第56話 【7月中旬】火乃香と水着と初めてのプール⑤

 「――遅いぞ兄貴ー!」

「あー、悪い」


トイレから戻ってきた俺に、火乃香ほのかは眉尻吊り上げプンスカと不満をあらわにする。

 

 「めっちゃ時間掛かったじゃん。そんなにトイレ混んでたの?」

「いや、ちょっと迷ってさ」

「何に? ほとんど一本道じゃん」

「……人生とか」

「は? なに言ってんの」


白けたような小馬鹿にしたような視線で、火乃香はジトリと俺を睨む。もしや先程のり取りを見られていたのか。意図せず額に汗が浮かんだ。


 「それより兄貴、次はあれやろ!」


だけど直ぐに笑顔と変わって、火乃香はウォータースライダーを指差した。どうやら俺がお姉さん達を追いかけていた姿は見ていないらしい。


 もっとも、見られていた所で何も問題は無いのだが。


 などと自分に言い聞かせて、俺は火乃香と一緒にスライダー横の階段を上った。

 スライダーと言っても、アミューズメントパークみたく豪華なものではない。少し大きな滑り台の上から水を流しているだけの代物しろものだ。

 それでも意外に高さがある。商業ビルの3~4階くらいだろうか。

 頂上から下を見ると少しだけ足が竦んだ。火乃香も俺の腕を掴んで離さない。


 「ねぇ、兄貴」

「ん、なんだ」

「わたし、こういうの初めてなんだけどさ……どうやって滑ったらいいの?」

「公園の滑り台と同じだよ。普通に行けばいいさ」

「普通って?」

「こういう風に」


6つあるレーンのうち、俺は一番右端のそれに腰を下ろした。

 火乃香が居る手前なんでもない風を気取っているけれど、やっぱりちょっと怖い。

 内心ビクつきながら滑り出し、着水地点のプールへ勢いよくダイブする。

 直線だけの短いスライダーだけど……思ったより面白いな、コレ。


「火乃香も早く来いよ!」


頂上で戸惑っている義妹いもうとに手を振り呼び掛けた。

 火乃香は躊躇ためらいながら、恐る恐ると滑降かっこうする。

 バシャンと水飛沫を上げてプールに飛び込めば、勢いよく浮かび上がってきた。


 「なにコレ! 超面白いんだけど!」

「怖くなかったか?」

「全然だし! もっかい滑ろ、兄貴!」

「はいはい」


火乃香に手を引かれ階段を駆け上がり、俺達は3度繰り返し滑った。

 流石に4度目は無いかと思いきや、若いカップルが一緒に滑る姿を見て「わたしもアレやりたい」と無理矢理に俺の腕を引っ張った。


 「いい、兄貴?」

「あいよ」


膝をかかえて座る火乃香を、後ろからくような形で俺も腰を下ろす。そして二人同時に滑り出した。

 最初はオドオドしていた火乃香も、慣れた様子で黄色い叫声を上げて。


 「あー、面白かった!」


ようやくと満足した火乃香と共に着水用プールから上がり、俺達はレジャーシートへと戻った。


 「兄貴。次はアレやろうよ」


冷えた体を休めていると、今度はボール遊びをする学生らを指差した。

 体力も回復したので、俺達は膨らませたボールを抱え先程の大きなプールに行き、バレーボールみたくパスし合った。


 「先に3回ミスった方が罰ゲームね!」

「いいぞ。罰ゲームは何にする」

「んー、じゃあフランクフルト奢りで!」

「よーし、やったろうやないか」


ポキポキと指を鳴らし鼻を膨らませ、俺は火乃香との一騎打ちに応じる。

 

 何度目かのレシーブでボールが風に流され、明後日の方向に飛んでいった。

 慌てて追いかけるも、小学生くらいの少年が拾い火乃香に渡してくれた。

 ボールを受け取って「ありがとう」と頭を撫でた火乃香に、少年は日焼けした顔を一段と赤く染め上げ逃げるように去った。


 結論を言うと、バレーボール対決は火乃香の勝ちで終わった。

 まさか火乃香に罰ゲームを受けさせる訳にもいかないので、俺がわざとミスをしたのだ。誓って実力で負けたのではない。


 「じゃあ、兄貴が罰ゲームね!」

「りょーかい」


ニヤニヤと笑みを浮かべる火乃香を拠点で待たせ、俺はフランクフルトを買いに出店へと向かった。


 もうすぐ昼飯時だからか、数組の客が列を作っている。俺も最後尾に並んで順番を待った、その時。

 

 「――あの~、すみませ~ん」


どこかで聞いた声が、背中越しに俺を呼んだ。

 振り返ると、そこにはさっき俺が拾ったポーチの持ち主。ギャルっぽい見た目のお姉さんが、含羞はにかみ浮かべて立っている。


 「さっきは~、ありがとうございました~」

「ああ、いえ。とんでもない」

「いや本当に~。あのポーチに財布とか鍵とか全部入れてて~。マジ助かりました」

「そうだったんですか。役に立てて良かったです」

「それで~、良かったらなんですけど~、ウチらと一緒にお昼とかどうですか。財布拾ってもらった御礼もしたいし~」


間延びした声でもじもじと体をくねらせ、お姉さんは上目遣いに微笑みかける。

 こんな美人から声を掛けて貰えるなんて、今後の俺の人生で二度と来ないかもしれない。少なくともこれまでは一度たりと無かった。


 そんな思考が脳内を駆け巡る中、俺は意をゴクリと喉を鳴らしはらを決める。


「御丁寧にありがとうございます。出来れば是非、御一緒したいです」


貼り付けた笑顔で、俺は二人にこたえた。




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今回悠陽に声を掛けた二人組のお姉さんは、二人共パーカーやカーディガンでしっかりガードしていたそうよ! 完全なビキニ姿で来ているのは、火乃香ちゃんくらいのようね。




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