第50話 【7月中旬】火乃香と『抱き枕作戦』
「わたし、明日から少し出かけて来る」
「出掛けてくるって、どこに行くんだ」
「バイト」
「……えっ!」
淡々と答える火乃香に反し、俺は裏返った声で驚きを表す。そういえば、まだ火乃香の銀行口座を開設していなかった。
「バイト、決まったのか」
「うん。またヒヤトイの短期バイトだけど」
どこか不満げに言うと、火乃香はレンゲを口に運んだ。辛い物は苦手なのか、
「本当は長期で働けるトコが良かったんだけど、今の時期はもあんま募集してないみたいでさ。ギリ応募できても『もう決まりましたから』って」
「どんな職種に応募したんだ」
「……飲食店のキッチンとか」
何故か言葉を詰まらせ、火乃香はまた特製の麻婆丼を一口食べた。
火乃香は料理が抜群に上手いから、キッチン業務は彼女に向いていると思うが。
「飲食って人手不足の所が多いんじゃないのか」
「人手不足かは分かんないけど、高校生OKなトコが少ないみたいで」
「そういうことか」
言われて俺は2度首を縦に振った。
確かにここ数年で、高校生を積極採用する事業所は幾分減ったように思う。
個人店や小さな店舗は特にそうだろう。余剰人員を抱えるのも難しいから、必然と採用人数が限られてしまう。
ならばテストや行事で出勤が不規則になりがちな学生よりも、多少は時間に融通の利くパートさんを雇う方が
それに今は昔以上にコンプライアンスや風評被害に意識を向けなければならない。未成年者の採用を
「それに、もうすぐ夏休みだからバイトの空きが無いんだって」
「そうか。早いヤツはもうバイト決めてるもんな」
言うと火乃香はコクリと首肯して応えた。
ただでさえ高校生の求人枠は少ないのに、夏休みで学生がバイトを始める今の時期は、採用倍率も急上昇という訳だ。
それでも都市部や観光地ならいくらか求人もあるだろうけど、こんな地方の住宅街ではバイトは
「まあ別に良いけどね。ヒヤトイなら1カ月待たずにお給料貰えるし。それに今回は短期募集だから4日間も働けるし!」
「そいつは凄いな」
突き出された四つの指に笑顔で応えれば、火乃香は「ふふん」と得意気に鼻を鳴らして胸を張った。
「けどいつまでもヒヤトイってのもアレだから、9月になったら本格的にバイトを探そうと思う」
「それは良いアイデアだな」
「ふふーん。でしょー」
「でも焦ることは無いぞ。ゆっくりでも良いから、自分に合う仕事を探しな」
「うん!」
グッと
「でもそうか。火乃香は仕事か」
「うん。火曜日から金曜日まで」
「なら、今週は俺が晩飯作るか」
「本当!?」
「おう。なにかリクエストあるか。言っても簡単なモンしか作れないけど」
「んーと……取り敢えずお好み焼きはマストで!」
「はいはい」
前のめりで提案する火乃香に、俺は微苦笑を浮かべ麻婆丼を一口食べた。本当を言えば、俺は火乃香の作ってくれる食事の方が嬉しいんだけど。
「ところでさ、兄貴。来週の月曜って、仕事お休みだよね?」
「祝日だからな。それがどうかしたか」
「えーっと……日曜日にね、ちょっと連れて行ってほしい所あるんだけど」
「いいけど、なんで?」
「遊び行きたい」
どこか遠慮がちに言いながら、火乃香は首を左右に振った。自分から遊びをせがむだなんて、珍しい事もあるもんだ。
しかし考えてみれば、ゴールデンウイークは
「分かった。どうせ予定も無いし、いいぞ」
「やった! 約束ね!」
「うむ。ちなみにどこ行きたいんだ?」
「えー、今はまだ内緒っ!」
瞬間。俺の心臓がドキリと強く波を打つ。
ここ最近、火乃香の性格が明るくなって以前より可愛さが増している気がする。
おかげで俺の理性は常にグラグラだ。
おまけに距離感も近くなって、あれから毎日一緒に寝ている。ぶっちゃけ、いつ俺の精神が崩壊してもおかしくない。
だが床で寝ようものなら火乃香が怒り出す。
そんな八方塞がりの状況で、俺は【抱き枕作戦】なる秘策を思いついた。
余っている布団を
ただ火乃香はひどく不満なようで、考案した初日は無理矢理に布団を引っぺがそうとしていた。
だけど俺も
その代わり、俺の背中にピトリと体を寄せて眠るようになったけど。
まるで熱を
柔らかい胸の感触が服越しに俺の背を撫でる。
愛らしい寝息が耳を
【抱き枕作戦】が無ければ今頃は……。
ゴクリと唾を飲み込み俺は今日も力一杯に布団を抱き締め、煩悩と戦う夜を過ごすのであった……。
-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------
基本的に求人の募集要項には年齢や性別の制限を設けてはいけないし、『学生不可』や『⚪︎⚪︎不可』など職業や身分を理由に選別してはいけない決まりがあるの。
ただし業種によっては『未成年者不可』や『高校生不可』などは掲載しても構わないみたい。仕事柄、学生さんを雇えない事業所やお店はそういった不可項目を明記するらしいわ!
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