第23話 【5月下旬】火乃香と甘えん坊の風邪っぴき①

 「――へくちゅっ!」


保護猫カフェに子猫らを預けた翌日の日曜日。朝食の洗い物を終えた火乃香ほのかが唐突と可愛らしいクシャミを放った。


「どうした火乃香。風邪か?」

「わかんない。なんか鼻グシュグシュする」


ティッシュで鼻をかみ、火乃香は「はあ」と小さく息を吐いた。心なしか目がトロンと微睡まどろんでいる。


「ちょっと熱、測ってみ」


救急箱から体温計を取り出し、火乃香に手渡した。

 いつの間にか俺のTシャツを部屋着に使うことが定着したようで、今日も首や袖の周りがダボついている。体温計を脇に入れるのは楽みたいだが。

 

 ――ピピッ。


数分後。計測完了のアラームが響いて、温度を確認した火乃香は「あっ」と驚嘆の声を漏らした。

 まさかと思い体温計を取り上げれば、液晶画面ディスプレイに【37度5分】と表示されている。


「……今日はもう寝なさい」


バツが悪そうに視線を逸らす火乃香をジトリを見つめ、ベッドを指差し強めの口調で言い付ける。

 ウチに来てから約一ヶ月。今まで体調を崩すようなことは無かったのだが。子猫の件が一段落して、気が抜けたのかもしれないな。


 「でも、掃除とかあるし」

「そんなもん俺がやるから、お前は寝てろ」


火乃香をベッドに押し込み、なかば無理矢理寝かしつける。火乃香は「平気なのに」と不満気に口を尖らせたが、今日ばかりは俺も引く気はない。


「熱の他に症状はあるか。体のだるさとか、咳とか頭痛とか」

「ない。ちょっと鼻が出るだけ」


言いながら火乃香は「ズズ」と鼻を啜った。たぶん風邪だとは思うけど、生憎と俺には判断できない。


「そうだ、泉希みずきに来て貰おうか。泉希なら薬や病気にも詳しいし、女同士なら――」

「イヤ!」


言い終えるより早く火乃香は声を荒らげ拒絶した。複雑な表情で眉をひそめ、ぎゅっと固く布団を握りしめている。


 「あのヒトには……来てほしくない」

「どうして」

「それはだって……や、休みの日に呼び出すなんて迷惑じゃん」

「ああ、たしかに」

「でしょ! それに、風邪うつすかもだし」

「それなら大丈夫だよ。薬局で働いてるんだから。免疫はイヤってほど付いてる」

「と……とにかくイヤなの!」


言うが早いか背中を向けて、火乃香は頭から布団を被ってしまった。

 もしかすると、寝ている姿を他人に見られたくないのだろうか。可愛いパジャマを持っている訳でもないし、俺のTシャツが恥ずかしいのかもな。


「分かった。泉希を呼ぶのはめる」

「本当?」

「ああ。その代わり、今日は俺の言うこと聞いて、大人しくしてるんだぞ」

「うん!」


さっきよりも軽快な返事で頷くと、火乃香はまた体をこちらに向けて笑った。そんなに泉希に来てほしくないのか……たかだか寝間着くらいで。

 とはいえそんな事を言おうものなら、またヘソを曲げそうなので、俺は何も言わずに財布を取り薄手の上着を羽織った。


 「どこか行くの?」

「ポカリ買ってくる。風邪のときは水分補給が大事だからな」

「なら別に水でいいよ」

「そういう訳にもいかないだろ」

「すぐ帰ってくる?」

「ああ。だからちゃんと寝てろよ」

「……はーい」


どこか空返事の火乃香を訝しく思いつつ、俺は近所のスーパーへ向かった。

 宣言通りすぐさま買い物を終えて家に戻ると、火乃香も約束通り布団の中に居た。よほど暇なのか、普段は手にも取らない俺の漫画本を読んでいる。


「よしよし、ちゃんと横になってるな」

「だって『寝てろ』って言われたもん」


なぜか不貞腐れたように、火乃香はムスッと両頬を膨らませた。琴線きんせんに触れなかったのか、読み始めた漫画本も閉じて。


「そういえば、火乃香も昼飯まだだったよな。何か食べたい物とかあるか」

「食べたい物?」

「ああ。今日は俺がメシ作ったる」

「本当? じゃあ、お好み焼き!」

「それは却下。もっと消化に良いもの限定」

「えー、それじゃあ聞いた意味ないじゃん」

「やかましっ」


また両頬を膨らませつつ、火乃香は「じゃあお粥」と尻すぼみに答えた。

 

「OK。最強に美味い粥つくったる」


勢い勇んでキッチンに立ったは良いものの、考えてみれば粥なんて一度も作ったことがない。そもそも作り方すら分からない。


 不味まずい飯を食わせるくらいならレトルト粥でも買ってこようかと思ったが、火乃香がさっきかじっと俺を見つめている。以前に喰わせたお好み焼きのせいで、俺の料理スキルが高いものと勘違いしているのだろう。

 そんな火乃香の期待を裏切るのは忍びないので、俺はレシピを調べながら探り探り作ってみた。


「お待たせ。遅くなって悪い」

「ううん。ちょうどお腹すいてきた」


慣れない料理に時間が掛かってしまった。昼飯時を大幅に過ぎはいるというのに、火乃香は文句ひとつ言わず茶碗を受け取ってくれた。


 「いただきます」


両手を合わせ、火乃香はベッドに座ったまま俺の粥を一口食べた。


 「……美味しい」

「そ、そうか?」

「うん、すごく美味しい!」


世辞とは思えない綻んだ表情で、火乃香はパクパクと食べ進めていく。火乃香が作った料理の方が何倍も美味しいと思うのだが、火乃香はあっという間に茶碗を空にした。


 「おかわり!」

「え……お、おう」


米粒一つ残っていない茶碗を差し出され、俺は驚きながらお代わりを入れた。

 俺に気を遣っているだけかもしれないが、食欲はあるようで一安心だ。この調子なら、明日には復調していることだろう。


「ほい、おまたせ」

「ありがと!」


満面の笑みを浮かべながら、火乃香は2杯目の茶碗を受け取った。

 だけど何故だろう。茶碗の中の粥をまじまじと見つめて一向に食べようとしない。やはり俺の作った粥が不味かったのだろうか。


「ど、どうかしたか?」


恐る恐ると尋ねれば火乃香はゆっくりと振り向き、俺に茶碗を突き返した。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


悠陽は薬剤師ではないけれど、ドラッグストアなどで売られている一般用の医薬品を販売する『登録販売者』という資格は持っているの。医療用医薬品の知識は乏しいけれど、常備薬には結構詳しいわ!

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