第34話 【6月中旬】火乃香と6月13日⑤

 「――実は……」


浅い溜め息と共に火乃香ほのかは重い口を開いた。


 ホールサイズのデコレーションケーキに100%国産牛のハンバーグ。こんな贅の限りを尽くした料理、考えてみれば我が家には到底不釣り合いだ。

 神妙な面持ちで間を置く義妹いもうとに、俺はゴクリと固唾を飲みはらに力を込めた。


 「実は、ちょっとバイトしてた」


目を合わせることなく恥ずかしそうに答える火乃香に反し、俺は「へっ?」と間抜けな声を漏らした。


「バ、バイト⁈」

「うん」

「バイトって、どんな」

「商品にシール貼ったり、倉庫の中で荷物運んだりした。軽作業っていうの?」


素っ頓狂な声でオウム返しする俺に、火乃香は小首を傾げて答えた。

 てっきり私物を売ったり、虎の子の貯金を崩したものと思っていた。真っ当な方法で安心した反面、次々に別の疑問が浮かんでくる。


「一体いつから始めたんだ、そのバイト」

「先週に兄貴の誕生日知って、次の日に登録と応募して面接行って……そこから二日だけ働いた」

「給料の支払いって、1ヶ月後じゃないのか」

「普通はそうらしいね。でもわたしがやったのは、その日のうちにお給料が出るヤツだから。そういうの『ヒヤトイ』って言うんだって」


パクリ。火乃香はハンバーグを口に運んだ。自分でも気に入っているのか、頬を赤らめ「うーん」と肉の味を噛み締める。

 しかし成程、合点がいった。日雇いバイトなら単発の仕事も多いだろうし、給与が当日払いなのも理解できる。


「けど、日雇いバイトなんてよく知ってたな」

「うん。こないだ進路のはなしした後に、自分でも色々調べてたから。仕事のこととか、学校のこととか。その時に知った」

「あー……にゃるほど」


冗談ぽく答えて、俺もコーンスープを一口飲んだ。

 疑ってはいなかったけど、ちゃんと進路のことも考えていたんだな。真面目な義妹を持って、お義兄ちゃんは嬉しいよ。


「でも、今までバイトしたこと無かっただろ?」

「うん。はじめて。すっごい疲れた」


思い出すだけでも煩わしいのか、火乃香はげんなりと深い溜息を吐いた。

 察するに、この1週間夕食が簡素だったのは食事を作るのも出来ないくらい疲れていたせいか。日雇いとはいえ初めてのバイトなら仕方ないな。


 「てゆーか、聞いてよ兄貴!」

「なんだ、どうした」

「わたし銀行口座もってなかったから『フリコミ』ってのが出来なかったの。だから現金でお給料ほしかったんだけど、そしたら当日に貰えなくて! 次の日にお給料を受け取るためだけに行ったんだけど、その日の交通費くれなかったし!」


プンスカ怒りながら、火乃香は付け合わせのサラダを口に放り込んだ。確かに今時はほとんど銀行振り込みだからな。稀に電子マネー払いの所もあるらしいけど。


「でも、そういうことなら今度お前の口座も作ってやらんとな」

「え、いいの!」

「もちろん。ちなみに日雇いのバイトって、どれくらい稼げるもんなんだ?」

「1日5時間働いて、一万円ちょっとかな。おかげで予算が足りなくて、ケーキ買えなかった」

「買えなかったって、あるじゃねーのよ」

「アレわたしが作った」

「……えっ?」


平然と言ってのける火乃香に、俺はまたしても頓狂な声で返した。


「作ったって、イチから?」

「うん。流石にスポンジ焼くのは手間だったから、市販のやつ買って来たけど」

「いや、それでも十分凄いだろ」

「別に大したこと無いし。ホイップクリームとシロップを作って塗って、イチゴ乗せるだけだから」

「だけってお前……いやはや、火乃香は本当に料理上手だな。良い嫁さんになるわ」

「……それ前も聞いた」


照れ臭そうに顔を赤らめながら、火乃香は手製のハンバーグを食べ進めていく。

 28歳の膨らんだ腹には少々堪えるけれど、それを押しても食べる手が止まらない。

 あっという間に火乃香の特製ハンバーグディナーを食べ終わり、いよいよとケーキが切り分けられる。


 1日に二度もケーキを食べるだなんて、もはやセレブと言って差し支えない。普段なら自慢の一つも披露したい所だが、火乃香にまたヘソを曲げられても困る。ここはぐっと堪えて沈黙を守ろう。


 「珈琲と紅茶、どっちがいい」

「火乃香はどっちにするんだ」

「わたし紅茶」

「じゃあ俺も」

「おっけー」


ケトルで湯を沸かしながら、火乃香はいそいそと紅茶の準備を始めた。今やキッチン事情は俺より火乃香の方が把握してるな。


「ところでさ、兄貴」

「んー、どうした」

「一個聞きたいんだけど、良い?」

「なんだ改まって。なんでも聞きなさいよ」

「あのひと……水城みずしろ先生からも、誕生日のプレゼント貰ったの?」


キッチンから響く火乃香の冷たい声に、俺の心臓はギクリと縮み上がった。

 錆びついたようにギコちなく振り返れば、火乃香がジトリと俺をめつけている。


 頭の中を見透かすような視線に、俺はまたゴクリと喉を鳴らした。




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基本的に未成年者がバイトをする際は保護者の許可(同意)が必要で、履歴書にも記入欄が設けられているわ。だけど法律で定められている訳ではないから、企業によっては保護者の許可を不要としている所もあるの。今回火乃香ちゃんが働いたバイト先は確認を取らなかったみたいね。

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