第42話 【6月下旬】火乃香と泉希と映画のチケット⑦

 シオンモールで火乃香ほのかの服と靴を買い揃えた後、プレゼントした林檎の酒シードルを一緒に飲むため俺は泉希みずきに自宅へと招かれた。


 酒の勢いと雰囲気のせいか。

 泉希はまるで恋人のように肩を寄せ合い、キスをせがむみたく瞳を閉じた。


 え膳食わぬは男の恥と、俺もそれにこたえ顔を近づける。 

 そうして唇が触れ合う、その寸前。


 ――ヴーッ! ヴーッ!


俺の携帯電話が、勢いよく震え出した。

 静けさを引き裂く異質な音に、俺と泉希はハッと驚き慌てて身を離す。


 羞恥心が一気に込み上げて、俺達は耳まで顔を赤く染めた。二人ともアラサーだというのに、これじゃあ火乃香の方がよっぽど大人だ。


「ん……火乃香?」


なおも震え続ける携帯電話を手に取れば、火乃香の名前が表示されている。わざわざ電話を掛けてくるなんて、何かあったのだろうか。

 

 ふと泉希に視線をれば、またカパカパとボトルを空け出した。恥ずかしさと一緒に頬の赤みを酒で流すつもりか。


 とりあえず火乃香からの電話に出よう。そう思って部屋の外へ出ようとした途端、バイブレーションが鳴り止んだ。

 かと思えば、今度はヴヴヴッと短く震える。

 電話ではなく、スタンプが送られてきたのだ。

 怒っている絵柄と、やっぱり怒っている絵柄。

 とりあえず火乃香が緊急事態でないと分かって安心したが、反して俺の心は一気に緊迫きんぱくする。


 電話に出なかった言い訳、なんて送ろう……。


 背中と額に冷たい汗を浮かべ悩んでいると、視界の端に今日購入したパーカーの袋が映り込んだ。

 もともとアイツの喜ぶ姿が見たくて、今日はあれを買いに行ったんだ。

 にも関わらず、俺が火乃香を悲しませたり不安にさせでどうする。第一、本当なら今日は二人で映画を観に行く予定だったはず。


「……」


何を言うでもなく、俺はおもむろに立ち上がった。

 なんとなく怖くて、泉希の顔は見れなかった。

 だから彼女に背を向けたまま、鞄とプレゼントの袋を手に取った。けれど――


 ――がしっ。


俺の腰回りに、何かが巻き付いた。

 何事かと思い咄嗟に振り返れば、泉希が背後から俺を抱き締めている。


「み、泉希?」

「ズルい」

「え?」

「火乃香ちゃんばっかり構ってもらってズルいって言ってるの!」


戸惑い声を震わせる俺に対し、泉希は俺の背中に顔を押し付けたまま、くぐもる声で叫んだ。


 もそりともたげられた泉希の顔が、耳まで赤く染まっている。おまけにまぶたはトロンととろけて。


「お前……酔ってるな」

「よってない!」


舌足らずに声を荒げて、泉希は「ひっく」とコントみたいな吃逆しゃっくりを漏らした。

 そういえばコイツ、酒が好きな癖に吃驚びっくりするほど弱かったっけ。


 「私だってもっと貴方と居たいのに! 火乃香ちゃんばっかり構われてズルい! 私のほうがずっと前から知り合ってたのに!」


叫びながら泉希は俺の腰に回した腕に力を込めた。何故だか「ふん!」「ふん!」と鼻息を荒げて。


「なにしてんだ?」

「ジャーマンスープレックス」

「いや、なんでやねん」


投げ飛ばすどころか持ち上がってすらいない。それでも泉希は俺にスープレックスをかけようと両腕に力を込める。


 ――バタン!


だが直後、大きな音が部屋中に響いた。

 振り返ってみれば、泉希は仰向けになって倒れている。気持ち良さそうにスヤスヤと寝息をかいて。


「……なにやってんだか」


嘆息まじりに頭をかいて、俺は泉希をソファへと運んだ。別の部屋にはベッドがあるのだろうけど、勝手に入るのははばかられた。


 テーブルの上に残されたツマミはラップをして、がらんどうの冷蔵庫へ仕舞う。

 本当に普段料理をしないらしい。ちゃんと栄養を摂れているのか心配だ。


 ボトルも閉栓してワインクーラーごとキッチンに戻した。本当なら味噌汁のひとつも作ってやりたい所だが、この家に味噌があるとも思えない。


 「う~ん……もう! 悠陽ゆうひのお馬鹿!」


唐突と聞こえた悪態わるくちに振り返ると、泉希がむにゃむにゃと口元を動かしていた。随分とハッキリした寝言だな。


「誰がバカだ、コノヤロー」


むにっと頬っぺたを摘めば、「う~ん」と眉間にしわが寄った。その姿が愛らしくて、俺は思わず吹き出してしまう。


「いつもありがとな……泉希」


前髪をくように頭を撫でれば、今度は気持ちよさそうに頬を緩ませる。


 さらけ出された白い額。

 辛抱堪らず、俺はそこへ口付けする。

 さすがに唇にする勇気は無かった。 


 本当のことを言えば、泉希の肌の感触をいつまでも感じていたかった。ずっとこうして居たいとさえ思った。


 だけど、火乃香が家で待っている。


 後ろ髪を引かれつつ、俺は壁に掛けてあった上着を寝ている泉希の上に被せた。


「また明日な、泉希」


最後にもう一度だけ彼女の頭を撫でて、俺は1枚のメモ書きを残し部屋を後にした。




 ―― 今日はありがとう、泉希。

    今度、二人で映画観に行こうな。 

                 悠陽 ――




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


なんでジャーマンスープレックスを極めようとしたのか、私自身いまでも意味が分からないわ。みんなもお酒の飲み過ぎには気を付けてね! 私も普段グラスビール一杯で酔っちゃうのに、空きっ腹に入れたから一瞬で酔いが回っちゃったわ……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る