第35話 【6月中旬】火乃香と6月13日⑥
「――あの
キッチンから響く
錆びついたみたくギコちない動きで振り返れば、火乃香がジトリと怪訝そうに俺を
思考を見透かすようなその眼に、俺は「うん」と
「なに貰ったの」
「な、なんで」
「いいから」
突き放すような火乃香の言葉に、俺はゾクリと背筋を震わせる。まるで名探偵に追い詰められた真犯人みたく、俺は視線泳がせ脂汗を浮かべた。
「えっと、その……財布を」
「見せて」
言うが早いか、火乃香は右手を突き出した。とても誤魔化せる雰囲気ではない。俺は渋々と泉希から貰った財布を献上する。
「なんか、高級そう」
「……そだね」
黒を基調とした革製の長財布。それを色々な角度に動かし、まるで鑑定士みたくまじまじと見つめる。財布を持った手を動かすたび、火乃香の眉間に皺が増していった。
「……んっ!」
精察すること数分。漸くと満足してくれたのか、火乃香は険のある仕草で財布を突き返した。及び腰にそれを受け取り、こそこそと鞄に戻す。
「あーあ。わたしのプレゼント、やっぱり渡すのやめようかな」
「プレゼントって……さっきの晩飯がそうだろ?」
「違うって。だったら普通にケーキ買うし」
溜め息混じりに言いながら、火乃香は貰い物のティーバッグを取りだした。
言われてみれば確かにそうだ。国産の御牛様を使ったハンバーグとはいえ、1万円の予算があるのだ。3千円あれば小さなホールケーキくらいは買えるだろうからな。
コポコポと湯が沸き立つケトルを詰まらなそうに見つめる火乃香に、俺は何を言うでもなく空っぽの掌を伸ばした。
「なに、その手」
「くれ。プレゼント」
「……普通自分から言わなくない?」
「言わんとくれないだろ」
「だって、わたしのプレゼントなんて……あの財布に比べたら安物なんだもん」
ぷくっと控えめに片頬を膨らませ、火乃香は腕組みしながら顔を背けた。
「値段なんて関係ないよ。勇気を出して初めてのバイトを頑張って、そのお金でプレゼントを買ってくれた。その気持ちが俺は何よりも嬉しいんだ」
不満を諫めるよう頭を撫でれば、火乃香は膨れっ面のままキッチンを出た。そうして奥のクローゼットから白い紙袋を取りだし、ぶっきら棒に俺の眼前へ突き出す。
「あんま、期待しないでよね」
「それは無理。開けていいか?」
「え……あ、うん」
ラッピングを開けると、靴下とボクサーブリーフが2組ずつ入っていた。ハイブランドではないが、老若男女問わず人気のアパレルだ。
「男の人にプレゼントとか何して良いか分からなかったから……とりあえず、一番役に立ちそうなものにした。兄貴の靴下と下着、ボロボロだったし。外から見える物でもないから、センス無くても……我慢して使ってよね」
視線を伏せて頬を赤らめながら、火乃香はモジモジと手遊びして唇を尖らせた。俺は早速と靴下を一つ取りだしてみせる。
「ありがとう! この色の感じとか生地感とか、俺の好みドストライクだ。流石俺の
「べ、別に見てないしっ!」
よしよしと頭を撫でれば、一段と火乃香の視線が下がった。憎まれ口を叩きながらも、その表情は花が綻ぶように穏やかに変わって。
「本当に有難うな。大切に使うよ」
「う……うん!」
桜色に頬を染めて、火乃香は堪えきれないといった様子で
「よーし、じゃあ火乃香シェフ特製のケーキを頂くとしますか」
「だからそんな大したものじゃないって。それにケーキならシェフじゃなくてパティシエじゃない?」
「それな」
ピシッと冗談っぽく両手指を差せば、俺と火乃香はどちらからともなく笑いだした。
先程までの刺々しい雰囲気が嘘のように、俺達は
市販のものとは味が違うけれど、火乃香の作ってくれた方が俺は好きだった。
それにしても、今日はなんと良い日だろう。
好きな相手から高価な誕生日プレゼントを貰い、食事にまで誘われた。
可愛い義妹の豪華な手料理も堪能できて、初めてのバイト代で誕生日プレゼントも買ってくれた。
俺はいま、日本で一番幸せな男かもしれないな。
◇◇◇
などと有頂天になっていたら、翌日は朝からトイレとお友達になった。まるで俺の浮ついた気分を
貧乏に慣れた俺の胃袋では、洒落たイタリアンや国産和牛のハンバーグを許容できなかったらしい。
火乃香が新しい下着をプレゼントしてくれて本当に助かった……。
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以前にも話したけれど、プレゼントには贈るものによって意味があるの。例えば今回みたく靴下を贈る場合は『私を好きにして』という意味があるし、下着には『側にいたい、離れたくない』という意味が含まれているみたい。火乃香ちゃんがそれを意図して悠陽に贈ったかは分からないけれど……まさかね。
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