第29話 【6月上旬】火乃香と進路と学校と③

 ――中卒と高卒の間には大きな壁がある。

 

 残念ながら、それは事実だ。


 時代と共に学歴の重要度は薄れている。とはいえ学歴がその人をはかる判断材料である事実は、今も昔も変わらない。それが証拠に【大卒以上】や【高卒以上】をボーダーとしている企業がほとんどだ。どころか実際には大学院卒しか採用していない現場ところもザラにある。


「けどな、火乃香ほのか。お前がどうしても学校に行きたくないって言うなら、俺はそれでも良いと思う」


華奢な肩に手を置き語り掛けると、火乃香は不安に驚きを混ぜて俺を見上げた。


 「……いいの?」

「ああ」

「でも、さっきは『学校に行って欲しい』って」

「それも本心だ。さっきも言ったように俺は大学を中退してるからな。後ろめたい気持ちや後悔の念は誰より理解してる。お前にそんな思いはしてほしくないから、学校には行ってもらいたい。その気持ちは嘘じゃない」


複雑な様相を呈す火乃香の頭を撫でながら、俺は昔の自分を思い出した。

 けれど暗い記憶はすぐに消し去って、また火乃香に微笑みかける。


「でも学校に行くことで後悔するくらいなら、お前の本当にやりたい事があるなら、そっちの道を進んでほしい。それも俺の本心だ」

「わたしの……やりたいこと?」

「そう。火乃香が本当に好きな事。どうしても今やりたい事。心から熱中できる事。そいつを納得いくまで突き進んでほしい」

「熱中できる事って、勉強とかスポーツとか?」

「それもアリだし、遊びや趣味でも構わない。自分に嘘を吐いて行きたくもない学校へ行って、後悔を引き摺りながら生きていくより、ずっと良いから。少なくとも俺はそう思う」

「……本当に?」

「本当に」

「どんなことでも?」

「どんなことでも!」


訝し気に眉をひそめる火乃香に反して、俺は「エッヘン」と冗談っぽく鼻息荒げて胸を張ってみせた。


「最悪それがダメでも、お前はまだ若い。高校を辞めたって大検なり通信制なり高卒資格を取って、医大にでも行きゃあ一発逆転だ。医学部なんて4浪5浪は当たり前の世界だからな。少しくらい出遅れたっていくらでも取り戻せる。そうなったら、今度は俺が火乃香に養ってもらう番だけどな!」


義妹いもうとの小さな背を叩きながら、俺は高笑いしてみせた。けれどすぐに真顔へ戻し、火乃香の視線に高さを合わせ真正面に見据える。


「色々言ったけど、要するに俺がお前に望むのは、色んな物と出会って色んな事を知って、自分の幸せの形を見つけてほしいってことかな」

「わたしの、幸せ……」

「そう。なーに、本当にツラければ、そん時は辞めりゃ良いんだから! 俺も大学を辞めたけど、こうして何とか生きてるし! 世の中、案外どうにでもなるもんだ!」


腰に手を当てお手本みたく「あっはっは」と高笑いしてみせると、さっきまで暗い顔をしていた火乃香も釣られたようにクスリと笑みを浮かべた。


 「分かった。進路のこと、もう少し考えてみる」


決して『晴れやか』とは言えない様相。だけど俺は大きく頷いて応えた。


 「でも、やっぱりあの学校には行けない。今またあの町に通うのは、色々思い出してツラいから」

「……そうか。それがお前の納得いく道なら、俺は全力でサポートするよ」

「兄貴……」

「けど転校ってなるとそれも大変だな。まずは学校探さないとだし、編入試験とかもあるよな」

「たぶん」

「火乃香は成績良かったのか?」

「わかんない。高校入学してすぐにお母さん達が亡くなったから、一度もテストとか受けてない。多分いま授業に出ても全然理解できないと思う」

「うーん……それも問題だな」

「なら、休学はどうかしら」


ピンと人差し指を立て朗らかに提案する泉希に、俺と火乃香は「休学?」と声を揃えて振り返った。


 「休学なら籍と単位は残っているから元の学校に戻ろうと思えば戻れるわ。別の高校へ編入するにしても、落ち着いて準備が出来ると思う」

「あー、そういや俺も大学辞める前に1年間休学したな。でもそしたら、また一年生からスタートになるんじゃないか。友達はみんな進級してるだろ」

「それは大丈夫。どうせ友達とか居ないし」


寂しい事も平然と言ってのける火乃香に、俺と泉希は苦々しい笑みを浮かべた。


 「兄貴の言うように、自分がちゃんと納得できる道に進もうと思う。学校のことも考えたいから……この1年間はとりあえず休学する」

「うん。それで良いと思うぞ」

「そうね。休学期間中に色んな事に挑戦してみるのもアリだと思うわ。バイトや習い事をすれば、メリハリが付いて気分転換にもなると思うし」

「だな。だけど火乃香、絶対に焦ったりするなよ。お前のペースで、ゆっくり自分の将来の姿を見つければいいんだからな」

「……うん!」


今日一番の元気な返事に、俺はほっと安堵に胸を撫で下ろした。そんな俺を横目に、火乃香は何を思ったか泉希の前に立つ。


 「あの、水城みずしろ先生」

「なに?」

「どうして無関係のわたしに、そこまで親身になってくれるんですか?」

「え、あ、それはその――」


指遊びをしながらゴニョゴニョと声を小さく、泉希は顔を紅潮させた。いつもの竹を割ったような言動は何処へ行ったのか。


 「やっぱり、先生も……」


顔を伏して何やら言いかけるも、押し殺したように喉の奥へ引っ込めた。かと思えばペコリと会釈だけして、火乃香は逃げるように店を後にする。


「どうしたんだ、火乃香のヤツ」


義妹の不可解な言動に首を傾げる俺の隣で、泉希は顔を真っ赤に固まっていた。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


悠陽の言っていた「大検」とは高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)のことね。実際に悠陽の知り合いには、イジメが原因で高校を中退したけど20歳で大検を取って、21歳で薬学部に入学した人が居るそうよ。もちろん彼はその後、立派な薬剤師になったみたい!

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