺はフライドポテトを片付けていく。冷めても美味いのが屋台飯の良い所だ。

 

 「わたしも20歳ハタチになったら、お酒飲みたい」

「おう。その時は一緒に飲もうな」

「うん。そこで酔い潰れて、兄貴にお姫様抱っこでベッドまで運んでもらう」

「そうなる前に自制しろよ」


空いた左手で白い頬を突くと、火乃香は悪戯っぽく微笑んで新たにリンゴジュースへ手を伸ばした。

 そういえば、今日初めて火乃香の笑顔を見た気がするな……。 


 「水城先生ってさ」

「うん?」

「良い人だよね」

「ああ、そうだな」

「頭良いし、綺麗だし」

「おまけに優しくて仕事もできる」

「なにそれ……最強じゃん」

「いや本当に」


チビチビとビールを舐めながら平静と答えていく。

 だけどそのたび、俺の手を握る火乃香の指に力が込められて。

 痛いほどに握られた右手。

 離してくれそうな気配はまるで無い。

 焼きそばを食おうと皿を取るも、利き手が抑えられては箸も使えない。


「火乃香」

「なに」

「焼きそば食わせてくれ」

「恥ずかしいんじゃなかったの」

「じゃあ手ぇ離せよ」

「やだ」


プクリと片頬膨らませ、火乃香はソッポを向いた。

 一体何がしたいんだ、ウチの義妹いもうと様は。

 訳が分からないのに言葉には出せず、俺は黙ってイカ焼きを


 「……兄貴はさ」

「なんだよ」

「やっぱり、年齢としの近いひとが好きなの?」

「なんだよ急に」

「いいから答えて」


じっと見つめる火乃香の視線から逃げるよう、俺は「うーん」と考えるフリをして、冷え切った唐揚げに手を伸ばす。


「年齢は……関係ないな」

「本当に?」

「本当に。つっても、流石に親子ぐらい年齢が離れてたら考えるけど」


何の気なく答えながら、俺はテーブルの上のコーラを取った。


「そういうお前はどうなんだ」

「わたし?」

「You」

「わたしは……年齢とか立場とか、そういうの全然気にしない」

「そうなのか?」

「前にも言ったじゃん」


ムスッと眉根を寄せる火乃香に反して、俺は「そうだっけ」ととぼけた風を装い、またコーラをあおる。


 だけど内心、ほっとしていた。

 でもそれを悟られたくなくて、なんでもないフリをしてみせる。


 そんな俺の肩に、火乃香はそっと頬を寄せた。

 そして同時、握った手に一層と力を込める。

 それに応えるように。

 それと同じくらいに。

 強く強く、彼女の手を握り返した。


 「兄貴は……ずっと、わたしだけの兄貴だから」


繋いだ手とは裏腹に、今にも消えてしまいそうな程ささやかな声。


 それでも俺の耳には、いつまでも消えずに残っていた……。





-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


この後私は1時間くらい寝ちゃってて、悠陽達が食べ終わった頃に目を覚ましたの。それでもまだ千鳥足だったから、二人に家まで送ってもらったみたい。あんまり記憶が残ってないんだけど……。

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