第59話 【7月下旬】火乃香と泉希とビアガーデン①

 「ねえ悠陽ゆうひ。今週の土曜日って何か予定ある?」

「予定?」


薬局の休診時間中。患者様の居ない受付で一人事務作業する俺に、泉希みずきがモジモジと手遊びしながら声を掛けた。


 火乃香ほのかとプールに行った翌日は筋肉痛で寝たきりだったけど、流石に4日も経てば元通りだ。むしろ身体が引き締まった気さえする。

 それでも俺を気遣ってくれたのか、今週の日曜日は家で休むよう火乃香に言われている。土曜の夜も当然とフリーだ。

 泉希にも「仕事以外に予定は無い」と伝えれば、パァッと表情が明るくなった。


「じゃあ、一緒に飲みに行かない?」

「飲みにって……また泉希の家で?」

「ち……違うわよ! コレよ!」


怪訝な眼で尋ね返す俺に、何を思い出したか泉希は頬を赤く染め上げ1枚のチラシを俺に突きつける。


「なんだこれ。【ビール祭り】?」


差し出されたそれを手に取り、キャッチフレーズを読み上げた。

 どうやらこの近くにある神社で、【ビール祭り】なる催事さいじが開かれるらしい。開催場所となる神社に酒の神様がまつられているそうだ。


 「基本的にお酒のおベントだけど、普通のお祭りみたいに屋台も出るみたいなの。良かったら一緒にどうかなと思って」

「んー、せやなー」


しげしげとチラシを見つめながら、俺は林檎の酒シードルの一件を思い出した。あの時は泉希がダウンして、最後まで一緒に飲めなかったんだよな。


「うしっ。じゃあ行きますか!」

「本当⁈」

「おう。俺もたまには飲みたいし」

「やった! じゃあ今度の土曜日ね! 約束よ!」


クルリと白衣を翻して、泉希は足取り軽く奥の調剤室ちょうざいしつへと戻った。大した事は何もしていないが、喜んでくれたようで良かった。


「あ、泉希。このチラシは?」

「それはあげる。まだウチに何枚かあるしっ」


鼻歌混じりにそう答えると、泉希はニコニコと機嫌良く業務に戻った。こんなチラシを何枚も持っているのかは疑問だけど……敢えて聞く必要もないか。


 言葉をゴクリと飲み込んで、俺も業務に戻る。

 泉希は終始ご機嫌な様子で、普段よりスムーズに業務が進んだ。


 少しだけ早い帰宅に火乃香はちょっとだけ驚いていたけれど、特に文句を言われる事もなかった。

 帰宅直後にすぐシャワーを浴びて出ると、火乃香が夕食を用意していた。


 ちなみに俺が筋肉痛にさいなまれる中、火乃香はケロッとした様子で普段通りに過ごしていた。こんなにも若さをうらやむ日が来ようとは思わなんだ。


「そういや火乃香」

「なに、兄貴」

「今度の土曜日、俺晩飯ばんめしいらないから」

「えっ、なんで?」

「泉希と飲みに行く」


火乃香特製の野菜炒めを口一杯に頬張りながら、俺は泉希から貰った貰ったチラシを差し出した。

 だが火乃香はチラシを受け取らず、じとりと俺をめ付ける。


 「泉希って、あの薬剤師さんだよね」

「うん」

「二人で行くの」

「そのつもりだけど」


何気なく応えれば、火乃香はカチャンッと勢いよく箸を置いた。

 かと思えばひったくるよう俺からチラシを奪い、眉間にしわを寄せて文字を追う。


 「これ、わたしも行く」

「えっ?」


唐突と放たれた火乃香の一言に、俺は間抜けな声を漏らした。箸先に掴んだ野菜炒めもポロリと茶碗の上に落として。


「『わたしも行く』って……酒のイベントだぞ?」

「けどこのチラシにも子供も映ってるじゃん。屋台とかも出てるみたいだし」

「そら未成年でも入れるだろうけど――」

「じゃあ行く」


俺の言葉を牽制けんせいするかのよう、火乃香はぶっきら棒に言い放つ。

 多少の文句は覚悟していたけど、まさか『一緒に行きたい』と言われるなんて思わなかった。


「だけど来ても詰まらないだろ。言ってもビールがメインのイベントみたいだし」

「いい。行く」

「いやでも……」

「なに。わたしが行っちゃいけないの? 何か都合の悪い事でもあるの?」

「いや、そうじゃないけどさ」

「じゃあ行っても問題無いでしょ!」


一歩も引く事なく声を荒げて、火乃香は一気に白飯メシをかき込んだ。

 俺だって出来れば連れて行きたい。その気持ちに嘘は無い。

 ただ泉希との約束もあるし、何より今日の火乃香は酷く苛立いらだって見えるから。


 映画やプールに行った時みたくウキウキと笑っているならまだしも、今の火乃香は本当に行きたいように思えない。


 とはいえ聞いてくれる様子も無いので、承諾するより他に無かったのだが……。



 ◇◇◇



 翌朝も火乃香は仏頂面のままだった。だけど普段と同じように弁当を作り玄関先で持たせてくれた。


 薬局に出勤し、午前の業務を終えて休憩に入った矢先。ノートPCでデータ入力をする泉希に事情を説明した。


 火乃香の同伴には泉希も驚いていた。


 だけど「どうしても行きたいって聞かなくて」と溜め息混じりに釈明すれば、すぐに理解を示してくれた。


「悪いな、泉希」

「いいわよ別に。土曜の夜に一人っていうのも寂しいだろうしね。それに、いつかは私も火乃香ちゃんと家族になるかもだから、今のうちに仲良く――」

「ん、なんて?」

「え、あ……な、なんでもない!」


なにかボソボソと独り言が聞こえてきたけど、聞き直すより先に泉希は仕事に戻ってしまった。


 兎にも角にも、泉希がOKしてくれて良かった。


 酒宴とは言え泉希と出掛けるのは俺も楽しみだ。


 だけど同時、胸の奥に一抹の不安が過ぎる。


 今はただ、平穏無事を祈るほか無いか……。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


今回のビールイベントは悠陽が派遣社員の女の子も誘ったのだけど、彼女には『お酒が飲めないから』と丁寧に断われたわ。まさか火乃香ちゃんも一緒に来るとは思ってなかったけれど……なんだか不穏な空気を感じるわ。

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