第22話 【5月中旬】火乃香と『兄貴』

 火乃香ほのかが公園で出会った2匹の野良子猫を連れ、俺達は雨のなか家路を急いだ。

 

 幸いにも子猫たちは元気だった。火乃香がエサを運んでいた成果おかげだろう。

 それでもアパートに着くなり、火乃香はすぐさま子猫たちの身体を拭いてやった。


 「俺がやるから、火乃香は先に風呂入ってきな。お前も体冷えてるだろ」

「いい。大丈夫」

「いやお前さっきクシャミしてただろ。本当は寒いんじゃないのか」

「でも、この子達はわたしが連れてきたから。責任もって、わたしが世話する」


振り返ることもせず、火乃香は一心に子猫達の体を拭いていく。これは梃子テコでも動きそうにないな。


「……しゃーない」


痒くも無い頭を掻きながら、俺は子猫を拭く火乃香の後ろに座り、義妹いもうとの長い黒髪を梳かすように拭いていく。まるで背中の流し合いみたいなだ。


 すっかり体の温まった子猫達は、火乃香の買ってきたペット用ミルクを美味そうに飲んで、家の中を元気に走り回った。怪我や病気は無さそうだけど、念のため病院で診てもらおう。


 「わたし、お風呂入ってくる」


子猫らの元気な姿に安心したのか、火乃香は漸くと脱衣所へ向かった。

 俺はその間に大家さんへ連絡を入れ、事情を説明するべくアポを取り付けた。

 本当は俺一人で行くつもりだったけど、火乃香がどうしてもと言って聞かないので、二人してお願いに上がった。


 「そういうことやったら、全然ええよっ」


意外と言うべきか、やはりと言うべきか。大家さんは二つ返事でOKしてくれた。

 流石に飼うのはダメだけど、少しの間置いておく程度なら大丈夫だそうだ。理解ある大家さんで本当に良かった。

 万が一NGを出された時は、薬局の事務所で子猫達と一緒に泊まり込むか、近所のペットホテルに預けるつもりだったから……本気マジで助かった。

 


 ◇◇◇



 「――そういうことなら、私の家の近くに保護猫カフェがあるわよ」


月曜日の午前業務が終わって間もなく。昼休憩を終えた泉希みずきに何気なく子猫達の話をすると、予想外の答えが返ってきた。


 「昨日そのカフェの前を通ったら、『里親さんが決まりました』って子猫の写真が張ってあったの。あそこなら引き取って貰えるんじゃないかしら」

 

まさに天恵てんけい。俺は早速と電話を入れた。

 事情を説明すると、電話口のオーナーは快く承諾してくれた。泉希の言っていた通り、先日まで在籍していた猫スタッフが一匹ひとり、里親が決まって卒業したらしい。

 加えて火乃香の行動がオーナーさんの胸を打ったらしく、是非連れて来てほしいとのことだった。


 家に帰り火乃香にその旨を伝えると、複雑そうにしつつ承知してくれた。


 そうして翌週の土曜日。昼過ぎに仕事を終えた俺は、火乃香と二人でにくだんの保護猫カフェを訪れた。

 オーナーさんは意外にも若い男性の方で、とても優しそうな印象だった。

 寄付金代わりに謝礼を渡そうとすると、『妹さんの優しさが何よりの謝礼です』と受け取ってはくれなかった。


 「――この子達のこと、よろしくお願いします」


帰り際に子猫らを引き渡した時、まるで自分の子供を預けるみたく火乃香は丁寧に頭を下げた。


 「元気でね」


最後に子猫らの頭を撫でて別れを告げると、火乃香は一度も振り返ることなく来た道を戻り、足早に駅へと向かった。

 

「今度また、会いに来ような」

「……いい。会うとまた寂しくなるから」

「そうか?」

「……うん」


消え入りそうな声で答え、火乃香は項垂れたまま俺の隣に付いて歩いた。

 なんの会話も無いまま駅に到着した俺達は、改札をくぐり電車を待った。

 数分後。軽快なメロディと共に電車の到着を知らせるアナウンスが響いた。

 けたたましい走行音を響かせ、やって来た電車に乗り込もうとした……その瞬間。

 

 「……ごめん」


火乃香の声が、俺の足を止めた。

 

 「わたし、また嘘ついた。ホントはあの子達に……もう一度会いたい」


足元の黄線を見つめながら、火乃香はギュッと俺の服を掴んで握りしめる。


 そんな俺達を置き去りに、電車は出発した。


 俺は傍に設置されたベンチへ腰を降ろし、火乃香もその隣に座る。

 握りしめた服は、決して離さずに。


「火乃香も、動物好きなんだな」

「……うん」

「実は俺も好きなんだ」

「……そう」

「今度、動物園でも行くか」

「……二人で?」

「もちろん。俺と一緒は嫌か」

「そうじゃない。けど……」

「けど?」

「……動物園だけじゃなくて、色んなトコ……連れてってほしい」


恥ずかしそうに頬を赤らめ補足呟く火乃香に、俺は「もちろん」と力強く答えて彼女の頭を撫でた。


 「約束だからね……


俺の服を掴む手に、一層と力が込められる。


 指先でなく五指で掴まれた服。

 

 それが絆の強さを表しているようで。

 それが心の距離を表しているようで。

 それが火乃香の信頼を表しているかのようで。


 嬉しくて胸が躍った。緩む表情かおを抑えるのに必死だった。

 おかげで俺は家に帰るまで気付けなかった。

 

 火乃香が初めて、『兄貴』と呼んでくれた事に……。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


今回悠陽達が子猫を預けたのは市の境にある保護猫カフェよ。オーナーさんは若い男性の方で、在籍している猫ちゃんは皆人懐っこい性格よ。里親募集も随時受け付けているみたい!

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