第37話 【6月下旬】火乃香と泉希と映画のチケット②

 「――むっす〜」

「……いつまで膨れてるんだよ」


映画のチケットを貰ってから数日後の日曜日。玄関先で靴を履く俺の背中を、火乃香ほのかが恨めしそうに睨みつけている。

 相変わらず、リスみたいに頬を膨らませて。


 「だって今日、日曜じゃん。『今度の休みに映画行く』って言ってたのに」

「仕方ないだろ。仕事なんだから」

「休みの日に何の仕事があるのさ」

「それはまあ……色々だよ」

「色々ってなに」

「えーと、ほら……勉強会とか講習会とか」

「そんな私服にワンショルダーのカバンで?」


言われて俺は自分を格好を改めた。五分袖のTシャツに大きめのウエストバッグと、明らかに仕事より遊びが似合うスタイルだ。


 「昨日も土曜日なのに帰り遅かったし。本当は女にでも会うんじゃないの?」


ギクリ。核心を突かれて俺は思わず肩を震わせた。恐る恐ると振り返れば、火乃香が白い眼で睨みつけている。


「い……行ってきます!」

「あ! ちょっと兄貴!」


靴を履き終え、俺は逃げるように家を飛び出した。額に汗を浮かべ走り去る俺の背中に「兄貴のスケベ」と罵声が響く。ご近所さんに聞こえたらどうするのよ……。


 そうしてアパートから離れ去るみたく、俺は薬局近くにある駅へとやってきた。

 改札に繋がる階段を駆け上り、息を切らしてする。こんな階段くらい、昔は簡単にのぼれたというのに。


 「悠陽ゆうひ!」


肩を上下に汗を拭っていると、唐突に俺を呼ぶ声が聞こえた。


「おう、お待たせ泉――」


耳慣れた声に手を挙げ振り返る。だがその瞬間、俺は言葉を詰まらせてしまった。


 なにせ今日の彼女はいつにも増して……否、見違えるほど綺麗なのだから。


 仕事ではまず御目に掛かれないスカート姿に、肩には大人っぽい上品なアウターを羽織っている。髪型も後ろ手に括るいつもの形でなく、ストレートに流して。

 その姿に見惚れてしまい、俺はその場に呆然と立ち尽くしてしまった。

 

 「どうしたの悠陽。顔が赤いわよ?」


小走りで近寄り、泉希は惚ける俺の顔を不思議そうに覗き込んだ。長い髪をかきあげ上目遣いに見つめる仕草が一段と可愛くて、俺はつい視線を逸らしてしまった。


「べ、別に……なんでもない」

「そう? ならいいけど……あ、もうすぐ電車が来るわ。早く行きましょう」

「あ、ちょ、泉希!」


小走りに改札へ向かう泉希を追いかければ、彼女は悪戯っぽく微笑み振り返った。

 キュッ……と胸を締め付けられるような痛みを覚えながら、俺は泉希と共にホームへ向かい電車に飛び乗った。

 そうして電車に揺られること約10分。辿り着いた先にあるのは、以前にも火乃香と訪れたシオンモール。


「悪いな泉希。折角の休みの日に」

「ううん。私も丁度、買い物に来たかったから」


艶やかな髪をサラリと流して、泉希はにこりと笑みを浮かべた。心臓がまたドキリと波を打つ。と同時にポケットの中の携帯電話が震えた。


 見れば火乃香から怒った顔のスタンプが送られてきている。さすがに以前のような連投はないけれど、何となく怖い気がして土下座する犬のスタンプを返した。


 「それで、今日はどうするの? このまえ卸会社おろしがいしゃさんに貰った映画は、ここではってないわよ」

「いや、今日は普通に買い物。泉希に見繕ってもらいたくて」

「私に?」

「ああ。レディースの店に男が一人で入るのは恥ずかしいし、女物の流行りとかよく分からんからさ」

「女物って、まさか……」


何故か尻すぼみになりながら、泉希は照れ臭そうに艶やかな髪をいじった。


 「べ、別に何でも良いわよ。値段や見た目よりも、貴方が選んでくれること自体に意味があるって言うか……」

「それはそうかもだけど、折角なら可愛いの選んで喜んで欲しいだろ」


にかっと歯を見せ笑い返すと、泉希は茹だったように顔を赤く染め上げた。

 そんなに共同性羞恥を掻き立てるほど、歯の浮く台詞だったかな。

 不思議に首を傾げながら、俺は泉希とともにアパレルショップを回った。


「お、あれなんかどうだ」


見つけたのは若い世代に人気のアパレル。その店頭に飾られているパステルカラーのドロップショルダー ・カーディガン。少しガーリーな気もするけれど、きっと似合うはずだ。


 「か……可愛いとは思うけど……ちょっと若い子向けじゃない?」

「実際若いだろ」

「若いことは若いけど、流石にティーン向けのブランドは恥ずかしいって言うか……あ、貴方がそういう服が好みって言うなら別に良いんだけど……」

「別に俺の好みって訳じゃないけど、純粋に似合うと思ったからさ」

「だからって20代後半にはキツイわよ」

「なにボケてんだよ。まだ15歳だぞ、火乃香は」

「……は?」

「え?」


先程までの明るい口調とは打って変わってドスの効いた声に、俺は間の抜けた返答しか出来なかった。


 能面のような真顔で見つめる泉希に、俺は周りの空気が凍り付くかのような寒気を覚えて……。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


私は普段、髪を後ろ手に括ってスラックスやチノパン姿で仕事をしているわ。ウチの薬局は基本的にスカートやハイヒールなど動きにくい恰好はNGなの。普段おバカな割に悠陽はそういう所はちゃんと規定化してるのよね。

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