第57話 【7月中旬】火乃香と水着と初めてのプール⑥

 「――御丁寧にありがとうございます。出来れば是非ぜひ御一緒したいです」


昼飯を買いにプールサイドの屋台に並んでいると、ポーチを拾ったお姉さんに「昼食を一緒にどうか」と声を掛けられ、俺は笑顔で同意を示した。


 「え~、本当ですか~? 嬉しい~。それじゃあ向こうのお店で――」

「でも、ごめんなさい。今日は無理なんです」


間延びした声を遮るように告げると、さっきまで笑顔だったお姉さんは「はぁ?」と怪訝けげんな表情で俺を睨み付けた。


 「いま一緒に行くって言いませんでした?」

「はい。出来れば行きたいですけど今日は……と一緒に来てるんで」


痒くもない後頭部をきながら、「すみません」とまた苦笑いで謝った。


 嘘は無かった。

  

 誘ってもらえた事は純粋に嬉しいし、またとない機会だとも思う。出来ることなら厚意に甘えたい。


 もし俺が男友達なんかと来ていたら、考える間もなくOKしていただろう。

 少なくとも火乃香ほのかに出会う前の俺なら、彼女らの誘いに乗っていたはずだ。


 だけど今日は、火乃香とのデートだ。


 火乃香との時間を大切にしたい。

 火乃香の沈んだ顔なんて見たくない。

 火乃香より優先すべき物なんて、今の俺には存在しない。


「そういう訳で、すみません。また機会があれば、その時は是非お願いします」


そう言って頭を下げると、お姉さん達はさっきまでの笑顔が嘘みたく、苛立ちをあらわに列を離れた。

 立ち去る二人の背中からは「こんな所に男だけで来るわけないか」「だから言ったじゃん」「マジで意味分かんないし」と不満の声が漏れ聞こえて。


「……はぁ」


安堵あんどと消沈。相反する感情が混ざり合い溜息と変わってこぼれ出た、その刹那。


 「兄貴」


肩落とす俺の背後から、火乃香の声が響いた。

 振り返れば、ひどく無機質な眼で俺を見ている。

 まさか『俺があの二人をナンパをしていた』とでも思っているのだろうか。


 じわりと冷たい汗が背筋に浮かんだ。


 だが俺の不安とは裏腹に、火乃香は無表情を消してニタリとほくそ笑んだ。

 おまけにヒョイッと足取り軽く俺の隣に寄って、体ごと右腕に抱きついてくる。


「なんだよお前、その顔は」

「んふー。兄貴、今ナンパされてたでしょ」

「み、見てたのか」

「バッチリ」

「向こうで待ってたんじゃないのかよ」

「んー、兄貴一人じゃ寂しいかと思って」


小悪魔みたいに微笑みながら、火乃香は俺の顔を見上げた。その愛らしい姿に、腕に走る感触さえもどかしくて。


 「ていうかさ、兄貴」

「なんだよ」

「なんで『義妹いもうとと来てる』って言わなかったの?」


ギクリ、心臓が縮み上がった。流れる汗もより一段と数を増す。


「それはその……シ、シスコンと思われたら恥ずかしいからであって……」

「本当にそれだけ~?」


どこか含みのある揶揄い口調で、火乃香は俺の腕を抱いたまま見上げてくる。


 『シスコンと思われたくなかった』


その言葉に嘘は無い。だけどそれ以上に、火乃香を「義妹」と言いたくなかった。


 理由は……よく分からない。


 そんな俺の心を見透かすようニヤニヤと微笑む火乃香に、俺はわざとらしくソッポを向けて眉間に皺を寄せる。


 「でもそっか。そういうことなら仕方ないな」

「お、分かってくれるか」

「もちろん。だからシスコンと思われないように、今日は『兄貴』じゃなくて名前で呼んであげる」


形の良い胸を押し付けながら、火乃香は悪戯っぽく笑って歯を見せる。


「なに言ってんだバカ。『兄貴』でいいよ」

「あ、ちょっと~!」


火乃香から『悠陽』と呼ばれる姿を想像すると……なんだか複雑な気持ちになって、心臓がドキドキと鼓動を早めた。

 それを悟られないよう、俺は火乃香が抱きしめる右腕を振り払う。


 それでもまた人形みたく腕に引っ付いてくる火乃香を連れて、俺はフランクフルトを2本買いレジャーシートへ戻った。

 それをオカズに、火乃香の作ってくれたオニギリ弁当で腹を満たす。

 塩で握られただけの素朴な握り飯と温茶が、逸る心臓を落ち着かせてくれた。


「あー、美味かった! ごちそうさん!」

「お粗末そまつ様でした」


後片付けをしてくれる火乃香の横で、俺はシートの上に転がった。燦燦さんさんと輝く太陽が肌に心地良い。


 「ねえ、兄貴」

「あんだー」

「なんでさっき、あのひと達の誘い断ったの?」

「なんでって、そんなの当たり前だろー」

「だからなんで」

「んなもん、今日はお前が居るんだし」

「じゃあ、わたしと来てなかったら行くんだ」

「それは……」


言葉を詰まらせ、俺はむくりと起き上がった。


 「そんな事はない」と誤魔化すのは簡単だけど、火乃香に嘘は吐きたくない。

 そんな俺の惑いを察したか、火乃香は茶を啜って「ふぅ」と息を吐いた。


 「ねえ、兄貴」

「なんだよ」

「もしさ、わたしがナンパされたらどうする?」

「何言ってんだ、急に」

「いいから答えて」

「……そんなの決まってるだろ」


微苦笑を浮かべる俺に反して、火乃香は真っ直ぐと瞳を捉えて離さない。


 熱の籠ったその眼差しに観念して、俺も同じ様に正面から受け止める。


 身も心を焦がされるような、その視線を……。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


悠陽がギャル二人に付いて行かなくてほっと一安心だけど……なんだかとても釈然としないわ! 火乃香ちゃんにベタベタされて調子に乗ってるのかしら!

これはいつか、制裁が必要ね……。

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