第30話 【6月上旬】火乃香と6月13日①

 「――えーっと、ここにわたしの名前と生年月日と学年を書いて……休学の理由はどうしようかな」


薬局で進路のことについて話し合った数日後。火乃香ほのかは「うーん」と頭を抱えながら休学届に必要事項を記入していった。



 ◇◇◇



 薬局から逃げるようにして帰った火乃香は、その日の内に自分の学校に連絡を入れ休学を願い出た。特に理由を聞かれることもなく、後日に三者面談を行う旨だけ伝えられたらしい。


 本来なら俺が火乃香と一緒に学校まで出向き、直接顔を合わせて話をするべきなのだが……仕事の都合上、平日にA市まで行くのは難しかった。そのため今回は特別にオンライン面談にして頂いた。

 WEBで行われるためか、学校側の対応は恐ろしいほど迅速で、休学する旨の連絡を入れてからわずか3日後(木曜日)に面談を設定アサインされた。


 そうして、来たる木曜日。


 午前業務を終えて帰宅した俺は、火乃香とふたりノートPCの前に並んで、画面の向こうに居る先生に休学の意思を伝えた。

 てっきり引き留められるものかと思いきや、意外にも火乃香の申し出はすんなりと受け入れられた。おかげで面談もすぐに終わったのだが……なんとなく事務的に感じたのは俺の思い過ごしだろうか。


 兎にも角にも。火乃香は来年の3月31日まで休学する方向で話はまとまった。もちろん学籍は残したままで。


 正直言うと、今から転校しても出席日数や単位が足りず留年してしまうのではないかと内心ヒヤヒヤだったからな。1年間休学すれば、別の高校に編入するなり新たに受験するなり、落ち着いて進路を模索できる。


 

 ◇◇◇



 「――ごめんね、兄貴」


WEB面談を終えて間もなく。申し訳なさそうに顔を伏せながら、火乃香はほとんど書き終わっている休学届を差し出した。残る項目は保護者の署名欄だけだ。


「だから謝るなって。休学っていう選択は、お前が本当に『そうしたい』って思ったことなんだろ?」

「……うん」

「ならそれで良い。前にも言ったけどお前は若い。やり直しも方向転換もいくらだって出来る。それよりも自分の気持ちを捻じ曲げて、後悔を引き摺って大人になる方が俺は嫌だ。お前が納得して選んだ進路なら、俺は精一杯応援するよ」


ぐしぐしと強く頭を撫でれば、火乃香は照れ臭そうに含羞はにかんで首肯した。


「ところで、火乃香はもうやりたい事とか決まってるのか?」

「え……う、うん。一応」

「それって、どんな?」

「……怒らない?」

「犯罪とか悪い事なら怒る」

「そんなんじゃないけど……」


膝の間でモゾモゾと両手を擦り合わせ、頬をほんのり赤く染めながら火乃香は視線を泳がせる。


 「……兄貴と、一緒に居たい」


予想外の答えに「へっ⁈」と素っ頓狂な声で尋ね返せば、火乃香は伏せ目がちに俺を見遣みやった。


 「高校も中学も、なんなら小学校の頃も楽しい事なんて全然なかった。周りと話が合わなくて、合わせることも出来なくてツラかった。

 でも、兄貴と一緒にいるのは楽しい。兄貴とは一緒に居たい。兄貴に『おかえり』って言いたいし、兄貴に美味しいご飯やお弁当作ってあげたい。それが今、わたしのやりたいコト」


言葉を重ねる度に声も明瞭化して、それに比例するみたく段々と視線も上がる。


「兄貴がわたしの兄貴で居てくれるのは、18歳にするまでの3年間しか無いから……だから今は、兄貴とたくさん思い出作りたい」


目尻に涙を潤ませ火乃香はぐっと拳を握りしめた。だが眉は伏せ気味に、おずおずと上目遣いに身を縮こませた。


 「やっぱ、ダメかな……そんなの」


潤んだ瞳に火乃香は不安な声と表情を表した。そんな彼女を前に、俺は固く拳を握り肩を震わせる。


 なんなんだ、この義妹いもうとは!

 いくらなんでも可愛いが過ぎるだろ!

 天使か? まさか天使なのか!

 本当は人間の皮を被った天使じゃないのか!

 ああもう、抱きしめてやりたい!


今にも爆発しそうな情動を理性という名の脆弱な蓋で必死に抑え込み、俺は奥歯噛み締めイビツな笑みで繕った。


「良いに……決まってるだろ……!」

「あ……ありがとう、兄貴!」


間髪入れず放たれた屈託ない笑顔の弾丸。

 胸を撃ち抜く衝撃に理性が飛びそうになるも、ギリギリのところで堪え「コホン」とひとつ空咳からぜきを払う。


「と……とにかくまずは書類を仕上げないとな! えーと、ここに俺の名前と生年月日を書くのか!」


わざとらしく大きな声に出しながら、俺はそそくさと空欄を埋めていった。

 とはいえ住所や休学理由などは火乃香が既に記入している。俺は自分の名前と生年月日を書くだけで終わった。


 「ちょ、ちょっと待って兄貴」


書き終えた休学届を改めていると、火乃香が慌てた声で俺の手を掴んだ。


「どうした。どこか書き間違えたか」

「いや、そうじゃなくて!」

「じゃあなんだよ」

「兄貴……来週誕生日なんじゃん!」


書類を広げて指差しながら、火乃香は声を荒げた。ちなみに俺の誕生日は6月13日。彼女の言う通り、ちょうど一週間後だ。


「ああ、もうそんな時期なんだな。年齢とし食うごとに一年が早くなってる気がする」

「そんなの今どうでもいいし! なんでもっと早く教えてくれなかったの!」

「だって聞かれんかったし。俺自身もすっかり忘れとったし」

「なにそれ意味分かんない! 兄貴のバカ!」


一体何がわからないのか、火乃香はぷくりと両頬を膨らませ俺を睨みつける。

 おまけに「もういい!」とだけ吐き捨て、布団に潜り携帯電話を触りだした。声を掛けても鼻を鳴らすばかりで見向きもしない。


 いや、そんなことしてないで……早く書類を投函してきなさいよ。




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退学だと流石にもう少し時間をかけた話し合いが行われるみたいだけど、今回は休学だからアッサリと済んだみたいね。余談だけど、書類は学校のHPからPDF形式でダウンロードする形よ。

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