第44話 【6月下旬】火乃香と映画と白いパーカー①
「――じゃーん! どう、兄貴!」
とある日曜の朝。脱衣所で食後の歯磨きをしていると、
「はいはい。可愛いカワイイ」
「なに、その『もう見飽きた』みたいな返事」
口を
だがそれも仕方のない話だろう。なにせパーカーを買ってからというもの、毎晩のように火乃香が一人ファッション・ショーを開催していたのだから。
パーカー姿の火乃香は間違いなく可愛い。それは嘘偽りのない本心だ。
だから最初の数日は退屈なんてしなかったけれど、流石に同じ服を毎日見せられては反応にも困るというもの。
だけどそんなことは口が裂けても言えないので、
「ちゅーかお前、準備するの早くないか」
「そんなことないし。兄貴が遅いだけだもん」
「まだ8時過ぎやん。映画は昼からだろ」
「それは……ポ、ポップコーン買ったりとか、色々あるでしょ!」
プンスカと頬を膨らませ、火乃香は
「てか、ポップコーン買うんだ……映画館の」
そんな俺の嘆きなど耳に届いていないのか、火乃香は何度も俺を
にも関わらず、俺達は9時過ぎに家を出た。
ソワソワと待ちきれない様子の火乃香に、俺が根負けしてしまったからだ。
上映開始は11時45分。今から出たのでは早く着きすぎるのだが、可愛い義妹の機嫌を損ねる訳にもいかないからな。
浮き足立つ火乃香が先導の
休日だというのに乗客は少なく、ロングシートの座席には
けれど火乃香は座ろうとせずドアの傍に立って、流れる景色を眺めていた。
俺達が目指す繁華街は終着駅にある。
電車が
そのたびに乗客が増して、気付けば寿司詰め一歩手前ほどに混雑化した。
「火乃香、ちょっとそっち寄るぞ」
「う、うん」
心なしか驚いている様子に火乃香に向かい、自分と壁で彼女を挟むよう立った。
他の乗客が俺の背中を押すも、これなら火乃香に当たることもない。傍から見ると俺が『壁ドン』をしているかのような体勢だ。
するとどうした事だろう。先程までの笑顔は消え失せて、火乃香は緊張の面持ちで俺の胸に顔を押し当てた。人の多い電車は苦手なのだろうか。
艶やかな火乃香の髪に鼻腔が
というか俺の心臓の音、聞こえてないよな?
などと変な緊張をしている間に、電車は目的の駅へと到着した。終点だけあって、まるで風呂の栓を抜いたみたくゾロゾロと乗客が流れ出ていく。
「な、なにこれ……」
流れに乗って俺達もホームへ降り立てば、火乃香が唖然とした様で呟いた。
それもそのはず。ここは10面9線の線路が集まるターミナル駅なのだから。3つの本線が集合する、日本でも屈指の規模を誇るホーム。
改札へ向かう人の波も、ウチの最寄り駅とは比べ物にならない。
「きょ、今日ってなにかイベントでもあるの? お祭りとか……」
「いや知らんけど。休日は大体こんなもんだろ」
「そ、そうなんだ……都会って凄い」
「こっちの方は、あんまり来たことないのか?」
「う、うん。繁華街なんて、K市くらいしか行ったことない」
呆気にとられたまま、火乃香は震える声で答えた。
確かに火乃香が以前に住んでいたA市からだと、ここへは1時間以上掛かるだろうからな。同じ繁華街ならK市の方が行きやすいか。
K市より、こっちの方がずっと栄えてるけど。
家を出た時とは反対に、今度は俺が火乃香を先導するよう大改札を
エスカレーターを降りて地上階に着くと、人波が一段と多くなって火乃香はピタリと俺の後ろについて歩いた。
「えーと、映画館はこっちか」
「あ、ちょっ、待ってよ!」
携帯電話でマップを確認しながら目的の映画館に向けて足を進める。そんな俺を追いかけるよう火乃香は俺の服の
まるで異国の地に流されたみたく、火乃香はキョロキョロと辺りを見回して。
「不安なら、手でも繋ごうか?」
「べ、別に不安じゃないし!」
頬を赤らめ眉を吊り上げながらも、火乃香は摘まんだ俺の服を放す事は無かった。
素直じゃないんだから、ウチの義妹様は。
とはいえ、この人の多さには流石の俺も参ってしまう。学生の頃は毎日のようにこの辺りを歩いていたけれど、最近はとんと来る事が無かったからな。
昔に比べて随分と綺麗になっているし、通路の雰囲気や店も大きく変わっている。記憶の中の地図がてんでアテにならない。
「お、ここだな」
まるで迷路のような地下街に翻弄されつつ、俺達は目的の映画館へ辿り着いた。
此処に来るだけでも結構な疲労感だけど、これで映画にはありつける。
なんてことない普通の休日。
この時までは、そう思って疑わなかった。
そう、この時までは……。
-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------
映画のチケットには前売り券や特別鑑賞券、特別招待券など色々あるわ! 多くは窓口に券を提出するみたいだけど、最近は自動発券機ばかりで窓口って少ない気がするのは私だけかしら。
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