第58話 【7月中旬】火乃香と水着と初めてのプール⑦

 「――わたしがナンパされたら、どうする?」


屋台で購入したフランクフルトをおかずに、火乃香ほのかの用意してくれたオニギリとお茶で一息ついていると、話をぶり返すみたく問い掛けられた。


「何言ってんだ、急に」

「いいから答えて」

「……そんなの、決まってるだろ」


微苦笑を浮かべる俺に反して、火乃香は真っ直ぐな視線を逸らそうともしない。

 熱のもったその眼差まなざしに応えるよう、俺も正面から受け止める。


 有耶無耶うやむやにできる雰囲気ではなかった。

 腹をえて自分の胸に問いかける。


 答えはすぐに出た。

 ただそれを口にするのははばかられた。


 だからと言って嘘をくのは違う。

 見え透いた嘘なんて、火乃香にはすぐ看破されるだろう。なにより、アイツには嘘を吐きたくない。


「お前が、どうしたいかによる」


だから少しだけ、自分の心を誤魔化した。

 それを気取られないよう、傍に置いているビーチボールを手に取って。


 「わたしがって、どういう意味?」

「火乃香がソイツと遊びたいなら……止める理由も権利も俺にはない。だけどお前が嫌がるなら、俺は全力でお前を守る。それだけだ」


素っ気ない風を装いながら、チラと横目に火乃香の顔色を窺う。

 てっきり小馬鹿にされるかと思いきや、義妹いもうとは顎に指を当て目線を上にった。


 「んー、75点」

「なにが」

「今の答え」

「なんだそれ。どんな答えなら100点なんだよ」

「それは自分で考えたまへ」


冗談めいた口調で言うと、火乃香は膝を抱えて俺を見つめた。だけどその視線には、さっきまでの熱量が感じられない。


 「じゃあ次の問題ね。もしもわたしに……彼氏が出来たらどうする?」

「彼氏?」

「そう、カレシ」


ピクリとも表情筋を動かさず火乃香は頷いた。

 答えは決まっている。

 だけど俺は敢えて腕組みして、「うーん」と悩むフリをした。


「それはまあ、相手によるな」

「どういうこと?」

「お前のことをちゃんと幸せにしてくれる男なら、俺は受け入れるよ」

「なにそれ。彼氏を家に連れて来た時の頑固オヤジみたい」

「誰がオヤジだ。でも答えは満点だろ?」

「そんなわけないじゃん」


どこか馬鹿にしたような態度の火乃香に、さすがの俺もムッとしてを眉根を寄せた。

 そんなに言うなら是非満点の答えを聞いてみたいものだが、どうせ教えてくれないのだろう。


「なら逆に聞くけど、俺に彼女が出来たらお前はどうするんだよ」


つっけんどんに言いながら、俺は手遊びするビーチボールを火乃香に投げた。平然とそれを受け取った義妹は、眉をひそめてボールを見つめる。


 「……出来ないし」

「ん?」

「兄貴に彼女なんて出来ないから」

「いや、なんでだよ」

「そんなの決まってるじゃん」


ビーチボールを小脇に置くと、火乃香はズイと俺の前に身を乗り出した。

 思わずゴクリと喉が鳴った、次の瞬間。


 「こんなポヨポヨのお腹してる兄貴に、彼女とか出来る訳ないし!」

「にょわあああああ!」


伸ばされた火乃香の細腕が、昼飯で膨らむ俺の腹を撫で回した。恥かしさに顔が熱を帯びて、妙な奇声を上げてしまう。


 「兄貴とデートしてあげる女なんて、わたし以外に居ないんだから。大事にしないとバチ当たるぞ!」


仰向けで倒れる俺にそう言い捨てると、火乃香は浮き輪を取って【流れるプール】にひとり向かった。


「おい、火乃香!」


後を追いかけ俺も流れるプールへ行くと、火乃香は浮き輪に乗ってプカプカと浮かび流れていた。

 俺もプールに入り、火乃香の元まで泳ぐ。

 そうして漂流した遭難者のごとく、火乃香の乗る浮き輪へ手をかけた。


「なに怒ってんだよ、お前」

「……べつに怒ってないし」


半身を水にけながら浮き輪は静かに流れていく。

 相変わらず膨れた面の火乃香に、思わず「ふむ」と鼻から息が漏れた。


「なあ、火乃香」

「……なに」

義兄にいちゃん、お前のこと大事に出来てないか?」

「……出来てる。大事にしてくれてる」

「じゃあいいだろ。なにを怒ってんだよ」

「……別に怒ってないし。ていうか、そういうコトでもないし」


モゴモゴと口籠りながら、火乃香は詰まらなそうに唇を尖らせる。何故かぶっきら棒なその態度に、俺は濡れる頭を掻いた。


「まあそのうち俺なんかより、お前を大事にしてくれる相手が見つかるさ。そしたら遠慮なんかせずに嫁に行けよ」


ポンと義妹の頭を撫で叩けば、火乃香は桜色に染めた頬をプクリと膨らませた。


 「そんな心配、らないから」

「どうして」

「だって……だってわたしが嫁に行く時は、兄貴が結婚する時だから!」


声を荒げて言い放ち、火乃香はドンッと俺を押してプールに突き落とした。

 流れに翻弄されて溺れそうになるも、なんとか水面に顔を出す。

 そんな俺に火乃香は「べーっ」と舌を出し、流れに乗って先へ進んだ。


 『わたしが嫁に行く時は、兄貴が結婚する時』


その言葉が脳裏に反芻はんすうされる。

 つまるところ火乃香が苛立っていたのは、『』という思いの裏返しなのだろう。

 

 照れ隠しと言った方が正しいか。


 いずれにせよ火乃香の幸せのためにも、俺も早く身を固めないとな。いつまでも俺が独身で居たら、可愛い義妹が自分の幸せを追えないのだから。

 

「火乃香の嫁入りか……」


プールの流れに身を任せながら、ふと火乃香の将来をイメージしてしまう。


 俺の知らない男と手を繋いで歩く火乃香。

 俺の知らない男を見つめる火乃香。

 俺の知らない男に微笑みかける火乃香。

 俺の知らない男と愛を育む火乃香。


 それは後見人ほごしゃとして望むべきゴール。

 義兄おれが求めるべき理想の未来。


 なのに何故だろう。


 胸の奥が、こんなにも痛むのは……。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


このあと悠陽は不貞腐れる火乃香ちゃんを驚かせようと思って、浮き輪をひっくり返したそうよ。火乃香ちゃんは機嫌を直すどころか余計に怒ったみたい。悠陽はお詫びにカキ氷を買わされたらしいわ!

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