第47話 【7月上旬】火乃香とベッドと二人の距離感

 「兄貴。今日、一緒に寝よ」

「……えっ」


とある平日の夜。就寝前の歯磨きをしていた俺に、自分の枕を抱きしめる火乃香ほのかが突然と切出した。

 なにごとかと驚く俺を、桜色に頬を染めた火乃香が上目遣いに見つめる。


 「以前まえから思ってたんだけどさ、やっぱり家主やぬしの兄貴が床に寝て、わたしがベッド使うっておかしいと思うんだよね」

「そ、そうか?」


真剣な眼差しで訴える義妹に反し、俺は間抜けに歯磨きしながら首を傾げた。


 正直今まで一度も気にならなかったし、おかしいとも思わない。火乃香なりに気を遣ってくれているのだろうか。


 「絶対おかしいし。だから今日から一緒にベッド使えばと思う」

「俺は床でいいよ。もう慣れたし」

「ダメ」

「なんで」

「わたしがイヤ」


ムッと眉尻を吊り上げ、大きな瞳が真っ直ぐに俺を睨みえる。こうなった火乃香は強情だからな……仕方がない。


「分かった。なら寝床を交換しよう。俺がベッドで寝て火乃香が床で寝る。これから暑くなるし、丁度いいだろ」

「はっ? 意味わかんないんだけど。可愛い義妹いもうとを冷たい床の上に独りで寝かせて、兄貴は何も思わないわけ?」


じとり。今度は恨めしそうな眼で俺をめつけた。自分で自分のことを『可愛い』と言う辺り、ウチに来た頃と比べて随分と明るくなったな。


「けどウチのベッド、シングルだろ」

「それがどうしたの」

「狭いやん」

「大丈夫。わたし体小さいから」

「細いだけで背は高いだろ。俺寝相ねぞう悪いし」


ガラガラと口をゆすいで、泡立つ歯磨き粉を洗面台に吐き流した。


 「ならわたしが兄貴の腕を抑えて、動けないようにしてあげる」

「肩凝りそうなんだけど。それにもう7月だぞ」

「だからなに」

「並んで寝たら暑い」

「扇風機あるじゃん」

「だとしても汗はかくだろ」


ぶっきらぼうに言いながら、俺はフェイスタオルで口の周りを拭いた。


 一応我が家にもエアコンはあるけど、節約のために殆ど使っていない。少なくとも火乃香が来てからは一度も起動していない。


 その理由は、この部屋アパートの性質にある。


 意図して設計されたのかは分からないが、この部屋は外より5度ほど気温が低い。

 おかげで余程の酷暑でもない限り、扇風機だけで十分に過ごせるのだ。

 とはいえ寝ていれば体温は上がるし、寝汗もかくというもの。


「汗だくの俺となんて一緒に寝たくないだろ。絶対気持ち悪いぞ」

「兄貴に気持ち悪いとか無いもん」


ブンブンと首を左右に振り、火乃香は頑として意見を曲げない。そりゃお前の汗なら聖水の如き清らかさかもしれんが。


 「てゆーか、どうしてわたしと寝るのイヤなの。わたしのこと嫌いなの?」

「そうじゃないけど……」


眉間に皺を寄せて詰める火乃香から逃げるように、俺は視線を逸らした。


 いくら義妹とはいえ、火乃香みたいな美少女JKと同衾どうきんして理性を保っていられる自信がない。男特有の生理現象もあるしな。


「とにかく今日は一人で寝るから! オヤスミ!」

「あ! 逃げるな兄貴!」


火乃香の言葉通り、俺はそそくさと脱衣所から出てリビングに敷いた布団へもぐった。

 

 それにしても、火乃香は一体どうしたのだろう。


 日曜日に映画を観に行ってからというもの、どこか様子がおかしい。距離感がバグっている、とでも言えば良いのか。


 ――パチッ。


などと考えていたら唐突と部屋の灯りが消された。火乃香が消灯してくれたのか。

 ヒタヒタと裸足で歩く足音を耳が聞こえる。諦めて寝てくれるのだろうか……と、思った矢先。

 

「……ん?」


布団に転がる俺の隣で、何かがうごめいている。

 振り向いてみれば、あろう事か火乃香が俺の布団に潜り込んでいた。


「なにしてんだ、お前」

「だって兄貴がベッド使わないんだもん」


不貞腐れた声で言うと、火乃香は構うことなく俺の隣に枕を置いて寝る体勢に入る。『可愛い義妹を床に寝かせるなんて』と言ったのは何処どこのどいつだ。


「分かったよ。じゃあ俺がベッドで寝るから、お前はココ使え」


痒くも無い頭を搔きながら、俺は自分の枕を取って空っぽのベッドに移動した。


 普段火乃香が使っているせいか、ベッドから甘い香りが漂ってくる。俺の布団も同じ柔軟剤で洗っているはずだが。

 

 ゴクリと生唾を飲み込み、俺は意を決してベッドに転がった。3カ月ぶりのベッドは、もう自分の物とは思えないな。

 

 「よいしょっと」


要らぬ感慨に浸っていると、火乃香がまた俺の隣へ潜り込んできた。あっちに行ったりこっちに来たり、本当に何がしたいんだコイツは。


「ったく……」


浅い溜め息と共に俺は起き上がった。

 だがその瞬間。火乃香の手が勢いよく伸ばされ、俺の腕を鷲掴みにする。


 「もういい加減にして! そんなにウロウロされたら寝れないでしょ!」

「えー……」


驚愕と不服を混ぜ合わせた複雑な感情を声に表し、俺は額に汗を浮かべた。


 「それは俺の台詞だ」と言い返したかったがれ以上の発言は許して貰えず、俺は無理矢理に引き戻され布団を被せられた。


 「腕のばして!」


言うが早いか火乃香は勝手に俺の左腕を伸ばして、すぐさま自分の頭を乗せた。まさしくこれは腕枕の体勢だ。

 訳も分からず呆ける俺を尻目に、火乃香は不満を露に背中を向けて「おやすみ!」と叫んだ。


 本当に何なんだ、この状況は。


 頭の中を『?』マークに満たし、身体は緊張と興奮に包まれる。


 そんな状態で眠れるはずもなく、俺は一睡どころか身動きひとつ取れないまま朝を迎えてしまった。


 それから3日間。俺の体力が尽きるまで毎晩同じ攻防が続けられようとは……この時の俺はまだ知るよしも無かった。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


今回から第三章がスタートしたわね! でも火乃香ちゃんが積極的すぎて、なんだか不穏な空気を感じるわね……。


ちなみにコーラを零した白いパーカーは、私が教えてあげた酵素系の漂白剤で綺麗に落ちたわ。私もよくワインを零すから、この漂白剤にはよくお世話になってるの。

少しだけ跡が残ったみたいだけど、火乃香ちゃんはその方が良かったみたいね。

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