第31話 【6月上旬】火乃香と6月13日②

 火乃香ほのかの休学手続きに必要な書類を書いていた木曜日。俺の誕生日がちょうど一週間後に迫っていることが判明した。

 隠していた訳ではないのだが、火乃香は急に怒り出し声を掛けても無視する始末。おかげでその日の晩メシは白米と納豆だけだった。


 次の日も火乃香はまだ怒っていた。弁当は持たせてくれたけれど、中身は白御飯に漬物とフリカケがひとつ添えてあるだけだった。俗に言う『ドカベン』である。なお夕飯は具なし焼きそばだった。


 更にその翌日の晩はレトルトカレー。土曜日だというのに夕食を用意してくれないだなんて、よほど怒っているみたいだな。ハッキリとした理由は分からままだけど。


 翌日の日曜日に至っては昼飯にチャーハンだけ作って「ちょっと出掛けてくる」と言って半日ばかり家を空けていた。

 どことなく疲れた顔で帰ってきた火乃香に何処へ行ったのか尋ねるも、「別に」とだけ答え取り付く島も無かった。


 もしかして反抗期なのかな。


 御機嫌伺いとばかりに夕飯は俺が作った。また火乃香の好きなお好み焼きにしようかと思ったけど、それも芸が無い気がしてオムライスを作ってみた。

 喜んでくれるのを期待したが、火乃香は「残りは明日の朝食べる」と半分だけ残し20時にはベッドへ潜ってしまった。体調でも悪いのだろうか。


 翌日は仕事の始まる月曜日。やはり火乃香は弁当を持たせてくれた。また米と梅干だけの寂しい内容かと思いきや、卵焼きやキンピラレンコンなどいつも通りのレパートリーだった。

 ようやく機嫌を直してくれたかと安堵したのも束の間。その日の晩メシは出来合いのソースを茹でたパスタに掛けるだけというお手軽具合だった。


 一体いつまで引きるつもりか。そろそろ文句の一つでも言ってやろうかと思った矢先。俺の意図を察したかのように大量のカレーがこさえられた。

 その量があまりにも多く、とても一晩では食べきれなかったので翌日の弁当と夕飯もカレーになってしまったが。それにしても、まさか一週間のうちで4食もカレーになるとは思わなんだ。


 もしかしてまだ怒っているのだろうか。恐る恐ると帰宅すれば、俺の予想に反して火乃香は鼻歌まじりにニコニコと、えらく上機嫌だった。


 なんだろう……御年頃ってヤツかな。



 ◇◇◇



 「――今日、何時に帰ってくる?」


釈然としないまま木曜日の朝を迎え、朝食のトーストを齧る俺に火乃香が何の前置きもなく尋ねた。機嫌は直ったはずなのに何故か視線は伏せ気味で。


「いつも通り、だと思うけど」

「いつも通りって? 木曜日は午前診で終わるから午後は休みなんでしょ」

「あ、ああ。そうだな」

「何時になるの」

「た、たぶん17時ごじには帰ってくると思うけど」

「わかった。17時ごじね」


つっけんどんな癖に何故か小さなガッツポーズをする火乃香を不思議に思いながら、俺は「行ってきます」と薬局しごとに向かった。


 疑念が頭の片隅を陣取りながらも、大きなトラブルも無く業務が終了し閉局時間を迎えた。派遣社員の子もすでに退勤したし、あとは表のシャッターを降ろして事務作業を終えるだけだ。間違いなく17時には帰宅できるだろう。


 「ちょっと悠陽ゆうひ!」


安心して呑気に片付けをしていると、泉希みずきが眉尻を吊り上げ近付いてきた。


「どうした、泉希」

「こ……これ!」


ぶっきら棒に差し出されたのは、上等そうな紙袋。描かれているロゴマークは見覚えのあるブランドのそれだった。


 「に、28才……おめでとう」


モゴモゴと口籠りつつ、泉希は顔を伏せ気味に頬を赤らめている。一瞬何のことだか分からなかったが、ハッと気付いてカレンダーを振り返った。


「そうか! 今日は俺の誕生日か!」


火乃香の反抗期(仮)ですっかり忘れていた。そもそも俺が自分の誕生日を伝えていなかったからアイツも怒ってたんだっけ。

 ポンと掌をたたく俺に、泉希は呆れ顔で溜め息を吐いた。


「貴方の事だから、どうせそんな事だろうと思ったわよ。従業員の誕生日はキッチリ覚えるくせに」

「はは。それよりコレ、あけて良いか?」

「今ここで?」

「うん」

「べ、別にイイけど……」


一層と顔を赤らめつつ、泉希は尻すぼみに答えた。俺は待ちきれないとばかりに受け取った袋を開け、可愛らしいラッピングを解いた。

 高価な見た目の紙箱を開けば、革製の長財布が収められていた。黒色の中にどこか紺色を覗かせるシックなデザインだ。


「うわっ! めっちゃイイじゃん、この財布!」

「え……そ、そう?」

「実はそろそろ買い替えたいって思ってたんだ! すげー俺好みだし! ありがとう泉希!」

「き、気に入ってくれたのなら……良かった」

「もうめっちゃ気に入った! 大切にするよ!」


ほっと胸を撫で下ろす泉希に何度もお礼を言いながら、俺はいそいそと旧い財布を取り出した。

 いま使っている財布はボロボロで、所々に合皮も剥がれているから本当に助かる。なにより泉希からのプレゼントというのが嬉しい。


 「ね、ねえ悠陽」

「んー?」

「その……今日この後って、時間ある?」

「時間? まあ、少しなら」

「良ければ、その……い、一緒に食事でもどう? 実はその……遅めのランチを予約してるの」


受付カウンターの上でなけなしの現金やカード類を移し替えていると、泉希がモジモジと手遊びしながら上目遣いに尋ねた。

 普段の勝ち気な言動とのギャップに、俺の胸がドキリと強く波を打った。おまけに誕生日に好きな相手ひとから食事に誘われたとなれば……。


「そんなの行くに決まって――」


と、そこまで言いかけて俺は声を引っ込めた。

 今朝家を出る時、火乃香に『17時には帰れる』と言ったのを思い出した。

 まだ今日の事務作業を終えていないし銀行にも行きたい。予約してくれた店が何処にあるか分からないが、それから食事となると17時に帰宅できるか怪しい。

 遅くなろうものなら、折角治った火乃香の機嫌がまた損なわれるかもしれない。


 かといって泉希の誘いを断るのも気が引ける。以前にシオンモールで会った時も、結局お茶をする事が出来なかったからな。流石に申し訳ない。


 食事に行きたいけど、火乃香との約束がある。

 帰らなきゃいだけど、泉希を振りたくはない。


 ……どうしよう。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


私が悠陽にあげた財布は、以前に悠陽と火乃香ちゃんにシオンモールで鉢合わせた時に買った物なの。悠陽も喜んでくれたみたいだし、足を運んだ甲斐があったわ。

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