第33話 【6月中旬】火乃香と6月13日④

 「遅い!」

「……ごめんなさい」


家に帰るや否や、玄関先で仁王立ちに構える火乃香ほのかに叱責された。


 乗り換え駅で泉希と別れ、俺は肩で息するほどに急ぎ帰ってきた。それでも約束の17時には間に合わず30分以上オーバーしてしまった。

 あはかじめ【LIMEライム】で遅くなる旨のメッセージを送ったというのに、それでも火乃香はカンカンに栗鼠りすの如く頬を膨らませている。


 「今日は17時ごじに帰るって言ったのに!」

「だからゴメンて」


平謝りに頭を下げ、俺ははえのごとく両手を擦り合わせた。

 そこまでして漸く、溜め息混じりの笑顔を浮かべて許してくれた。本当はそれほど怒ってなかったんじゃないのか。


 「お腹空いてるでしょ。晩御飯できてるから」


どこか照れ臭そうな火乃香に反して、俺の心臓はギクリと縮み上がった。ついさっき食べてきた所だから、微塵も腹が減っていない。

 だがそんな台詞が言えるはずもない。冷や汗浮かべ俺はリビングに向かった。


「うおっ!」


その瞬間、俺は思わず声を上げた。なにせ小さなローテーブルには、文字通り所狭しと料理が並べられているのだから。

 ホカホカの湯気立つハンバーグに、即席粉ではないコーンスープ。瑞々しいサラダに加え、極めつけはイチゴのデコレーションケーキ。とても我が家とは思えない豪勢なラインナップだ。


「これって……」

「今日、兄貴の誕生日でしょ。だから作った」

「作ったって、火乃香おまえが?」

「他に誰が居るのさ」


憎まれ口を叩きながら、火乃香は頬を赤らめソッポを向いた。なるほど、帰宅時間に煩かったのはれが理由か。


 美味そうな香りに口の中は涎で溢れ返る。だがイタリアンのコース料理を食べてきたばかりで、この量は明らかにキャパオーバーだ。

 とはいえ可愛い義妹いもうとの手料理。食べない道理があろうはずも無い。たとえこの胃袋が破裂しようと残さず平らげてやる。


 「見て兄貴。ローソクもちゃんと買ってきた。さすがに28本も立てるのはアレだから数字のやつにしたけど」


数字の『2』と『8』を模った蛍光色のローソクを取り出し、火乃香はケーキの上に並べて刺した。オーソドックスなのも良いけれど、これもポップで可愛いらしい。


 「ほらほら。火ぃ付けるから座って座って」


言うが早いか、火乃香は部屋の明かりを落として俺をローテーブルの前に座らせた。同時にローソクへ火が灯される。オレンジ色の優しい灯影ほかげが、薄暗い部屋の中に揺らめいて。


 「えと……た、誕生日おめでとう……兄貴」


ローソクに照らされてもいるにも関わらず頬の赤みが見て取れるほど、火乃香は恥ずかしそうに含羞はにかんだ。

 本当のことを言えば俺も面映い。けれどここで躊躇う訳にはいかない。出来る限りの笑顔を作って「ありがとう」と返した。


「ところで、ハッピーバースデーの歌は歌ってくれないのか」

「そ、そんなの歌うわけないじゃん! 子供じゃないんだから!」

「いいじゃないのよ。誰が聞いてるわけでもなし」

ーや!」


白い歯を剥いて火乃香は「イーッ」と子供っぽく不満を表した。

 あまり茶化すのも可哀想だし、折角のケーキに蠟が付くのもやるせない。俺は一息に火を吹き消した。まさか日に2回もこれをするとは思わなんだ。

 恥ずかしいのか音に出さないよう拍手をする真似だけして、火乃香はすぐに部屋の灯りを点けた。


 「ケーキは冷蔵庫に入れとくね」


立ったついでにイチゴのデコレーションケーキをキッチンへ移せば、足取り軽くまたテーブルに戻ってくる。


「いただきます」

「いただきまーす」


待ちきれんとばかりに、俺はデミグラスソースがたっぷり掛かったハンバーグへ箸を挿し入れた。湯気立つそれを一切れ食べれば、口のなか一杯に味と香りが広がる。


「美味っ! なにこれ超美味い! これ本当に火乃香が作ったのか?」

「だからそうだって」

「すごいな! 店出せるレベルだぞ!」

「ふっふーん」


然も得意気に鼻を鳴らして、義妹は形の良い胸を張ってみせた。


 「普段のお肉は安い外国産の豚肉だけど、今日のは国内産の牛肉だから!」

「なっ……こ、国産の御牛様おうしさまだと……!」

「そう。それも合い挽きじゃない100%牛」


通りで美味いはずだ。だがそれ以上に火乃香の料理スキルには驚きだ。さっき泉希と食べたイタリアンも美味かったが、このハンバーグも引けを取らない。八分目の腹にもすんなりと入っていく。


「しかし、さっきのケーキといい国産の牛肉様といい高価たかかっただろ。よくそんな金があったな」

「うん。まあ……ね。でも生活費は使ってないよ。あれはあくまで生活費だから、余った分は全部貯金箱に入れてる」

「じゃあ、お前の貯金から?」

「まさか。貯金できるようなお金があったら、貧乏なんてしてないし」

「ならどうやって」

「いいんじゃん別に」

「ダメ。ちゃんと言いなさい」


返す刀で言い放てば、火乃香はあからさまに視線を泳がせた。

 義妹を疑うわけではないが、保護者として金のことは把握しておかないと。万が一にも火乃香が自分の物を売ったりして金を作ったのなら、全部買い戻してやる。

 

 「……実は――」


そんな俺の気配を察したか、火乃香は浅い溜め息と共に重く口を開いた。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


この6月13日編はいつまで続くのかしら。まさか悠陽の誕生日というだけで4話以上も使うとは思わなかったわ……因みに私の誕生日は2月で、火乃香ちゃんは12月よ。二人共まだだいぶ先ね。それまでにこの物語が終わってなければ良いけれど……。

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