第49話 【7月上旬】火乃香と短冊

 「ねえ兄貴。今日お米買うから一緒に来て」


自宅で映画を観た翌日の日曜日。昼食を終えて横になっていると、火乃香が何気なく声を掛けてきた。相変わらずショートパンツが好きなようで、綺麗な素足を惜しげもなく晒して。


「分かった。ちょい待っちくり」


二つ返事に答え、俺はベッドから起き上がった。

 折角またベッドを使えるようになったし、たまの休日くらい家で引き籠っていたいのだが……そんな台詞をのたまおうものなら、また火乃香がヘソを曲げるだろうからな。

 晩飯のおかずを全てピーマン料理にされてもたまらないし。


 それにしても、ウチに来た頃と比べて火乃香は随分と明るくなったな。我儘わがままと言えばそれまでだが、気持ちを表現してくれるのは素直に嬉しい。


 「兄貴」

「んー、どうした」

「手」


アパートの玄関を施錠し、外に出た瞬間。火乃香が左手を差し出した。

 けれどその手に応じること無く、俺は眉間にしわを寄せて返した。


 「なに、その顔」

「だって近所やん」


困り顔を浮かべてモジモジと手遊びすれば、火乃香もムッと顔をしかめる。


「先週はしてくれたじゃん」

「あれは出掛けてたから」

「今も出掛けてるし」

「此処に人混みは無いだろ。車も別に多くないし、わざわざ手繋がんでもエエやん」

「……ケチ」


突き放すよう手を振れば、火乃香はぷくりと頬を膨らませ不満の声を漏らす。素直になってくれたのは嬉しいけど、時々ちょっと素直過ぎるかな……。


「それで、今日はどこに行くんだ」

「業務スーパーと酒屋さん。あと踏切の近くにあるスーパー」

「なんでそんなに。てゆーか、どうして酒屋なんか行くんだよ」

「この辺で一番お米安いから」

「にゃるほど」


倹約家な義妹いもうとを持って、お義兄にいちゃんは幸せだよ。3つの店舗を回るのに1時間は掛かりそうだけど。


「つーか、米買うなら酒屋だけで良いだろ」

「お醤油と牛乳と油と冷凍うどんも買うから。あと夕飯の材料」

「なんでそんなイッペンに。しかも重い物ばっか」

「兄貴が持ってくれるでしょ。両手とも空いてるんだからさ!」


しかめっ面のまま火乃香は足早に先へ進んだ。だが信号で足を止めた直後、彼女は不意に明後日の方向へ視線を向けた。


 「ねえ、あれ見て兄貴」

「うん?」


指を差す火乃香の視線を追えば、すぐ傍の自然公園でイベントが開かれていた。

 その公園は広い敷地の割にしっかりと整備と管理がされていて、レストランや大型駐車場も併設されている。休日には親子連れや学生も訪れるいこいの場だ。


 「お祭りでもあるのかな」

「その割には屋台とか出てないな。ちょっとだけ覗いていくか?」

「……いく」


先ほどまでの膨れっ面が少しだけ消えて、火乃香はコクリと頷いた。


 開催されていたのは市が主催のフリーマーケットだった。祭りと呼ぶ程ではないが、中々の賑わいを見せている。


 白い仮設テントの下に折り畳みの机が並べられ、手作りの雑貨やアクセサリーなどが売られていた。自然公園だけあって花や植物なども並んでいる。

 だがフリーマーケットと言っても、古書や古着を売る『のみの市』とは違うらしい。


 予想していたイメージと違ったのか、火乃香もどこか浮かない顔をしている。雑貨や食器など、量販店やリサイクルショップで買う方が安いからな。


「それにしても、なんだって今日はこんなイベントやってんだろうな」

「たぶん、アレが理由だと思う」


そう言いながら、火乃香はイベントスペースの中央を指差した。

 見れば大きな笹が飾られている。鮮やかな緑色を呈す枝葉には、色とりどりの短冊たんざくが提げられて。


「そういや、今日は七夕たなばただったな」


風に揺れる笹の姿に、俺と火乃香は引き付けられるよう近寄った。瑞々みずみずしい葉が空に泳ぐさまを観ているだけで、心が落ち着く気がする。


 ふと視線を落とせば、笹の前に長机が設けられ、その上には短冊とペンが並べられている。どうやら願い事を書いて、自由に結んで良いらしい。


 「へぇ~。これ、市内の神社でお祈りしてくれるんだって。お願いが叶うように」

「それは御利益ごりやくがありそうだな。折角だし、俺達も短冊に願いごと書くか」

「うん!」


サラサラと風にそよぐ葉音をBGMに、俺と火乃香は短冊に筆を走らせた。

 すぐ書き終わった俺に反し、火乃香は随分と時間を掛けようやくと完成させる。


「なんて書いたんだ?」

「……内緒!」


短冊を覗き込むと、火乃香は顔を赤らめすぐに後ろへ隠した。そこまで拒絶しなくてもいいだろうに。


 「そういう兄貴はなんて書いたのさ」

「秘密」

「なんで」

「お前が教えてくれないから」

「いいじゃん、見せてよ」

「あ、おいっ!」


俺の静止を呆気なく無視して、火乃香は短冊をひったくった。



―― 宝くじが当たって、火乃香を旅行へ

   連れて行けますように。   

               朝日向悠陽 ――



慌てて取り返すも、火乃香にはバッチリと見られたらしい。にやりとほくそ笑むその表情が、すべてを物語っていた。


 「兄貴、わたしと旅行に行きたいんだ。ふーん、そっかそっか~」

「な……なんだよ」

っつにぃ~」


先程までの不機嫌は何処へやら。火乃香はニヤニヤと口角を緩め、俺に見えないよう離れた位置に短冊を結んだ。

 一瞬書き直そうかとも思ったけど、この願いに嘘はない。火乃香が結び終えるのと同時に俺も笹に吊り下げた。


 「そんな照れなくても良いのに」

「やかまし! それで、お前は何て書いたんだよ」

「なーいしょっ」

「ズルいぞお前」

「ふふんっ。ほら、もう行くよ兄貴っ!」

「ちょ、おいっ!」


火乃香の短冊を見ようとするも、火乃香に手を掴まれ公園の外へ引っ張られた。

 そうして催事場を後にするも、火乃香はニヤニヤと笑みを浮かべたまま繋いだ手を離そうとしない。


 「ねぇ、兄貴」

「……なんだよ」

「可愛い義妹が大好きな兄貴に免じて、今日の買い出しはお米と夕飯の材料だけにしてあげる」

「そいつはどーも」

「その代わり、この右手は貰ったからね」

「……ったく」


毒づき嘆息たんそくを吐きながらも、俺は握りしめた火乃香の手を放さなかった……。



 ◇◇◇



―― これからもずっと、

   兄貴が手を繋いでくれますように。 

              朝日向火乃香 ――





-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


今回悠陽達が訪れたのは、二人の家から徒歩10分くらいの場所にある市営公園よ。園芸を始めカルチャー教室やサロンなんかも開かれているの。



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