第51話 【7月中旬】火乃香の笑顔に勝るもの

 今日から金曜日までの4日間。火乃香ほのかがバイトで日中にっちゅう家を空けるため、久しぶりに俺が晩飯を作る事となった。


 火乃香と一緒に暮らしてから、俺が台所に立ったのは数える程度。すっかり火乃香のテリトリーと化した台所は、心なしかアウェー感がある。


 「わたしもバイト先でお弁当いるから、そっちはいつも通りわたしが作るね」

「悪い、助かるよ。正直弁当も作るってなったら、どうしようかと思ってた」


弁当が無いだけならまだしも、朝から二人分も作るとなると骨が折れるからな。


 いつも美味しい弁当と食事を作ってくれる火乃香には改めて感謝だ。


 その気持ちを形に示す意味でも、リクエスト通り火曜日はお好み焼きを作った。

 バイト初日でひどく疲れていたようだけど、火乃香は俺の作る広島風お好み焼きをペロリと平らげてくれた。

 誰かのために作る食事は、自分一人が食べるよりもずっと嬉しくて楽しい。


 因みに今回のバイトは、ホテルや病院などで使用される『リネン』を洗濯する仕事なのだとか。

 作業は工場のような所で行われ、会話も無く淡々と業務をこなすらしい。火乃香はアイロンの工程を担当するらしい。


 日雇いバイトの中には性風俗的な仕事もあるらしいからな。火乃香に限ってそんな仕事は選ばないだろうが……一安心といった所か。


 水曜日はいつもより少し仕事が遅くなったので、近くの牛丼屋でテイクアウトして帰った。火乃香は牛肉よりも豚肉の方が好みらしいので、次回からは豚丼にしよう。


 木曜日は午前業務だけの半ドンなので、夕方には帰宅できた。

 予定通り晩飯は俺が作るつもりだったが、火乃香が「今日は元気だから」と言って聞かないので一緒に作ることとなった。


 とはいえ狭いキッチンに二人並ぶのはかえって効率が悪そうなので、リビングのローテーブルで餃子を包む事にした。

 タネを作って皮に包み、そのままホットプレートで焼けば洗い物も少なく済む。

 ちなみに日乃香のこしらえてくれたタネは7割方がキャベツと白菜で豚肉は2割ほどしか無いというのに、肉汁があふれて美味かった。


 金曜日は豚肉と白菜の鍋をこさえた。最近は鍋に入れるだけのスープが美味いので助かる。

 締めをうどんと雑炊どちらにするかで軽く討論になったけど、俺が折れる形で幕を下ろした。普段はうどん派の俺だが、雑炊派に鞍替えしそうになるほど美味かった。


 そうして土曜日の今日。俺が出勤するのと同時に火乃香も家を出た。

 バイトは昨日で終わりだが、今日は給料を貰いに行くらしい。早いところ火乃香の銀行口座を作ってやらないとな。


 連休前だったので普段より患者様は多かったが、基本的には木曜日と同じく午前診のみなので15時には帰宅できた。


 「あ、お帰り兄貴。わたしも今帰ってきたとこ」


言いながら火乃香はキッチンで冷たい麦茶を飲んでいた。俺も一杯お茶を貰って喉を潤すと、火乃香はいそいそとリビングに腰を下ろした。

 

 見れば大量の買い物袋ショッパーバッグが置かれている。日用品や食料品ではないみたいだが、早速稼いだ金をショッピングに投じたのか。


「バイト代って、いくら貰えたんだ」

「4日間で2万3千円くらい」

「それは頑張ったな。大事に使えよ」

「うん……て言いたいけど、さっそく8千円くらい使っちゃった」


照れ臭そうに苦笑いを浮かべ、火乃香はペロと小さく舌を出した。やはり自分の為の買い物だったか。

 かと思えば袋の一つを手に取り、いそいそと俺の前に立った。

 

 「はい、これ!」


手に持った袋を勢いよく差し出され、俺は反射的にそれを受け取った。袋には見た事のない店のロゴがプリントされている。


「なんだこれ」

「いいから、開けてみて」


ほんのりと顔を赤らめ、何故かほくそ笑む火乃香の言うまま、俺は袋を開いた。中身は臙脂色えんじいろのハーフパンツだった。

 ズボンと言うには生地が独特で、下着と言うには少々厚すぎる。


「もしかしてこれ、水着か?」

「そう。兄貴、Lサイズで良かったよね?」

「ああ、大丈夫……っていうかなんで水着」

「だって明日プールに行くから」

「プール!?」


思わず素っ頓狂な声が出てしまった。驚き慌てる俺とは打って変わって、火乃香は「にひひ」と悪戯いたずらっぽく微笑んで。


「プールって……聞いてないんですけど」

「日曜日に遊び行くって言ったじゃん」

「それはそうだけど、プールだなんて――」

「ダメ?」


丸みを帯びたオクターブ高い声で、火乃香はおずおずと上目遣いに俺を見た。その顔でその声はもはや反則だ。

 俺は肩を落とすと同時に、深い溜息を吐いた。

 

「……分かった。いいよ。約束だからな」

「やりっ!」


まるで俺の答えを予測していたかのように、火乃香は喜色満面とガッツポーズをしてみせる。


 なんだろう、上手いこと手玉てだまに取られている気がしてならない。


 とはいえ火乃香が笑ってくれるなら、少しくらい手の平で踊ってやるかな。コイツの笑顔に勝るものなんて、今の俺には数える程も無いのだから。


「そういや、火乃香も水着買ったのか」

「もちろん」

「どんな」

「あ、気になる?」


ニヤリ。先程までの天使のような笑顔とは反対に、今度は小悪魔を思わせる雰囲気で火乃香は含み笑いを浮かべた。

 

 「明日までのお楽しみっ」


ひらりと軽快にきびすを返して、火乃香は鼻歌交じりに明日の準備を始めた。可愛い義妹いもうとだよ、本当に。


 こうなったら腹をくくって、俺も目一杯楽しもう。

 

 とりあえず明日の準備だけど……今から筋トレを始めても流石にシックスパックは無理だよな……。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


朝日向家では火乃香ちゃんが主に家事を担当しているそうよ。特に洗濯とゴミ集めは絶対に火乃香ちゃんがやるみたい。集めたゴミをステーションへ持っていくのは悠陽の担当みたいだけれど。

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